2019年1月17日木曜日

13000年前のスタートライン

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 2

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習記事第2回目です。最初が2018.09.25記事「ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習スタート」ですからなんと4ヵ月ぶりになりお詫びします。
この図書以前にジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」を2017年12月から2018年9月にかけてブログ花見川流域を歩く番外編で24記事にわたり学習しています。「文明崩壊」から多くの学習ヒントを取得することができ、特に鳴神山遺跡(奈良時代開発集落)の衰滅原因考察に大いに役立ちました。しかし「文明崩壊」の事例はほとんど全て農業社会でした。
その点、「銃・病原菌・鉄」は狩猟採取社会が農業社会に発展する際の地理的不均衡がその後の現代にまでつづく世界社会不均衡の原因であることを暴き出していて、日本縄文社会の消長を考える上で参考になる情報を得られそうです。縄文学習との関連を気にしながら「銃・病原菌・鉄」の学習を進めることにします。
この記事では「第1章 13000年前のスタートライン」を学習します。

1 13000年前のスタートライン
著者は最初に次のような結論を述べています。
人類の歴史を、それぞれの大陸ごとのちがいに目を向けて考察するには、紀元前1万1000年頃、すなわち現在よりおよそ1万3000年前を出発点とするのが適切だろう。1万3000年前とは、地質学的には更新世の最終氷河期が終わり、現在に至る完新世がはじまった時期にあたる。これは、世界のいくつかの地域で村落生活がはじまり、アメリカ大陸に人が住みはじめた時期にも相当する。少なくとも一部の地域では、それから数千年以内には植物の栽培化や動物の家畜化がはじまっている。
つまり13000年前が現代社会の不均衡を考える上でのスタートラインとして設定できるとしています。
13000年前以前の状況で既に大陸間不均衡の差が存在していなかったという著者の考えをこの章では以下のように詳しく説明しています。
・10万年前から5万年前までの間に人類に「大躍進」があった。形状の揃った石器、装身具、釣針、銛、投げ槍、弓矢、壁画、彫像類、楽器類などが出土。人類の咽頭が発話可能となり言語能力が使えるようになったから。
・「大躍進」はアフリカ起源か世界同時発生かはまだわからない。
・「大躍進」時代はアフリカとユーラシアにしか住んでいなかった人類がオーストラリア大陸とニューギニアに広がった時期である。
・約20000年前に人類はシベリヤにまで拡大した。
・14000年前からアメリカ大陸に人類が拡大し、13000年前頃北アメリカ大陸で人口が増加した。クローヴィス式遺跡がこの時期に集中する。1000年間の間に南アメリカ大陸に広まった。
・13000年前以前に現代社会の不均衡(それは西暦1500年頃の不均衡に起因するから、本質的には西暦1500年頃までに生じた世界の不均衡)に結びつく要因を大陸間比較で見つけることはできない。

人類の拡散
ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」から引用

2 考察
人類がスタートラインに立った13000年前頃の様子について、アメリカ大陸人類拡大図と日本縄文草創期変遷図を結びつけてみました。

人類の南北アメリカ大陸進出と縄文草創期変遷の時間軸対応
アメリカ大陸に人類が進出した時期と縄文草創期がほぼ一致します。
氷河時代が終焉を迎えたという環境変化によりアメリカでは氷河後退によるアラスカからの通路成立、日本では植生変化による食料確保方法の変化などが生れたものと推測します。
隆線文土器について思考を巡らす時、その時代がアメリカ大陸人類進出時期と重なると考えると、そのような結びつきをこれまで考えたことがなかったので刺激を受けます。その刺激により、隆線文土器の意義についてより深く考えてみたい、考える価値があるに違いないと考えます。隆線文土器に対する興味が増します。
クローヴィス式遺跡と縄文草創期遺跡の出土物等比較資料があれば入手して較べてみたくなります。
なお、アメリカ大陸における土器発生は南アメリカで7500年前、北アメリカで5500年前と言われています。(「縄文はいつから」による)




2019年1月14日月曜日

中川毅著「人類と気候の10万年史」

中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)を読み「驚きの地球気候史」に本当に驚きました。数十年前に自分にインプットされた同種知識をこの本で感動を伴って2019年版に書き換えることができました。眼からウロコが落ちた思いです。

中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)表紙

1 参考になった点
●水月湖年縞堆積物
水月湖年縞堆積物が毎年の気候指標となることに着目し、ボーリング技術により切れ目のない15万年の年縞を採取した活動が詳しく述べられています。得られたデータは世界的意義がある過去気候資料であり、地質学の標準時計になりました。

年縞の例
中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)から引用

●過去の気候変動
水月湖年縞堆積物データをもとに過去の気候変動について詳しく解説しています。

水月湖15万年の気候の歴史
中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)から引用

●気候変動に与える人の影響
気候変動に与える人の影響について詳しく論じています。現在は本来氷河期に入っているべき時期であるが(数千年前からの)人の活動によりそれが遅れている(さらに温暖化が進んでいる)という説も紹介されています。

氷床のボーリング試料に記録された、過去の温室効果ガス濃度
中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)から引用

●今後の気候変動とそれに対する人類の対処
今後の気候変動とそれに対する人類の対処について、理学書の範囲を超えて、著者の考えを詳しく展開しています。

2 感想
・水月湖という埋まらない、奇跡的ともいえる堆積環境の存在に驚きました。
・年縞堆積物を正確に掘り出す作業が最初にあり、その作業期間は本来の研究業績が望めないのですから、その地味な活動を展開した研究グループの先見性は素晴らしいと思います。
・水月湖年縞堆積物の学術的世界的意義の大きさに驚きます。
・この図書でのべられているように、旧石器時代から縄文時代にかかるころの環境が詳しく判りつつあります。その時代に関する自分の考古学習的興味がますます深まります。
・理学書の範囲を超えて将来の気候変動とその人類対処について述べている様子は素晴らしいと思います。通常の学者は専門内部の事から話が飛び出すことは少ないですが、著者は自分の研究意義を人類社会レベルで思考しています。

2019年1月11日金曜日

土器はいつから? 2

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 15 (シリーズ最終回)

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「追補 土器はいつから? 列島最古段階の土器の年代は決まったのか? 工藤雄一郎」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 土器はいつから? 列島最古段階の土器の年代は決まったのか? 工藤雄一郎 概要
・炭素14年代測定法の考古学における適用の歴史を詳しく解説しています。
・大平山元Ⅰ遺跡出土土器(同一個体と考えられる)に付着する炭化物5点の測定結果をIntCal04とIntCal09の較正曲線を使って年代を検討し、IntCal04よりIntCal09の方が年代が古く出るが、同時に確立分布の幅が広くなってしまい、正確な年代を絞り込むことがきわめて難しくなったことが述べられています。

大平山元Ⅰ遺跡の炭素14年代と較正年代の比較

2 メモ
・WEBを閲覧するとすでにIntCal13が発表されていますので、C14年代測定で13000年前頃のIntCal09とIntCal13の較正曲線を拾って比較できるようにしてみました。

IntCal09の較正曲線

IntCal13の較正曲線

・IntCal13の較正曲線はIntCal09に存在していたC14測定13000年前頃の中だるみが少なくなり、大平山元Ⅰ遺跡のデータを当てはめると確率分布は再び狭くなり、より正確な較正年代が得られるようになったようです。

2019年1月9日水曜日

土器はいつから?

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 14

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「追補 土器はいつから? 土器出現とその年代 日本列島における出現期の土器の様相 小林謙一」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 土器はいつから? 土器出現とその年代 日本列島における出現期の土器の様相 小林謙一 要旨
・共伴する石器の様相から大平山本Ⅰ遺跡や後野遺跡などの無文土器が最古の土器と位置付けられる。15000年前よりは古く、17000年前までの1時点と考えられる。
・ロシアアムール川流域の発生期土器(15000年前くらい)、中国南部の古い土器(18000年前、20000年前説あるが不確定、15000年前は確実)と日本本州島東部の古い土器は位置が隔絶しているので多元的に始まった可能性がある。東アジアが世界最古であることは間違いない。
・東アジアの最古土器は農耕の起源とは無関係に生み出された。
・日本海側の海流変化にともなう植生変化(落葉樹林の混合)のなかで土器が育まれた。植物質食料のアク抜きなどで土器が必要であった可能性がある。樹皮やコケなどを含めて、さまざまな食糧資源を効率的に摂取するために用いたのだろう。
・旧石器時代に炉があるので、土器の必要性が高まれば土器が作り出されたという状況があった。
・草創期、早期の土器底は丸く、これは不整地でつかうためであると考える。
・隆線文土器の文様は時間および空間の違いによって少しづつ変化していて、全体として隆線の条数が増す多条化の方向を示すなど地域間での情報交換が認められる。

東日本・関東地方の隆線文土器の変遷 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

・縄文時代草創期すなわち縄文文化のはじまりの画期として、日常的に装備される通常の道具としての土器が列島全体に広まった隆線文土器(15500年前~14000年前)の成立をもって考える。
・隆線文土器と次に示す他の文化要素の組み合わせから、隆線文段階にその後12000年以上つづく縄文文化の基盤が成立していると考える。
1 広域的な土器形式ネットワークの形成
2 住居状遺構の構築と岩陰・洞穴居住にみられる定住化の促進
3 有茎尖頭器・石鏃・矢柄研磨器にみる弓矢の完成
4 線刻礫(石偶)・土偶などの精神遺物の一般化
・出現期の無文土器は石器群や土器出土遺跡の少なさから、あくまで旧石器時代において先駆け的に土器が用いられたと捉える。


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参考 時代区分の比較 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
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2 メモ
・本書で各著者が述べたことはそれぞれ微妙にニュアンスが異なるものが含まれていますが、この追補は明瞭な論旨が一貫していてとても判りやすい土器出現とその年代説明になっています。各論あるなかで最も共鳴できるものです。
・隆線文段階にその後12000年以上つづく縄文文化の基盤が成立したという考えはとても説得力のあるものです。

2018年12月25日火曜日

縄文時代はじまり年代観変遷

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 13

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「おわりに-炭素14年代測定および古環境研究の進展と「縄文はいつから!?」-」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 縄文時代のはじまりの年代観と環境史的位置づけの変遷

縄文時代のはじまりの年代観と環境史的位置づけの変遷

2 メモ
・1960年代中頃に大学教育を受けた自分の年代観はつい最近までBでした。
・較正年代とかIntCal09の意味がわからないまま趣味活動を続けてきたのですが、最近ようやくその意味が判るようになりました。
・特に「目からウロコが落ちた」ように年代に関する状況が判ったのは最近のことで、それは中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)を読んだ時です。
・素人とはいえ年代観に関して「時流に追いつけた」感が生れて、考古歴史学習活動に関する意欲が増します。
・「縄文はいつから!?」の記述が少しづつ理解できるようになりつつある自分の思考・感情を観察すると、はじめてC14年代測定法とか海面変動曲線を知った大学生の頃の自分を思い出すことが出来ます。

2018年12月24日月曜日

遺跡の立地

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 12

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「討論-縄文時代のはじまりをどうとらえるか-」の小項目「遺跡の立地」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 「遺跡の立地」の要旨
ア 会場質問「縄文草創期遺跡などは沖積地に埋没した場所もあるのではないか」…回答「旧石器時代遺跡や縄文草創期遺跡は沖積地の地中深いところなどに生活の痕跡があることは間違いないと考えるが、推測の手がかりはない。」

イ 縄文草創期隆線文土器の時期は平坦面の少ない丘陵地に遺跡が集中する。その場所は縄文早期罠猟(陥し穴、有舌尖頭器…仕掛弓)の場所と一致する。旧石器時代遺跡は平坦面を持つ相模野台地に多く、そこに縄文草創期隆線文土器の遺跡は少ない。
つまり縄文草創期隆線文土器遺跡と旧石器時代遺跡は異なる形で地形に対する選択性が強い。
縄文早期以降は多様な環境を幅広く利用するので地形選択性は弱くなる。
(関連遺跡分布地図を2018.10.31記事「関東南西部の縄文時代草創期の様相」に掲載)

2 考察
ア 沖積地埋没旧石器時代遺跡に関する考察はブログ花見川流域を歩く2017.01.17記事「興味を挑発する沖積地旧石器時代遺跡」などで繰り返し行ったことがあります。

イ 武蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地では旧石器時代遺跡、縄文草創期隆線文土器時代で地形に対して異なる選択性が強く働いています。
同様の遺跡分布地図を房総で作成すると旧石器時代遺跡と縄文草創期遺跡や早期罠猟(陥し穴、有舌尖頭器)の場所の地形選択性違いは武蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地と違った様相を呈しているように観察できます。

縄文時代草創期遺跡

縄文時代草創期遺跡と旧石器時代遺跡
草創期遺跡と旧石器時代遺跡の地形選択性が異なるとはこの地図からは観察できません。

縄文時代草創期遺跡と陥し穴
縄文時代草創期遺跡は陥し穴が密集する地形付近にあることは確認できます。

縄文時代草創期遺跡と有舌尖頭器出土遺跡
縄文時代草創期遺跡分布はなにか有舌尖頭器出土遺跡分布と似ているように観察できます。有舌尖頭器が仕掛弓罠猟を意味していて、それが谷密度の高い場所(地形が複雑に開析されている場所)に存在しているのだと気が付くと武蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地における研究結果と整合性が生れます。房総では一つの地形区(下総台地)に蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地にみられる多様な狩猟地形環境が全て備わっている可能性が考えられます。

縄文草創期遺跡と早期遺跡
縄文早期になると多様な地形環境を利用している様子がわかります。







2018年12月19日水曜日

土器発明の理由を因果律ではなく作用律から考える

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 11

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「討論-縄文時代のはじまりをどうとらえるか-」の小項目「土器はどのように使われたか」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 土器発明動機に目的はなかった
・これまでの土器出現の説明「ドングリアク抜きとの関連」は最古土器発明段階(15000年前の氷期)でドングリがない環境であったことから否定される。
・ドングリアク抜きなどの特殊化された目的のために土器が出現したのではない。(ただし、後の温暖化した時代には土器利用はドングリアク抜きに大きく関連した。)
・土器が目的や用途として使われた事実と、それ以前に土器をつくろうと思った動機付けはイコールではない。1対1ではない。
・土器そのものが生み出される可能性として、粘土が可塑性に富んでいて、造形が容易だという、この性質に人間が気づいたことがひとつの大きな要素だと考える。
・土器そのものの必要性、用途や目的という因果律を検討することは重要だが、同時に作用律として、ヒトが粘土を自由に造形できる、そういうことが大きく関わっているのではないか。

粘土から土器へ
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

土器制作と粘土細工
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

2 感想
・最古の土器が15000年前でドングリが存在しない環境で生まれたことから、これまでの土器発明動機(ドングリアク抜き)は否定されます。
・因果律で説明するのではなく「作用律」で土器発明とその後の利用を考えるべきであるという考えがこの本で述べられています。随分と哲学的な思考をしていると感心します。しかし、苦肉の策であるような印象を受けます。
・15000年前になぜ「作用律」が発動して土器が発明されたのか、その時期がなぜ20000年前ではないのか、25000年前ではないのか説明が欲しくなります。
・土器発明動機としての「ドングリアク抜き」は否定されたのですが、15000年前頃の社会発展段階で液体保存機能や煮沸煮炊き機能に対するニーズが高まり、ついに土器が発明されたという因果律説明がどうしても欲しくなります。


2018年11月14日水曜日

最古の土器

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 10

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「討論-縄文時代のはじまりをどうとらえるか-」の小項目「最古の土器」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。

1 最古の土器
前記事(2018.11.08記事「縄文時代と旧石器時代の区分」)の感想で「・掲載図(土器のはじまり)では中国河南地域の年代は18000年となっています。一方文章中ではこの数値には着目がありません。何か理由があってそうなっていると思います。」と書きました。
この疑問に直接答える記述がこの項目に書いてありました。
要点は次の通りです。
ア 中国の玉蟾岩(ぎょくせんがん)洞窟遺跡で18000年前土器が見つかったという報道(2009年)について
・土器付着物ではなく、土器出土層準の動物骨や炭化物を測定している。古くて18000年前、新しくて15000年前の可能性がある。

玉蟾岩洞窟から出土した土器に関連する層序の年代

イ 日本で一番古い土器の年代測定は1998年でおおよそ16000年前から15000年前の間にこの土器が使われた。

参考 大平山元Ⅰ遺跡の土器付着物の年代測定結果

ウ 玉蟾岩洞窟遺跡の年代が一番古い場合は日本列島最古の土器よりも古い年代になり、土器出現の契機として重要になる。

エ 年代が新しいものが正しい場合、日本列島最古の土器と近い年代になり、東アジアの土器出現の契機を考える場合重要になる。今後いろいろ検討したい。

オ 玉蟾岩洞窟遺跡ではイネのプラントオパールが出ていて、土器発生の契機として、イネ科植物、野性イネの利用が注目される。

カ 土器が18000年前の寒冷気候のなかで発生したとなると、イネ科種子が多かったとは考えられないが、イネ科植物種子の利用が土器発生の一つの契機となると考える。

2 感想
中国の土器出現が18000年前にさかのぼるという情報は学術界で十分に咀嚼されていないようです。日本の学者は半信半疑で眺めているようです。
中国の土器出現が18000年前とすると文化の流れは中国→日本ということも考えられます。一方15000年前だと考えると、東アジアで同時発生したと考えることもできます。ナショナリズム的感情も絡む思考になります。
土器出現とは、植物を動物の肉・骨と一緒に煮て美味しく食べるの道具発明であり、その発明が氷河期に行われたと考えておくことにします。

2018年11月8日木曜日

縄文時代と旧石器時代の区分

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 9

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「討論-縄文時代のはじまりをどうとらえるか-」の小項目「縄文時代と旧石器時代の区分」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。

1 縄文時代のはじまりの時代区分について
・縄文時代のはじまりとは縄文文化のはじまりである。
・縄文文化をとらえる要素として土器、弓矢、定住的生活・住居跡、磨石・石皿、土偶、貝塚などがある。
・土器→弓矢→定住化→土偶という順番で変化がおこり、土器の出現によっていろいろな変化が起きた。
・もっとも大事なのは土器である。
・世界の土器のはじまりは日本、中国河南地域、アムール川流域で15000年前にさかのぼる

土器の始まり 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

・縄文時代区分には3つの考えがある。
1 縄文土器出現をもって縄文時代のはじまりとする考え。
2 縄文土器出現から縄文文化要素が出そろうまでの期間を移行期とする考え。
3 縄文土器が一般化する時期をもって縄文時代のはじまりとする考え。

縄文時代のはじまりをめぐる時代区分の比較 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用 

2 感想
・何故、土器→弓矢→定住化→土偶という順番で変化が起きたのか、その理由について直観的にわかりません。なぜ土器なのか、さらに学習(思考)したいと思います。
・何故、日本列島の土器が(あるいは東アジアの土器が)世界的にみて最古なのか、その理由が直観的に判りません。さらに学習(思考)したいと思います。
・掲載図(土器のはじまり)では中国河南地域の年代は18000年となっています。一方文章中ではこの数値には着目がありません。何か理由があってそうなっていると思います。
・縄文のはじまりの時代区分は、どの区分方法が一番研究促進に役立つか、あるいは一般社会に理解してもらえるかということで決まるのだと思います。いずれの区分を採用するにしてもさらに細区分をして研究成果を投影することになると考えますので、1の区分が単純で一般人にも理解できるという点で最も優れていると直観します。

2018年10月31日水曜日

関東南西部の縄文時代草創期の様相

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 8

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「関東南西部の縄文時代草創期の様相 安藤広道」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。

1 旧石器時代~縄文時代早期の遺跡分布
この論文に記述されている旧石器時代~縄文時代早期遺跡分布の記述・考察を以下に要約します。
1-1 旧石器時代~縄文時代草創期初頭
旧石器時代の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
広い平坦面が残っている相模野台地の細い谷に面した台地に遺跡が集中し、地形が複雑な下末吉台地や平坦面のない多摩丘陵では遺跡は少なくなっている。

縄文時代草創期初頭の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

土器が出現した頃(較正年代で16000年前~15000年前)の遺跡も旧石器時代と同じく相模野台地にまとまっている。石器の構成は槍が中心となっている(図96上段)。槍を使った狩猟が相模野台地の地形的特徴に適していた。生活は旧石器時代から大きく変化していなかった。

図96 縄文時代草創期~早期前葉の石器組成 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用


1-2 縄文時代草創期(隆線文期)

縄文時代草創期(隆線文期)の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

急激な気候変動が生じた隆線文期(較正年代15000年前~13000年前)になると多摩丘陵に遺跡が集中する。石器は狩猟具が中心である点は前の時期と同じであるが、槍の数は減少し有舌尖頭器、石鏃が出現し定着する。有舌尖頭器は多摩丘陵に集中し、それを使った狩猟活動が丘陵地形に適したものであった。

1-3 縄文時代早期前葉の遺跡分布

縄文時代早期前葉の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

縄文時代草創期後半、いわゆる爪型文土器や押圧縄文土器の時期になると遺跡の数はすくなくなる。その後縄文時代早期前葉(較正年代約10000年前)になると遺跡が急増し竪穴住居祉が増え土器出土量も増加する。定住傾向がさらに強くなったことを示している。
この時期は下末吉台地から多摩丘陵に遺跡がまとまり、特に下末吉台地に遺跡が集中し、石器構成に打製石斧、敲石、磨石、石皿などの植物質食料と関係する器種が増加する(図96下段)。この時期に三浦半島で貝塚が形成されていることから、海、川、陸に生息する多様な植物、動物を食料源とする、以後の縄文文化の特徴的な、多角的な生業へと変化していることがわかる。多様な自然資源の利用には地形の複雑な下末吉台地が適していたと考えられる。

1-4 有舌尖頭器の用途
縄文時代草創期(隆線文期)遺跡と有舌尖頭器出土が多摩丘陵に集中しているが、その分布と縄文時代早期後葉(較正年代で約8000年前)の陥し穴の分布が一致する。

縄文時代早期後葉の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

陥し穴の分布と一致する有舌尖頭器による狩猟は消極的な自動罠猟である可能性が高く、仕掛弓である仮説を持つことができる。有舌尖頭器が複数近くから出土したり、有舌尖頭器の大きさが石鏃より大きいことがこの想定に合う。

2 感想
地形の特徴と遺跡分布の特徴を対応させた考察は大変参考になります。早速この論文を使って千葉県遺跡を同様に説明できるかどうか学習してみたいと思います。この論文は自分の学習を促進させるものになると思います。また、GIS連動千葉県遺跡DBが学習に使えるようになりつつあるので、この論文学習はDB利用促進とも重なり時機を得たものになったと思います。