山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 40
「第五章 精神文化の発達と社会の複雑化 後期・晩期(Ⅳ期)」の「7 縄文時代・文化の終焉」を学習します。
1 縄文時代晩期と言えば「亀ヶ岡文化」だが
・亀ヶ岡式土器とは、正式には大洞式土器という型式名で、精製土器と粗製土器がある。
大洞式土器・大洞式土器は北海道南部から関東地方、近畿地方、さらに沖縄県まで出土する。
2 晩期の位置付け
・大洞式土器の存続は3200年前から2350年前までの850年間。
・灌漑水田稲作導入(3000年前)を弥生時代はじまりとするならば、九州の晩期は200年ほど。
・大洞A式土器の時期に一気に西日本各地に大洞式土器がひろがっている。
・亀ヶ岡文化圏の人々が水田稲作の情報をもとめて西行した可能性がある。
3 メモ
・弥生時代と縄文時代が同時異相として列島に分布していたことは大変興味深い事象です。
弥生時代と縄文時代の同時異相の様子弥生時代と縄文時代の同時異相の様子 拡大・千葉県の縄文晩期遺跡及び弥生時代前期遺跡が県北東部に集中して分布しています。千葉県における晩期末~弥生時代前期の頃の文化は東北方面からその影響を受けていたと学習仮説しています。
・千葉県における最初の水田稲作技術伝来は、東北方面から九十九里に伝わったと仮説しています。
ブログ花見川流域を歩く2019.07.16記事「荒海式等縄文晩期最後期の遺跡密集地」
荒海式土器ヒートマップと弥生時代前期遺跡分布
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