2018年3月16日金曜日

リアル猪形土製品 その2

猪の文化史考古編 9

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (3)猪形土製品の世界 ①写実的な猪」の第10図の学習をします。
前回記事までと同様に学習といっても土製品スケッチの図像を理解するという視覚的確認作業(=スケッチ・写真の観賞)です。

1 猪形土製品 その2
猪形土製品は後期になると作られはじめると、冒頭に書いたが(2018.03.14記事「リアル猪形土製品」参照)、実は後期に先立って中期に作られたという事例も、少ないながら認められる。

関東から長野にかけての一帯では、縄文中期の早い段階にてリアルに表現された猪の土製品が作られていた。実は中期初頭という時期は、猪や蛇が土器を飾る時期でもある。
猪や蛇、さらにはその合体したかのような不思議な動物がみられた。このように中期の早い頃、縄文人は猪を観察しその特徴を土器や土製品に表現していたのである。

2 中期のリアルな猪形土製品

第10図3
これといった装飾はないものの実によく猪の特徴が捉えられている。
頭を下げたずんぐりとした造形は一見熊のようでもあるが、鼻先の様子や「たてがみ」の表現からは猪とみてよい。
たてがみ部分には小さな貫通孔があり、紐を通してつるしたかのようでもある。
中期初頭の五領ヶ台式土器の時期。

第10図4
これといった装飾はないものの実によく猪の特徴が捉えられている。大変小さな造形である。
五領ヶ台式から新道式という中期でも早い段階の可能性が考えられている。
多数の土偶とともに出土した。

第10図5
ずんぐりした形状、短い脚などの造形は猪とみて間違いない。中期前葉の新道式土器が多く出土した住居跡から発見された。多数の土偶とともに出土した。

第10図6
全体の様子には猪の特徴が良く表れている。出土した集落遺跡から土偶の出土数も多い。


第10図7
その形状は猪に疑いない。顔の表現はとても可愛らしい。頭を下げた様子は第10図3の猪に似た感じもする。

第10図8
耳や背中のたてがみはしっかりと表現されており、省略されてはいるものの猪であることは間違いない。

第10図1
全国的にみても中期の猪は大変少ないが、わずかながら青森県にて猪形土製品として報告されている例。
鼻先を下に向けた形状であり、背中の表現を含め熊のような感じも受けリアルさには欠ける。
中期の中頃あるいは後半と報告されていて、関東から中部山岳地域の中期前半期の猪とは全く系統を別にする製品であろう。

第10図2
全国的にみても中期の猪は大変少ないが、わずかながら青森県にて猪形土製品として報告されている例。
体形や鼻先の様子からは確かに猪というイメージは強い。
但し四カ所の脚や尾にあたる所には孔があいていて、棒状のものを差し込んだのではないかと考えられている。
中期の中頃あるいは後半と報告されていて、関東から中部山岳地域の中期前半期の猪とは全く系統を別にする製品であろう。

3 感想
著者は中期早い段階でつくられた猪形土製品はその後の蛇の造形がつく土器の出現にも関連したもので、土偶の用途ともかかわる祈りの道具であり、後期に全国で出現する猪形土製品とは区別できるものであると説明しています。
著者は次のようなステップを考えています。

中期早い段階の猪形土製品→中期の猪と蛇の造形がつく土器
-----(断絶)-----
後期の猪形土製品

図書の説明順番がこのようになっていないので、把握に苦労しました。

著者は中期と後期の断絶にもかかわらず、次のように述べています。
しかし、中期にしても後期にしても猪が縄文人にとって身近な、しかも大切な動物であったことは同じであったのだろう。祈りの方法は異なっても、猪に込めた願いは共通していたとも考えたい。

●上谷遺跡例の説明があり、興味を覚えます。
これまで上谷遺跡奈良時代開発集落の学習を行っていて、その中で台地面における水場関連で縄文時代竪穴住居について検討したことがあります。
ブログ花見川流域を歩く2016.09.08記事「上谷遺跡の縄文時代住居跡と水場」参照
土地感覚・空間感覚のある遺跡です。また上谷遺跡出土物の閲覧は既に行ったことがあるので親近感もあります。近い将来第10図3の猪形土製品の現物閲覧にチャレンジしたいと思います。

2018年3月14日水曜日

リアル猪形土製品

猪の文化史考古編 8

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (3)猪形土製品の世界 ①写実的な猪」の第9図の学習をします。
前回記事までと同様に学習といっても土製品スケッチの図像を理解するという視覚的確認作業(=スケッチ・写真の観賞)です。

1 猪形土製品
今からおよそ4000年ほど前、縄文時代も後期に入ると、土器を飾る猪は影をひそめる。
土器に縄文神話がはっきりと刻まれたのは、中期中頃の中部山岳地域を中心とした文化圏及び北陸の一部での出来事を言った方が適切かもしれない。
ところが、後期に入ると猪そのものをかたどった人形-人形というのもおかしいが-猪の形をした土製品がつくられるようになる。
縄文時代後期から晩期には、このような猪形土製品が北海道から中国地方までの遺跡で発見されるようになる。しかしその数は東北や関東では多いものの中部地方や西日本では少なく、近畿地方にてやや目立つといった状況である。北海道でも、東北に近い南部から1点発見されているにすぎない。また同じ東北地方でも青森や岩手に多い傾向があるものの、東北南部や日本海側他の地域では少なめである。このように地域や時代によって、大変ばらつきが認められている(新津2009)。

2 写実的な猪

第9図2 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
この種の中では最も大きい部類に入る。
ずんぐりした体形、平らで突き出た鼻先、二つに割れた脚先など大変リアルな造形である。なんとなく可愛らしさも漂う。縄文時代後期中頃から後半にかけてという、今から3000年ほど前につくられた猪である。つくりも丁寧でつやが残っている部分もあり、生き生きとした表情は芸術的にも優れている。この土製品をつくった縄文人は、実際に猪を目のあたりにしていたことであろう。

第9図3 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
鼻先や目、耳のつくりは猪そのものといってよい。たてがみが表現されている。身体の中は空洞。縄文時代後期末から晩期に作られた。睾丸を表現するように2個の瘤状突起をはりつけている。
土で作られた人の鼻や耳形とともに出土している。鼻形や耳形は木製仮面の部品とも考えられ、猪形土製品の用途を考える上で重要である。

第9図1 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
鼻先や顔の反り具合から猪であることがよくわかる。特に全身の縄目は、体毛の表現といわれる。土偶が大量に発見された場所から出土しており、猪土製品の用途を考える上でも重要である。
縄文時代後期初めという時期に位置づけられ、ここに掲載したリアルさが漂う猪形土製品のうち今のところ最も古い段階のもの。

第9図6 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
すぐに猪とわかる土製品である。全体に縄文がつけられていて、体毛の感じがつかめるが、両端が三角形状にふくらむ「I」字のような線は、この市原市周辺地域の晩期の土偶に特徴的な模様でもある。微笑んでいるかのような感じ取れる。
発掘当初は胴体だけが発見され、この住居から離れた別の住居2軒から出土した脚が接合したという。つまり、完全であった猪が、壊れ(あるいは壊され)た後、別々の箇所に捨てられ(あるいは埋められ)たということがわかる。
猪の用途を考える上で大変重要な資料といえる。

第9図7 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
鼻先の様子から猪とわかる。また胴体には上小猪と同じ「I」字状の文様がつけられている。

第9図4 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
猪の特徴がよく表現されている。

第9図5 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
突き出した顔つきや鼻先はまさに猪の造形であることがわかる。

第9図8 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
ずんぐりした体、短い脚、突き出た鼻先の2つの孔、まさに可愛い猪の体形ではないか。特に身体につけられた沈線による縞模様、これがウリボウを表すという。
津軽海峡を越えた北海道は猪の生息範囲からはずれており、このような地域から猪関連遺物が発見されることは、大変重要な問題となっている。土製品に限らず、北海道からは猪の骨も出土していることから、津軽海峡を丸木舟で渡った縄文人が猪を持ち込んだことになり、すでに猪を飼っていた可能性にまで問題がおよぶからである。


第9図9 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
体形が木瓜のようなウリボウである。

3 感想
縄文神話が表現されている装飾土器は画像(写真やスケッチ)が小さくつぶれていたり、解像度が劣っていて立体性を理解できないばかりか、説明文がどこを指すのか理解できないところもあり、観賞に苦痛が伴いましたが、今回のリアル猪土製品の観賞は立体物としての理解に苦労することは無いので、心地よさ、楽しさを伴いました。
また千葉県の例が2つあり、興味が深まります。
北海道からの出土は縄文社会の猪関連祭祀が猪がいない地域にまで及んでいて、それだけ普遍的な祭祀であったことを示していて、猪の重要性を再確認することができます。
猪について学習することは大膳野南貝塚や西根遺跡の学習に大いに役立つと直観します。

2018年3月7日水曜日

さらに猪をもとめて

猪の文化史考古編 7

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (2)土器に描かれた物語 ③さらに猪をもとめて」の学習をします。
前回記事までと同様に学習といっても土器写真の文様を理解するという視覚的確認作業(=スケッチ・写真の観賞)です。

判りづらい土器が多いので、画像を特大にしました。

1 北陸等の猪装飾
これまで中部山岳地帯の猪装飾をみてきたが、北陸等の猪装飾を見る。

写真21 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
この土器につけられたハート形の装飾は、一見、ヒトの顔の輪郭にも似ている。
だが装飾の中央部には、細い目と突き出した鼻先および二つの鼻孔という造形がある。これは北陸地方に前期末から伝わる猪によく似ている。

(どれが細い目なのか、私は特定できませんでした。)

写真22 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
鼻先を上に向けた猪のような頭部が四個、土器の胴体を等間隔にめぐっている。


図8 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
細い目をしたハート形の顔が付く、「動物意匠文土器」と呼ばれるこの動物も、猪の可能性がある。この顔の下、土器の胴部にあたる箇所には小さな双環把手があり、下から渦巻いてくる文様と一体となっている。この装飾を蛇とすると、この土器には猪と蛇が同時に表現されていたことになる。猪や蛇が登場する縄文の物語が存在していたのである。


写真23 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
短めの顔ながら、図8によく似た猪と思われる顔がつく、しかしこの顔には、左方向に延びながらやがて時計回りに渦巻く胴体と尻尾を持つ蛇へとつながっている。つまりこの造形は蛇であり、従って猪のような顔は、実は蛇の胴体ということになる。

(逆ハート形の造形を「短めの顔ながら、図8によく似た猪と思われる顔」と記述しているのでしょうか?「左方向に延びながらやがて時計回りに渦巻く」のがどの部分を指すのか私は特定できませんでした。結局記述が全く理解できませんでした。)

写真24 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
大きな把手が四単位でつくが、その把手と把手の間の口縁直下に丸い孔を上にした半円筒形の造形がへばりついていることが確認できる。胴部にも同じような瘤が上を向いている。これまでみてきた猪に似た表現でもある。
「火炎型土器」と呼ばれる種類の土器である。
四つの大きな把手。その最上部にもえあがる火炎。実はそれも猪のたてがみとみなせないだろうか。

縄文中期の中頃、猪が大量発生し縄文集落にとって身近な動物となった時期ではなかったか。食料としても重要な役割を担った猪。それが豊穣を願う神として、蛇とともに中期縄文人の祈りの世界に君臨し、神話の主役の一つという立場から土器に刻み込まれたのである。

2 感想
●感想1
写真やスケッチそのものを掲載するとともに、もう一枚同じものを用意して、その画像に線や色を使って「これが細い目」とか、「猪の顔」と見立てる造形はこの部分とか説明があると専門家以外にも情報が伝わると考えました。またそのような説明図を作成すると、解釈が露わになりますから、専門家自身も自分の思考の的確性を評価できるに違いありません。
写真の掲載と文章記述だけでは、そこに語られる重要性(興味深さ)が専門家以外に広く流布することは期待できませんから、もったいないと思います。
土器そのものを3Dデータ化して、自由な角度や視野で造形を説明する技術はすでに実用化されています。3Dデータを駆使した画像で神話の世界を人々に平易に説明すれば、多くの人々が考古に興味を持つと思います。

●感想2
猪が神話の主役になり、狩のもう一つの主対象であるシカが主役にならない理由は何故か?興味が湧きます。恐らく幾つかの理由があると思います。
蛇(爬虫類)に対してなぜ縄文人が着目したのか?蛇は食ったとは思いますが狩の主対象ではないと思います。なにか特別の理由があると思います。

2018年3月6日火曜日

富士見町史上巻の入手

2018.03.05記事「釣手土器の猪造形」で釣手土器に関して「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から次のような抜き書き(要約)をしてある種特別の興味を覚えました。

この土器の中で火が燃やされたことは確かである。「古事記」や「日本書紀」にある火の神「カグツチ」とそれを生んだ「イザナミ」に由来する造形と説く研究もある。この釣手土器にも猪造形が見られる。

この記述の原資料の一つが富士見町史上巻であることをつきとめ、実物を閲覧したくなりました。
調べたところ千葉県内図書館にはありません。
国会図書館に行けば閲覧できるに違いありません。
しかし念のためWEBで入手できるか確認してみました。
結果、2660円で入手できることが判りました。交通費をかけて国会図書館にでかけ、高額コピー料金を支払い、時間も半日つぶすことを考えると、2660円で原本を入手できるならば、結果として内容にあまり満足ができなくてもよいだろと判断して、早速購入を申し込みました。

その図書が本日配送されてきました。

古書とはいえ汚れや傷みもなく、2660円(配送料込)にしては立派すぎる大書です。

入手した富士見町史上巻
箱、上巻、史料編

さらに内容を確認すると縄文時代(図書では新石器時代)が約260ページにおよびその中で「世界観と神話像」が約80ページに及びます。

ペラペラ眺めた限りでは私の興味を満足させ、新たな興味を刺激するような内容になっています。
記紀神話等との関連だけでなく、古代中国の事物や神話との関係も語られているようです。

「世界観と神話像」のページ
見覚えのある図像がたくさん掲載されています。

結果として趣味活動のレベルアップに役立つ図書を入手でき、かつコストパーフォーマンスのよい買い物をしたようです。

「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の学習の後、この図書の学習をこのブログでしたいと思います。

2018年3月5日月曜日

釣手土器の猪造形

猪の文化史考古編 6

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (2)土器に描かれた物語 ②釣手土器」の学習をします。
前回記事までと同様に学習といっても土器写真の文様を理解するという視覚的確認作業(=写真の観賞)です。

1 釣手土器の説明
釣手土器とは中期中頃から中期後半にかけて、長野山梨など中部地方や関東の山岳地域を中心につくられた土器で、内面や釣手の縁に煤がついていたり焦げ跡が残されているものが多く、この土器の中で火が燃やされたことは確かである。「古事記」や「日本書紀」にある火の神「カグツチ」とそれを生んだ「イザナミ」に由来する造形と説く研究もある。この釣手土器にも猪造形が見られる。

2 釣手土器の猪造形

図1 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手頭頂部に1頭、両脇にそれぞれ1頭ずつ猪が付く。きわめてリアルに猪を表現している。

図2 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
正面に大きな丸い孔1つからなる造形が釣手頭頂部に1つと、その両脇に2個ずつ合計5個並ぶ。「平らな吻端」「半円筒形」という猪の特徴そのものである。親猪1頭とウリボウ4頭ということになろうか。
親猪の背面から頭にかけて蛇が這う。

図3 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
頭頂部に3匹、鉢部の両側に2匹の合計5匹の動物が付く。
正面から見た時に限り猪で、背面から見ると目を始めとした頭部や身体は蛇とみてよい。

図4 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手部に3匹、背面の環を覗くかのように1匹、合計4匹、ツチノコのような動物が這う。蛇とみてよいのではないか。


図5 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
鼻先が丸くしかも丸孔が開けられるものもある。目の表現では蛇とも共通する。この例は蛇と猪の組み合わせから構成される最初の造形かもしれない。
図4→図5→図3の順で「蛇」から「猪と蛇との融合」に進んでいくようである。

(図5は細部がつぶれていてよく理解できませんでした。)

図6 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手中央に大きな猪がいてその両側の子猪が並ぶ構成であり、猪であることはずんぐりした体つきからわかるが、正面が人の顔となっている。

図7 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
「蝙蝠」とも言われる動物が付く。釣手頂部の顔、その顔から両側につらなる把手の表現は蝙蝠にふさわしい。しかしその鼻はやはり猪を思い起こすのに十分である。猪が意識されているのではなかろうか。

写真1 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手土器でもアーチの頂上に人の顔面が付く例。人面の横にならぶ丸い孔は猪の特徴の一つ「平らな吻端」に似ていて、やはり猪とみてよい。

写真2 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手土器でもアーチの頂上に人の顔面が付く例。人面の横にならぶ丸い孔は猪の特徴の一つ「平らな吻端」に似ていて、やはり猪とみてよい。


写真3 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手土器でもアーチの頂上に人の顔面が付く例。人面の横にならぶ丸い孔は猪の特徴の一つ「平らな吻端」に似ていて、やはり猪とみてよい。

3 感想
最初は図と写真の中の猪がどれなのかサッパリ判らなかったのですが、少しずつ理解できるようになってきました。
これらの土器を利用した祭祀の背景にある縄文神話がどのようなものであったのか、興味を持ちます。

2018年3月2日金曜日

猪と蛇の対峙 その2

猪の文化史考古編 5

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (2)土器に描かれた物語 ①深鉢形土器の猪」の第2回目学習をします。
学習といっても土器写真の文様を理解するという視覚的確認作業(=写真の観賞)です。
なお図書の写真はモノクロですが自分が理解しやすい(認識しやすい)画像とするためにわざと任意の色を着色しました。情報量は同じだと思いますが自分にとってとても理解しやすい(認識しやすい)画像となりました。
着色はスキャンしたモノクロ画像をPhotoshopに取り込みカラーレイヤーを被せ、そのカラーレイヤーを「焼き込みカラー」としました。またモノクロ画像はトーンカーブ補正で色を薄くしました。

1 写真と図書による説明

写真10 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
右写真 胴部に「平らな吻端」と「半円筒」の造形が縦についていて猪を表す。「双環突起」(目玉のような大きな環)と猪両側の腕のような表現は一体で蛙の目玉と両足を表現していると考えられている。
左写真 胴部に蛇が描かれている。土器の両側で猪と蛇が対峙している。
猪と蛇が蛙の背中から生れている様子を表現していると考えられている。

写真11 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
胴部の顔は出産シーンを表していて、蛙の背中から生れ出てくる新しい命の顔を表現していると考えられている。
蛙は月の象徴であることから、生れ出る命は月の子どもであり、それを生み出す土器は母なる月の神「月母神」とされる。

写真12 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
目鼻の表現のない顔面把手付土器で、胴部に猪と蛇が対峙して表現されている。「双環突起」はない。猪の両側の曲線は蛙の手を表現していると考えられる。

写真13 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
目鼻の表現のない顔面把手付土器で、胴部に猪と蛇が対峙して表現されている。「双環突起」がある。猪の両側に蛙の手が表現されている。
写真11、12、13は同じ思想のもとに製作された造形であることが理解できる。

口縁部で猪と蛇が対峙する土器が胴体が一旦くびれて口縁で大きく広がる「鉢形」である(2018.02.28記事「猪と蛇の対峙」参照)のに対して、胴部で猪と蛇が対峙する土器は樽型であることの違いは重要であると考えられる。
器形と文様とを含めある種の物語り性にもとづいた流れがあるようにも思われる。

その流れとは、女神の身体から生れた猪と蛇が、土器を這い上がり、やがて土器の縁にたどりつくという道程である。

写真14 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
猪が「双環突起」の上に連なる。

写真15 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
猪の吻端を取り巻くように蛇が重なっている。

写真16 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
猪と蛇が重なる造形の把手が大小2つ付いている。

写真17 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
顔面全体は真ん丸でその中に丸い目がついていて、この造形は猪が基本になっているように思われる。本来は猪であったとみなし「人面猪」といった表現であると考える。この「人面猪」の上に蛇がつく。

猪と蛇が女神(蛙)の胴体から生れ、這い上がりつつ口縁にたどり着き、土器を挟んで対峙し、最終的に「人面猪」に蛇が乗り土器の内部を眺めることによりさらなる食べ物が出現する、そんな祈りにもつうずる物語が語れていたのではないか。

2 感想
土器の造形・文様の意味を専門家がどのように捉えているか初めて知り、感動しました。土器から類推される縄文神話についてもっと詳しく知りたくなりました。
また千葉県からこのような土器は出ていませんが何故なのか?とかこのような重厚な土器がつくられた背景(飢餓の恐れがあったからなど)を知りたくなりました。