2021年10月24日日曜日

磯前順一「心的象徴としての土偶」(1988)学習

 磯前順一「心的象徴としての土偶」(林道義編「ユング心理学の応用」(みすず書房)収録、1988)を学習してメモを作成しました。ユング心理学成果を土偶に投影するとどのような土偶解釈が生まれるのか興味があり、学習した次第です。


林道義編「ユング心理学の応用」(みすず書房、1988)

1 論文で興味を持った記述のメモ

1-1 縄文時代の心的段階

・縄文時代を心理的な意味での母性性が優位な段階の時期として捉える立場に立つ。

・石棒(男性性)は男根のみ、土偶(女性性)は身体全体の表現で、男性性は生殖的役目しかなかった。「太母に対する少年=愛人の植物的段階」

人間は世界から・個人は集団から・自我は無意識からあまり分離していなく、埋没していた。

・土偶や石棒は集合的無意識の裡に存在する「元型」の表現で、グレート・マザーである土偶とは母元型の象徴なのである。

1-2 土偶の呪術

・廃棄・埋納行為は未開社会に広くみられる死と再生の観念を表している。

・土偶の故意破壊は死の強調的表現。幾つかの破片に分割して分散させることで複数の新たなる生命力が以前の数倍にも増して生じてくる。

・土偶故意破損分散行為は熱帯のイモ類・果樹栽培民の植物栽培起源神話のモチーフと著しく類似している(ハイヌウェレ型神話)。吉田敦彦はハイヌウェレ型神話を中期中部土偶を結び付けているが、その時期場所でイモ類栽培の証拠はない。土偶とハイヌウェレ型神話を結びつけるのはいささか早すぎると思われる。

・人間、形代としての土偶など殺害対象つまり「犠牲となるもの」とは元型の活性化(再生)をはかるためのもの。土偶呪術とは、母元型のもつ生み育てる力を、定期的に新生させる行為と考えられる。

・土偶が中心となって出土…女性的力の死と再生、土偶が他の遺物と区別されずに出土…他の遺物の活性化

・四季の循環、悪天候など自然の衰退、集団での災い・移動、人間の死、道具の破損などで故意に土偶を破壊したであろう。

・土偶は発見量の多さから各竪穴で安置されたと考える。

・石笛・土笛が出土していることから、高度な祭りが存在していたことに間違いない。

1-3 縄文時代のなかでの心的変遷

・豊穣的な土偶に縄文が施されることが少ない。

・土偶に施される代表的文様の渦巻文は生と死の根源であるヌミーノス的なものの象徴と考えられ、グレート・マザーの基本的性格をよく表している。

・中期関東地方は経済安定を保ちながら、土偶をあまりつくらなかった地域もある。土偶を必要としなかった地域であり、母性のあまり強く必要とされなかった地域。斉一性の強い土器型式・変遷のなかにも、母性性に対する印象の揺れ動きが存在していたと思われる。

・早・前期土偶は未成熟で稚拙…心的状態がウロボロス段階の強い影響下にある。表現行為が意識の働きを前提としていて、この段階では自我の発達があまり進んでいなかった。

・中期は土偶が盛行…心的状態が完全に太母段階に入った。臀部突き出し(生殖行為による豊穣性)、子を抱いた土偶(肯定的な母性性賛美)、腕部横位・上方(上空の諸力を動かし影響を与える)

・後期初頭の非豊穣的土偶…非写実的顔とS字状の渦巻文(生と死を意味するヌミノース的象徴)

・後期中葉から後葉に乳房・腹部の膨らんだ土偶出現(多産的な力・生命力の受胎を強調する。)…例 山形土偶。

・後期後葉から晩期前半に誇大眼部と非豊穣体部の土偶(目は冥界や死を表現)…例 遮光器土偶、みみずく土偶。

・晩期後半以降土偶は消滅あるいは形骸化していく。

・土偶の終末期に死の色合いを濃くするものが出現したことは、自我の強化が進み、太母である無意識との良好な保護関係が終わろうとしていることを意味すると考えられる。

盛行期(中・後・晩期)の土偶


磯前順一「心的象徴としての土偶」(林道義編「ユング心理学の応用」(みすず書房)収録、1988)から引用

2 感想

・ノイマン「意識の起源史」における研究をベースにこの論文が成り立っているように感じます。自分はノイマン「意識の起源史」をまだ読んだことがないので、この学習は論文の表層を眺めただけの軽薄なものにすぎません。

・この論文は、1988年当時の考古学成果にノイマン「意識の起源史」の考え方を投影すると、人間の心発達史における縄文時代の心的段階とその在り方が、浮かび上がったというきわめて興味深いものです。

・意識の発達の歴史が土偶の変化の中に読み取れるという見方はこれまでに接したことのない情報であり、魅力的です。説得的でもあります。早速ノイマン「意識の起源史」の入手を手配しました。到着次第読んでみることにします。

・渦巻文、S字状の渦巻文、臀部突き出し、子を抱いた土偶、腕部横位・上方などの意味についての説明はとても興味深く、参考になります。

・本論文では、土偶に関する考古学的事実や観察から心的事柄を推察するという筋立てになっていません。あくまでもノイマン「意識の起源史」の考え方を大前提にして、それに因れば土偶観察から〇〇のような心的事柄が浮かび上がるという研究方法になっています。論文が向いている方向はユング心理学豊富化にあるようです。



2021年10月17日日曜日

磯前順一「土製儀礼用具-ポスト構造主義と組成論」学習

 趣味活動の一環である土偶学習をより楽しむためにはある程度専門的知識を入手する必要性を感じるようになりました。

ブログ花見川流域を歩く2021.10.11記事「土偶学習の発起

手元の一般図書以外に考古学専門書・論文も学習してみることにしました。その第1弾を磯前順一(2014)「土製儀礼用具-ポスト構造主義と組成論」(講座日本の考古学4縄文時代下、青木書店)として学習しましたのでメモします。


磯前順一(2014)「土製儀礼用具-ポスト構造主義と組成論」が掲載されている講座日本の考古学4縄文時代下(青木書店)

自分のこれまでの学習・知識と真向から衝突し否定する記述も含まれていて、結果的に最初の学習文献としてはとてもふさわしいものでした。なぜこの文献を最初に学習したいと思ったのか詳しい経緯は錯綜してきていますが、大方の専門図書参考文献に掲載されていることと、著者がユング心理学からの土偶理解など視野が広い研究者であるように感じたからです。

以下、主な記述内容と感想をメモします。

1 編年研究のいきづまり

1-1 記述

・型式研究から宗教観念を探ろうとする試みが座礁したことが明らか。

・どのようなかたちで型式から観念を探るべきなのか、その問の立て方を吟味する必要がある。

・型式研究とはいったい何なのか、型式の内実をきちんと検討することが大切。

・筆者の宗教遺物構造論、大塚達郎のキメラ土器論がそれぞれのやり方で方向性を示唆している。型式研究は時期区分のための編年確立に尽きるものではない。

・社会構造の動態を表出した集合表象としてよみとられるべきものである。

・これまでの土偶研究は型式研究を編年研究として、時期区分のための分類作業として捉えてきた傾向がある。そこで区分された時空間のまとまりからどのような特徴を読み取るべきなのかということを等閑してきた。

1-2 感想メモ

従来の土偶型式研究は編年確立に偏重して、宗教観念を探る試みは座礁したという現状判断を考古学研究者がしていることを初めて知りました。また、編年により時期区分された時空間のまとまりにどのような特徴を読み取るかということが重要であるとの指摘が今後の研究方向と大いに関係があると考えます。

2 宗教研究の陥穽

2-1 記述

・吉田敦彦「土偶の神話学」は水野正好「土偶祭式の復元」を神話学の知見から展開したもの。このような土偶論にたいして他民族の民族誌では縄文文化の特異性を理解できないとの不信感がある。斉一性(人類や特定文化圏のなかの共通性)の論理に疑問がある。

・宗教学や神話学の目的は宗教や神話の観念を解き明かすことであり、さまざまな地域や過去の社会を題材にして一つの「仮説」として概念を組み立てる解釈行為である。それは新たな資料で絶え間なく修正され、然るべき時期がくれば異なるパラダイムによって抜本的に読み替えられていく行為遂行的な発話である。

・この解釈概念を事実化しようとする欲求が潜んでいる。考古学者はその欲求を鵜呑みにしてはならない。

2-2 感想メモ

ア 吉田敦彦「土偶の神話学」について

ア-1 吉田敦彦の論を事実と勘違いしてはいけない

吉田敦彦の土偶に関する神話学は最近の自分の土偶観察の根拠・理論背景としてきたものです。それが真向から否定されているので大きな刺激を受けます。


愛読している図書 吉田敦彦「縄文の神話」

ここでの批判は次のような論理になっています。

「吉田敦彦が神話学のテーマとしてハイヌウェレ型神話や地母神像の内容を豊かにし、その分布を確保するための補助資料として土偶を論じることは「解釈」である限り、なんら論理的誤りはない。問題はそこで推察された文化圏が実体化され、土偶の観念を論じるさいにあらかじめ用意された「事実」にまつり上げられたときに、懸念が生じる。」

吉田敦彦は東アジアから東南アジアにかけて女神殺害再生神話が分布し、それと同じ神話が縄文社会に存在していたと考え、土偶はその神話に基づく祭祀で使われたものと詳しく論じています。

このような吉田敦彦の解釈・仮説を考古学が真に受けてはならない(事実と勘違いしてはいけない)というのが磯前順一の指摘です。

考古学という立場にたてば真っ当な議論だと思います。考古学独自の手法で土偶とか縄文宗教観念とかにせまりたいというのが磯前順一の願いであることが判りました。

ア-2 神話学や心理学からみた土偶

神話学や心理学の知識や興味を土偶に投影して土偶を解釈した仮説は考古学者の研究とは関係ないということになりますが、一般市民としては興味をもつところです。自分の趣味活動では神話学者吉田敦彦の土偶解釈・仮説を楽しみたいと思います。また磯前順一が以前行っていたユング心理学を土偶に投影した解釈・仮説も楽しみたいとおもいます。最近話題になった人類学者竹倉史人の「土偶を読む」も楽しみたいとおもいます。

考古学土偶研究の学習を基本としつつ、周辺学問における土偶研究も学習して、自分の土偶学習を豊かなものにしたいと思います。

3 考古学で「知る」ことの2つの次元

3-1 記述

考古学で「知る」ことは次の2つの次元から構成されている

1 物理的証拠から確定される事柄(壊す埋める作り直す)…過去の事実に接近できる

2 宗教観念の推測…異なる時代・地域の社会の分析から導き出された概念が土偶に当てはめられる。推測で依拠する観念自体が既に推測の産物である

縄文時代を知るとは物理的事実をもとにしながらも既存の解釈によって有意味化させること。

「~という解釈を前提とすると、縄文人の痕跡はこのように読み取ることも可能である」という推測の段階。

縄文人が宗教的行為を概念化して理解していたとも限らない→神話のような概念的なものと儀礼のように言語を介さない身体行為をとる場合がある。

土偶のように儀礼行為をともなうものでは意識化された概念次元よりも無意識的な身体行為に強く結びつく傾向を持つと考えられる。→現代研究者と縄文社会の宗教行為の間に溝が生じる。

観念の実体的復元が最終目標にはなりえない。

「興味深いしかも甚だ把捉しがたい問題を如何にして解くことができるであろうか」といって問いのあり方そのものが考慮されなければならない。どのように彼らの信仰を論じるべきなのか、どのようなかたちであればそれが可能になるのか、問いの立て方自体が問題なのである。

3-2 感想メモ

「縄文時代を知るとは物理的事実をもとにしながらも既存の解釈によって有意味化させること。」これが土偶学習の真髄であるとかんじます。どんなに精緻に物理的事実を調査しても、既存の解釈が無ければ(既存の解釈が優れていなければ)土偶の有意味化ができないところが悩ましいところです。

4 2つの研究動向

4-1 記述

次の2つの研究動向が浮上している

1 縄文末期から弥生前半期にかけての土偶の意味変容論

2 縄文中期以降の土偶型式の組成論

1の設楽博己の研究…黥面土偶・土偶形容器・顔付土器→地母神的な「多産の象徴」から「祖先の像」へと意味変容したという解釈

磯前順一は亀ヶ岡文化の宗教関連遺物の構造性を析出した。


亀ヶ岡文化の宗教関連遺物の構造性

縄文社会の宗教研究は縄文時代の均質な世界観を捉えるのではなく、各時期各地域の複雑性へ踏み込んでいいくことになる。

構造変形は地域性の問題につながる。

安行・亀ヶ岡双方に(よそ者・異人)がいる

異系統土器、キメラ土器

4-2 感想メモ

自分の土偶学習でどのような分野で誰の研究を学習すべきか、そのターゲットを考える上で参考になります。

5 まとめ

5-1 記述

型式と遺物あるいは構造と遺跡との往還関係から縄文社会の信仰関係を研究するためには、型式や構造という理念型は欠かすことのできない概念であり、このような同一性を介在させることで、はじめて現代の研究者にしても当時の社会の人々にしても、一定の共同幻想のもとに文化や社会を構築することができるのである。

先史社会の宗教研究は、神やマナなど、不可視の力として想起される人間の世界把握の思惟様式を、型式と遺跡との往還関係のなかで、構造の変転過程として思考していくことなのである。

5-2 感想

土偶型式の学習を急ぎたいと思います。また今回はじめて構造(例亀ヶ岡文化の宗教関連遺物の構造性)という概念を知りました。いつかどこかの遺跡を事例にして構造を学習してみたいと思います。

2021年10月10日日曜日

顔からみた弥生文化の四つの特徴

 設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)学習 17

この記事では設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)の「異形の精神史-エピローグ-」を学習し、最終回とします。


設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)カバー

1 顔からみた弥生文化の四つの特徴

本書では、顔からみた弥生文化の四つの特徴を縄文文化や古墳・律令期との比較で次のようにまとめています。

1 戦争と辟邪思想のはじまり

2 男女間のパワーバランスの変化

3 支配・被支配にもとづく不平等な格差社会の出現

4 大陸との交通関係の頻繁化、緊密化によるグローバリゼーションの拡大

縄文時代の土偶は辟邪思想はうかがうことはできず、敵対するものはいなく、いずれも祖先祭祀にかかわる表現です。戦争が男女間のパワーバランスを変化させ、中央と周縁世界の形成によりマイノリティーが出現しました。これらの現象が顔の造形に変化をもたらしました。

2 弥生時代の戦争の実態

弥生時代の戦士の絵画は、エジプトやアッシリアの壁画、中国の兵馬俑などにくらべれば緊迫感を欠いた子どもの絵のようなものである。


弥生時代の戦士の絵画


アッシリアと中国の戦士像

3 感想

この本を読んで弥生時代とその前後の顔の変化を詳しく知ることができました。また最後の弥生時代の戦士の絵は大陸の戦士の絵とくらべて「緊迫感を欠いた子どもの絵のようなものである。」との強烈な指摘は、弥生時代の戦争は、世界史的視点から俯瞰的にみなければその特質はあぶりだせないことを示しています。

この本をよく読むと、自分にとっては新しい知識ばかりで、次から次へと確認したい事柄とか、疑問が湧いてきます。それらの検討を深めればまだまだ学習を続けたくなります。しかし、この本だけでなく、著者の別の著作物もぜひとも読みたくなっていますので、思い切ってここら辺で学習を一端区切ることにします。

先端的知識や巧みな考証論理展開が見られるこの興味深い図書を出版された設楽博己先生に感謝申し上げます。