2020年8月26日水曜日

山田康弘著「縄文時代の歴史」興味コンテンツベスト10

 山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 43

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)を通読したので、ふりかえり、自分が興味を持ったコンテンツベスト10を抽出してみました。

1 山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)のコンテンツ

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)では目次別に小見出し毎に完結する記述が行われています。その小見出しがコンテンツの最小単位になっています。コンテンツの数は次に示す通り合計で152となります。

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山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の目次別小見出し数

はじめに…10

プロローグ 縄文時代前夜

1 ヒトはいつ「日本」にきたのか…2

2 縄文文化の母胎…2

第一章 縄文時代・文化の枠組み

1 縄文時代の時間的範囲…3

2 縄文時代・文化の空間的範囲…6

3 縄文時代・文化という概念…2

4 縄文時代の主人公の姿…2

第二章 土器使用のはじまり 草創期(Ⅰ期)

1 土器の発明がもたらしたもの…12

2 草創期における各様相…5

3 わかりはじめた植物利用のあり方…3

4 複雑な精神文化の芽生え…3

第三章 本格的な定住生活の確立 早期(Ⅱ期)

1 定住とはなにか…6

2 定型的な居住様式の確立と貝塚の形成…6

3 多様な動植物の利用…4

4 墓制・祭祀・装身具等の発達にみる精神文化…8

第四章 人口の増加と社会の安定化・社会複雑化の進展 前期・中期(Ⅲ期)

1 温暖化のピークから低温化安定へと向かった気候変化…2

2 低地遺跡にみる卓越した植物利用技術…6

3 環状集落の成立と大型貝塚の発達…3

4 広域交換・交易の発達…3

5 さまざまな墓制の展開…9

6 精神文化の高揚…5

第五章 精神文化の発達と社会の複雑化 後期・晩期(Ⅳ期)

1 縄文社会の変質…3

2 後晩期の集落景観…4

3 モノの流通とネットワーク…8

4 多様な祭祀の展開と精巧な祭祀・呪術具の発達…8

5 墓制と祖霊祭祀の発達…8

6 階層社会へのきざし…7

7 縄文時代・文化の終焉…2

エピローグ 縄文時代・文化の本質

1 もう一つの縄文文化…2

2 「縄文」の終焉と「弥生」の開始…7

おわりに…1

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2 自分が興味を持ったコンテンツベスト10 【 】が小見出し

1位 第4章 5様々な墓制の展開 中期の社会構造を探る 【子どもへの投資】・・・階層化

2位 第5章 5墓制と祖霊祭祀の発達 【「記念墓」構築の契機】・・・ 異集団の統合の仕方・・・支配の仕方

3位 プロローグ 2縄文文化の母胎 【神子柴・長者久保文化】・・・旧石器と縄文の間

4位 第2章 2草創期における各様相 【フェイズ1の概観】 前田耕地遺跡など

5位 第3章 2定型的な居住様式の確立と貝塚の形成 【早期における大型住居の登場】・・・上野原遺跡

6位 第4章 2低地遺跡にみる卓越した植物利用技術 【縄文文化の研究の画期となった鳥浜貝塚の調査】・・・鳥浜貝塚

7位 第3章 4墓制・祭祀・装身具等の発達にみる精神文化 【動物祭祀の発達】

8位 第5章 3モノの流通ネットワーク 【オオツタノハにみるネットワークの広がり】

9位 第2章 1土器の発明がもたらしたもの 【土器は女性がつくったのか?】

10位 エピローグ 縄文時代・文化の本質 2「縄文」の終焉と「弥生」の開始 【灌漑水田稲作が遅れて導入された地域】

興味コンテンツベスト10がある目次「節」

3 興味を持った理由

上記ベスト10をピックアップした自分の言い訳を整理すると次のようになります。

●興味を持った理由の区分

a これまでしらなかった遺跡・遺構・遺物の知識を知り、興味を持つ

b これまで興味を持ったことがない分野や領域の知識を知り新たに興味を持つ

c これまで知らなかった調査方法や分析方法を知り興味を持つ

d 知っていた知識の最新情報や最新分析・解釈を知り興味を持つ

e これまでに抱いてきた問題意識に関連する情報であるため興味を持つ

f 疑問を抱いていた事柄に関する情報であり興味を持つ

●ベスト10の興味を持った理由

1位 【子どもへの投資】…bc 階層化

2位 【「記念墓」構築の契機】…bc 異集団の統合

3位 【神子柴・長者久保文化】…de 旧石器と縄文の間

4位 【フェイズ1の概観】…a 前田耕地遺跡

5位 【早期における大型住居の登場】…a 上野原遺跡

6位 【縄文文化の研究の画期となった鳥浜貝塚の調査】…abc 鳥浜貝塚

7位 【動物祭祀の発達】…de

8位 【オオツタノハにみるネットワークの広がり】…d

9位 【土器は女性がつくったのか?】…f

10位 【灌漑水田稲作が遅れて導入された地域】…de

4 感想

・縄文学習入門者の自分にとって山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)は必要な最新知識を体系的、かつコンパクトにまとめた大変優良な図書であることが通読してわかりました。まずは著者に感謝です。

・興味をもったコンテンツベスト10は、いわば自分の心理分析であるとわかりました。著者が考えるコンテンツの重要性などとは全く無関係です。学習入門初期の自分が面白かったものベスト10という心理分析です。

・ベスト10の上位はこれまで知らなかった知識・情報が占めています。自分が最新知識をほとんど知らなかったという状況、あるいは最新知識を知りたいという心理状況が表現されています。

・ベスト10を考えるプロセスのなかで、つまりこの図書の目次や本文を見回す中で、次のような余分な感想が生まれました。

ア 全体の情報として後期晩期の情報が充実しています。遺跡として残りやすいことが関係しているように感じます。逆にいうと草創期から中期までの縄文社会は未知の部分がとても多いということです。

イ 「中期に外来土偶祭祀が伝来して、それによって社会が激変するプロセスを歩んだ」と素人考えしていますが、この図書では前期と中期が一緒に扱われ、そのような祭祀面における激変プロセスが認識されていないように感じます。

これまでの山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習記事のサムネイル


2020年8月13日木曜日

山田康弘著「縄文時代の歴史」の「おわりに」と今後の学習

 山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 42

「おわりに」を学習します。

1 おわりに

・縄文文化の本質は、後氷期における急激な温暖化、そして中期以降の冷涼化を伴いながらも総体的には安定的な気候の中で、日本列島域の各地方・各地域でそれぞれに個性的な環境適応が起こり、それと連動して、自然の資源化とその利用技術の発達が促され、さらにそれと連動して、程度の差こそあれ定着性の高い居住形態、すなわち定住生活の採用とともに、それを支える生業形態・集団構造・精神文化の発達が、そして人を含めた資源交換ネットワークの発達が、現代とは比較にならないほどの少ない人口下で継起・連鎖したという点にこそ求められる。

・縄文文化とは、日本列島域の各地で展開した多様な文化の総称。

・縄文人が「自然と共生する」という発想は現代的。縄文人の発想は人間本位で現代と変わらない。

・人口が少ないため、自然回復力が優っていた。過度の美化には慎重でありたい。

・縄文人は後世の人々の中に吸収されていった。

2 感想

・ここで提示されている縄文文化の本質をよく噛みしめて今後の縄文学習を進めていくことにします。

・現代とは比べ物にならない少ない人口での社会・文化という点も絶えず思い返したいと思います。

・42編の記事を書くという作業を通じて、山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の第1回学習を終えることができました。

kindle版山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の目次と表紙

3 今後の山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の学習方針

・自分が基礎的で総括的な縄文知識を所持していない状況にも関わらず、この図書は平易でなおかつ充実したコンテンツを提供しており、自分の学習を加速するとてもよい参考テキストでした。

・またもう少しこの図書の局部記述にとどまって学習したいと思うこともしばしばありました。

・そこで、この図書を次のような視点別に何回も読みなおして、いわば「復習」活動をすることにします。

・9月一杯をめどに、この図書にさらにベタベタと絡むことにします。

●今後の山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習の視点

ア 自分にとって学習上参考になったコンテンツベスト10のリストアップ

イ 登場する遺跡で学習上特に重要であると考えた遺跡ベスト10のリストアップ

ウ 登場する遺跡で現場や展示施設等を訪問したくなった遺跡ベスト10のリストアップ

エ 参考文献で自分にとって参考になった文献ベスト10のリストアップ

オ コンテンツに含まれる錯誤・誤謬等のベスト10のリストアップ

カ 登場する全遺跡リスト作成とマップへのプロット

キ 1回目学習で価値の大きさに気が付かなかった記述ベスト10のリストアップ

ク この図書を推薦するとしたらどの側面に価値があるか、その価値の大きさベスト10のリストアップ

ケ この図書に掲載されている写真・図表で参考になったものベスト10のリストアップ

コ この図書の嫌で嫌いな点ベスト10のリストアップ

各視点1記事でまとめるとすれば10記事掲載になります。

パソコンモニターのうち横向き3画面を連続して使ったkindle画面(紙図書7ページ分が一望できます。)

紙図書は外出時電車の中などで、自宅ではもっぱらパソコンkindle版でこの図書を読んでいます。kindle版を使うことにより学習の効率化が進んでいます。

2020年8月11日火曜日

縄文時代・文化の本質

 山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 41

「エピローグ 縄文時代・文化の本質」を学習します。

1 もう一つの縄文文化

ア 後晩期の西日本縄文文化

・中国地方の縄文遺跡は少なく、検出される住居跡も2~3棟と少ない。

島根県原田遺跡の集落

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

・中国地方のような小規模集落は農耕開始以前の経済段階では、世界的にみて、一般的である。

・中国地方の住居は耐久性が高いモノではなく、ずっと定住しつづけるようなものではなかったようだ。

・人口の少なさと、いざという時には集落の移動・分離・分散・合流が可能なモビリティ、この二つが中国地方の縄文集落の特徴と言えるだろう。

・「複雑な社会システム」を発達させる必要はない。

イ 小規模集落・少人口下における精神文化

・中国地方では、東日本の典型的な事例と比較して、呪術具の数が圧倒的に少ないのだ。

・物理的・精神的な不安がいっぱいあるがゆえに多くの祈りを捧げなければいけない生活と、不安を移動などの方法によってすみやかに解決し、祈る必要のない生活。どちらの方がより「人間的に豊かな生活」であると、読者の皆さんは思われるだろうか。

・縄文時代・文化の研究は、人類の来し方・歴史にはさまざまな道筋があったことを、改めて教えてくれるのだ。

2 「縄文」の終焉と「弥生」の開始

ア 弥生時代・文化の定義

・現在の学説では、弥生時代には、三つの文化が内在している。一つは、弥生文化である。残りの二つは、灌漑水田稲作がそのプロセスのいかんを問わずに入らなかった、あるいは定着しなかったと考えられる北海道に展開した続縄文文化であり、もう一つは南島域における貝塚文化(後期)である。

イ 灌漑水田稲作の導入と縄文的世界観の変化

・灌漑水田稲作を基礎とする社会システムの存在は、

 1.食糧生産地である灌漑水田および付随施設の存在、およびその規模的広がり

 2.食糧対象植物であるコメ(イネ)の存在、およびその量的安定性

 3.食糧生産地の造成や生産食糧の収穫・処理に対応する専用性の高い道具(農具)の存在

 4.生産を精神文化的側面から支える祭祀のためのさまざまな呪術具の存在

 という四つの考古学的証拠から推定することが可能である。

・利用した空間や植物は同じでも、それを使う集団関係、技術体系、およびそれを支えた思想がまったく異なったものであったのだ。そして、これこそが、縄文的な精神文化との決別を促した、そう私は考えている。

ウ 時代区分の指標としての灌漑水田稲作

・弥生時代認定の必要条件の一つが、灌漑水田稲作にあることは間違いない。また、もう一つ忘れてはならないのは、一国史の通史的理解として、弥生文化は次の古墳文化へと連続していくという視点である。そして、この二つの必要条件の間に入るのが、祭祀や精神文化面も含めた社会の複雑化・成層化という必要条件であり、この三つが揃って初めて認定十分条件となる。

エ 灌漑水田稲作を放棄した地域

青森県砂沢遺跡の水田

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

・東北地方北部では、中期の段階で水田稲作をその生業形態から外してしまい(あるいは維持できなかった)、すなわち稲作にともなう社会システムを放棄したために、社会を複雑化・成層化させる方向には進まなかった。

オ 灌漑水田稲作が遅れて導入された地域

・関東地方・中部高地で灌漑水田稲作が本格化する弥生時代中期中葉に先行する時期にはアワやキビなどの雑穀栽培があった。縄文以来の石器を改変して農具化、深鉢を変形させて穀類貯蔵用の大型壺を作っている。また墓制や土偶も変容している。

・灌漑水田稲作の存在を弥生文化認定の必要条件とした場合、その開始時期は地域によって、かなり異なることがすでに判明している。そのような状況を、縄文時代から弥生時代の移行時期が地域によってずれると理解するのか、それとも弥生文化に組み入れるのか、あるいは「別の文化」として規定するのか、その点が、今や大きな問題となっている。

カ 農耕文化複合

・農耕文化複合」とは、「農耕がたんに文化要素の一つにとどまることなく、いくつかの文化要素が農耕文化的色彩を帯びて互いに緊密に連鎖的に影響しあいながら、全体として農耕文化を形成している」状況を指す。

・遅くとも弥生時代後期の段階で灌漑水田稲作を放棄したと思われる東北地方北部を弥生文化の範疇として捉えることはできず、また関東地方・中部高地は、西日本の時間軸で言うところの弥生時代中期中葉以降になって弥生文化へと移行したことになる。

キ 弥生文化の解体と脱構築

・そして、縄文時代・弥生時代に対応する文化が、縄文文化あるいは弥生文化(北海道における続縄文文化や南島の貝塚文化の問題はひとまず置くとして)一つしかないという歴史の叙述ではなく、各々の地域・時期的実情にあわせた個別の文化を、土器型式・様式や生業形態、居住形態、精神文化、社会構造のあり方などから再設定し、叙述を行う時が来ているのではないか、とも申し述べておきたい(山田2017)。

・この場合、設楽博己が述べるように、弥生文化という語をいったん棄却して、その上で、稲作・環濠集落・金属器などといった大陸由来の文化要素を中心に、西日本を中心に地域限定的に「弥生文化」(ないしは別の名称の文化)を再設定することが必要となるだろう。その際、弥生時代の中には、北海道の続縄文文化、南島の貝塚文化以外にも、本州内に複数の文化が設定されることとなる。こうして弥生時代・文化の脱構築が図られるわけだが、これについては本書のテーマから大きく外れるので、また別の機会に論じたいと思う。

3 感想

・「縄文文化が、一つしかないという歴史の叙述ではなく、各々の地域・時期的実情にあわせた個別の文化を、土器型式・様式や生業形態、居住形態、精神文化、社会構造のあり方などから再設定し、叙述を行う時が来ているのではないか。」という記述に後押しされて、素人学習ながら土偶祭祀の盛んな文化と土偶祭祀の貧弱な文化の比較を多面的に行うことにします。象徴的に言えば、加曽利貝塚北貝塚(中期、土偶貧弱)と南貝塚(後期、土偶豊富)の対比です。違う文化であると考え、構成する人も入れ替わったと考えます。

・この図書の記述では縄文人社会が「変容」して弥生文化が受け入れられたという印象を受けます。その間のよりリアルな状況を見てみたいです。特に人の移動による統治者の入れ替えがどのようにあったのか、なかったのか、知りたいです。要するに文化・技術だけが伝染病のように伝播していったのか、それとも新天地開拓を目指して既存縄文社会に切り込んだ人々がいたのかどうか?

2020年8月9日日曜日

縄文時代・文化の終焉

 山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 40

「第五章 精神文化の発達と社会の複雑化 後期・晩期(Ⅳ期)」の「7 縄文時代・文化の終焉」を学習します。

1 縄文時代晩期と言えば「亀ヶ岡文化」だが

・亀ヶ岡式土器とは、正式には大洞式土器という型式名で、精製土器と粗製土器がある。

大洞式土器

・大洞式土器は北海道南部から関東地方、近畿地方、さらに沖縄県まで出土する。

2 晩期の位置付け

・大洞式土器の存続は3200年前から2350年前までの850年間。

・灌漑水田稲作導入(3000年前)を弥生時代はじまりとするならば、九州の晩期は200年ほど。

・大洞A式土器の時期に一気に西日本各地に大洞式土器がひろがっている。

・亀ヶ岡文化圏の人々が水田稲作の情報をもとめて西行した可能性がある。

3 メモ

・弥生時代と縄文時代が同時異相として列島に分布していたことは大変興味深い事象です。

弥生時代と縄文時代の同時異相の様子

弥生時代と縄文時代の同時異相の様子 拡大

・千葉県の縄文晩期遺跡及び弥生時代前期遺跡が県北東部に集中して分布しています。千葉県における晩期末~弥生時代前期の頃の文化は東北方面からその影響を受けていたと学習仮説しています。

・千葉県における最初の水田稲作技術伝来は、東北方面から九十九里に伝わったと仮説しています。

ブログ花見川流域を歩く2019.07.16記事「荒海式等縄文晩期最後期の遺跡密集地

荒海式土器ヒートマップと弥生時代前期遺跡分布


2020年8月4日火曜日

階層社会へのきざし

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 39

「第五章 精神文化の発達と社会の複雑化 後期・晩期(Ⅳ期)」の「6 階層社会へのきざし」を学習します。

1 社会の階層化プロセス
・階層社会とは、「一つの社会がいくつかのグループに分かれており、財貨・名誉など、有形・無形の社会的財産の分け前がグループによって違う、つまり社会的な価値が不平等に分配される社会のことである。

・社会の成層化プロセス
Ⅰ段階:単一の埋葬小群で構成される、あるいは埋葬小群が複数存在しても、装身具・副葬品がない、もしくはそれらが些少な、等質的な墓地・墓域の段階。
Ⅱ段階:埋葬小群が複数存在し、共同墓地的な様相をもちつつも、特定の個別墓に稀少性や付加価値性の高いものが集中する段階。特定の個人が発現する。
Ⅲ段階:埋葬小群が複数存在し、特定の埋葬小群に埋葬施設に対するエラボレーション(労働力の投下度合い)の高いもの、稀少性や付加価値性の高いものが集中する段階。装身具・副葬品にも大きな差異が存在し、特定の集団が浮上する。
Ⅳ段階:先の状況を踏まえて、墓域内から特定の埋葬小群が外に出る、あるいは特定埋葬小群から特定の個人たちが飛び出す段階。特定集団が突出し、エリート層が析出する。

2 キウス周堤墓群
・キウス周堤墓群は、大小八基の周堤墓から構成されており、中でも最大規模を誇る二号周堤墓は、外径七五メートル、内径三二メートル、周堤内の掘り込みから、盛り土の最頂部までの比高差は五・四メートルもある。最も小さな一二号墓でも、外径三〇メートル、内径一六メートルにも及ぶ。実際に周堤墓の内側に入ってみると、その大きさ、深さには、これが縄文時代の墓かと驚くばかりである。

北海道キウス1号周堤墓の全景
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

3 周堤墓が構築される社会
・当時の社会には、周堤墓に埋葬される人/埋葬されない人という差、そして周堤墓内に埋葬される人々の間には、周堤墓の中心部に埋葬される人/周堤墓の内部空間に埋葬される人/周堤上に埋葬される人という、何らかの差が存在したと想定されることになる。この場合の差とは、墓を造り営む上で投下されたさまざまな意味での「労働力」の差、実質的に格差とも言うべきものである。

4 周堤墓以降の社会
・カリンバ遺跡からは、さまざまな装身具・副葬品が出土しているが、その大部分は規模が大きく、地点的にも一ヵ所にある特定の土坑墓群に集中している(図61)。

北海道カリンバ遺跡118号墓における装身具・副葬品の出土状況
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

Ⅲ段階に達している。

・ただし、その場合の階層性が、政治的な権力(power)によるものなのか、それとも宗教的あるいは呪術的な権威(authority)によるものなのか、それとも狩猟が上手であった、あるいはヒスイなどの遠隔地交易品を持ち帰った、大きなイノシシやクマを倒したなど、後天的に獲得される何らかの威信(prestige)に基づく影響力(influence)によるものなのか、そしてその階層は生まれながらにして維持されるものなのか(ascribedstatus)、あるいは後天的な努力によって獲得されるものなのか(achievedstatus)という点については、さらなる議論が必要だ。

人を使役できる「力」と他の属性との相関
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

5 東北地方北部にみる階層化の兆候
・東北地方の北部における後期の墓制には、階層社会の存在の可能性を垣間見ることができる遺跡もいくつか存在する。

青森県水上(2)遺跡の「墳丘墓」
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

6 階層化の実態
・その階層化が集団内で常態化していた(ヒエラルヒー)のか、あるいは特定の場合にのみ強く発現するようなもの(ヘテラルヒー)に過ぎなかったのかについては、さらなる検討が必要だろう(図64)(松木二〇〇七)。

常に階層化している社会と場面によって階層化する社会
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

7 持続しなかった階層化
・なぜ階層社会は持続しなかったのだろうか。さまざまな理由が挙げられるだろうが、私が一番重要だと思っているのは人口である。階層・階級といった社会的な成層化が維持されるためには、相当程度の人口が必要である。世界各地の事例をみても、階層化・階級化した社会は数千単位以上の人口を抱えている場合が多い。それと比較して、縄文時代の集落、地域社会の人口(おそらく多くても数百人単位だろう)を考えた場合、一時的に階層化が生じたとしても、それが親から子どもに安定的に世襲され、恒常的に長期にわたって維持されるには少なすぎる(林一九九八)。それが階層社会が持続しなかった理由ではないかと私は考えている。

8 感想
・階層化といっても単純ではなく、どのようなレベルであるのかよく知る必要があることを学びました。
・階層化が持続できなかった理由が人口が少ないことであるとの指摘をよく噛みしめて学習します。遺跡・遺構・遺物にその考えを投影して、その考えについて実感できるようにしたいと思います。