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2018年6月4日月曜日

古代文化を彩る猪

猪の文化史考古編 20 (最終回)

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第2部 古代文化を彩る猪-弥生から古墳、そして歴史時代へ-」の学習をします。「猪の文化史考古編」学習の最終回となります。

1 弥生の猪
弥生時代の銅鐸絵画に猪の狩猟シーンがあります。

銅鐸の猪狩猟シーン 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
猟師、猟犬、猪が描かれています。
弥生時代になると縄文時代とは状況が変わり猪は田畑の作物を荒らす害獣として駆除の対象となります。排除の対象になります。

2 古墳時代の猪
埴輪に猪が登場し、埴輪群でイノシシの狩猟シーンが展示されるようになります。

埴輪に登場する猪、猟犬、猟師 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
埴輪群による狩猟シーンの展示は「王の狩」であり、狩猟儀礼の再現や権威・権力の誇示という側面から考察されています。

3 奈良時代以降の猪
射手と猪の組み合わせは奈良時代以降中世・近世まで説話・伝説として生き続けました。王権を誇る条件の1つが「猪の征討」であったのであり、猪の力の強大さに始まるストーリーでもあったといえます。
感想
「猪の征討」が蝦夷征討など服従しない縄文人末裔征討とも関連すると理解しました。
弥生時代以降「縄文人が猪を祈りの対象としていて関わりが深い」ので、服従しない縄文人末裔征討を強引に猪征討と関連付けたのだと思います。

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4 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)学習の感想
・縄文時代の猪に関する土器・土製品について、自分が学習している大膳野南貝塚や西根遺跡、上谷遺跡などとの関連で興味を抱きました。
・図書に掲載されている図版・写真が、自分の老化が進んだ眼球にとってはあまりにも小さすぎたり、つぶれていたり、鮮明さが欠けていて、最初は読書気力が湧きませんでした。また図版・写真を文章で説明している場合、立体物であるだけにそれがどの箇所の説明に当たるのか判然としない場合がかなりありました。恐らく現物や同じ図版・写真を既にみたことのある専門家が読むことを暗黙の前提として図書が編集されたものと感じました。
・そのため仕方なく図版・写真をパソコンで拡大したり調整して観察しましたが、その結果この図書が形成する猪世界に引き込まれ、学習に熱中することができました。
・著者は縄文時代猪に関する発掘情報を悉皆的に収集して整理しているので、縄文時代人の猪に関する活動や思考を体系的に理解できるように図書が編集されていて、その結果自分の学習が大いに進みました。
・「猪への祈りのまとめ」は大膳野南貝塚学習や西根遺跡学習に大いに参考になっています。
・弥生時代以降の学習は改めて熱中するチャンスをつくることとして、今回の学習は縄文時代をメインとしました。

2018年5月7日月曜日

埋納された猪

猪の文化史考古編 15

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第2章猪の埋葬、そして祈り 3埋納された猪」の学習をします。

1 埋納された猪
●千葉県市川市向台貝塚
直径60~80cm、深さ50~60cmの土坑から首のない猪の幼獣2体が出土した。貯蔵穴が祭祀の場として利用されたもので、貝層を取り去った後の底から出土している。
頭部は別に用いられたことを意味する。
山梨県金生遺跡では幼い猪の下顎だけが115個体も発見されているが、これらは切り離された頭部の一部である。やはり、猪幼獣の頭部は何かに使われているのである。それは単に食べるための行為ではなく、頭部を捧げるあるいは敬うといった祈りにかかわる祭祀につながったものと考えたい。

●千葉県千葉市加曽利貝塚
第Ⅱ住居祉群22グリッドから上下の顎の骨を欠く猪個体が出土し、幼獣である。

●岩手県宮野貝塚
猪ばかりでなく鹿の頭蓋骨や下顎も含め並べられていた。

●千葉県船橋市取掛西貝塚
住居跡のくぼみに猪頭蓋骨12個やしか頭部2個体などが集中していた。中央部では猪頭蓋骨4個が意図的に並べられたような状況で動物儀礼が行われたと考えている。

2 考察
猪及び鹿などの頭部が儀式に使われ、頭部を欠いた体部が埋納された例が各所に見られることを知りました。
学習している大膳野南貝塚の後期集落では鹿頭骨列が出土していて何らかの祭祀に使われたものと想像しています。

参考 大膳野南貝塚後期集落 鹿頭骨列
大膳野南貝塚発掘調査報告書から作成

参考 鹿頭骨列復元空想図
ブログ花見川流域を歩く2018.01.22記事「鹿頭骨列の解釈」参照

2018年2月12日月曜日

猪の文化史考古編 新津健 2011 雄山閣

猪の文化史考古編 1

1 はじめに
昨年夏頃西根遺跡の学習に熱中し、そのなかで頭部の無い体部だけの幼獣焼骨が多量に出土する意義について考察し、その中でこの図書「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)を入手し拾い読みしました。ブログ花見川流域を歩く2017.09.20記事「新津健「猪の文化史 考古編」学習」参照
大変役立ちました。

図書「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)

当時はこの図書をじっくり読むことができませんでしたので、あらためて章を追って学習することにします。

2 この図書の目次
はじめに-今なにが起きているのか?
第1部 人とのつきあいの始まり-縄文の猪-
 第1章 猪造形を追って
 第2章 猪の埋葬、そして祈り
 第3章 猪の飼育・飼養問題について
第2部 古代文化をいろどる猪-弥生から古墳、そして歴史時代へ-
 第1章 弥生の猪
 第2章 埴輪の猪-王の狩-
 第3章 古代から中世へ-文献から探る猪-
考古編の最後に
参考文献
図版出典

3 「はじめに-今なにが起きているのか?」の概要
春、山梨県道志村に住むWさんは側溝に置き去りにされたウリボウをみつけ飼うことにした。ウリボウをはな子となづけて育てた。はな子は人になついて育った。風呂にも一緒にはいった。12月ごろからはな子は朝食あるいは昼食を食べると裏山に入っていき、夕方になると帰ってきて小屋で寝るという日課となった。
2月ごろはな子はいつものように山へでかけ、そのまま帰ってこなかった。
ところが5月ごろお腹のふくらんだはな子が帰ってきて6月に出産した。

著者はこのような興味深い事例を取材して「猪が豚として飼われはじめる経緯をみることができるのではないか」と述べています。
またこの事例は、縄文時代にイノシシの半飼育という考え方があるする上で大変参考になると述べています。

4 「考古編の最後に」の概要
「考古資料からは、縄文時代では土器を飾る猪造形にはじまり、猪形土製品や埋葬・埋納などの事例も多くみられた。これらのことから食料としての重要性はもちろん、増加期にはムラに出入りするとともに、さらには豊かなみのりを願う神としても縄文人の暮らしと深くかかわっていた猪の役割が推測できた。」

農作物への依存度が高まった弥生時代になると猪は害獣として捉えられる面が強まり、「退治されるべきもの」としての役割が与えられ、古墳時代には「王の狩」の対象として古墳を取り巻く「狩猟埴輪」の重要な構成要素となっている。

次の記事から章を追って学習を進めます。