2019年4月10日水曜日

持てるものと持たざるものの歴史

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 6

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習をページを追ってしています。この記事では「第5章 持てるものともたざるものの歴史」を学習します。この章は持てる者の発生を較正年代で提示しています。

1 食料生産の地域差
著者は次のように述べています。
「人類史の大部分を占めるのは、「持てるもの(Haves)」と「持たざるもの(Have-nots)」とのあいだで繰り広げられた衝突の数々である。」ジャレドダイアモンド.銃・病原菌・鉄 上巻から引用
持てるものとはつまり食糧生産を早期にはじめた集団です。
著者は考古学のC14較正年代により食料の生産が独自に始まった地域とよそから持ち込まれた家畜や農作物がその土地の野生種の飼育栽培化の「基盤」となった地域を整理しています。

食料の生産が独自にはじまった地域

飼育栽培化された動植物の例

食糧生産が最初にはじまった地域は限られていて、その地域からの影響の過程を経て「食料生産を他の地域に先んじてはじめた人びとは、他の地域の人たちより一歩先に銃器や鉄鋼製造の技術を発達させ、各種疫病に対する免疫を発達させる過程へと歩みだしたのであり、この一歩の差が、持てるものと持たざるものを誕生させ、その後の歴史における両者間の絶えざる衝突につながっているのである。」とこの書の結論になる記述をしています。

2 食料生産が独自にはじまった地域と縄文土器の較正年代対比
食料生産が独自にはじまった地域と縄文土器とは直接の関係はありません。しかし双方の情報を同じ次元で見るために較正年代で対比してみました。

食料生産が独自にはじまった地域と縄文土器の較正年代対比

よそからの影響で野生種飼育栽培がはじまった地域と縄文土器の較正年代対比

3 感想
・人類が農耕牧畜をはじめた時期が縄文時代早期(撚糸文土器頃)であることを知りました。
・土器が食糧確保の道具であると考えると、人類史とみれば、土器の発明による食料確保の段階があり、その次の段階として農耕牧畜の発生があるという順番になります。
・中国に農耕牧畜が発生してから5000年間の間(縄文早期中頃~晩期)、列島縄文人が農耕牧畜を取り入れなかった(拒否した)理由に興味が深まります。
・「食料生産が独自にはじまった地域と縄文土器の較正年代対比」図を作成することによりジャレド・ダイアモンドが示す人類史の興味と、縄文土器学習(=縄文社会学習)の興味の双方が加速的に深まります。

2019年2月7日木曜日

食料生産と征服戦争

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 5

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習をページを追ってしています。この記事では「第4章 食料生産と征服戦争」を学習します。この章はこの著書結論を1枚のチャートで示している要約章ですから感想が尽きません。

1 食料生産と征服戦争
一言で要約すると次のようになります。
食料生産の技術を先に身につけた人間集団の方がそうでない集団より優位にたった。人口増→階層大規模社会→技術の発達→銃・病原菌・鉄→ヨーロッパ人による世界征服。
食料生産の技術を先に身につける条件は、その土地で栽培植物種の分散が容易であり、家畜化の適性のある動物種が存在していることである。そうした条件のある大陸が東西方向に伸びるユーラシア大陸であったのであり、南北アメリカ大陸やアフリカ大陸ではない。

広範なパターンを生じさせた諸要因の因果連鎖
ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」から引用

2 メモ
2-1 縄文学習に有益な直接・間接のヒントを期待する
食料生産を始めた地域が既に近くに存在していたのに、列島縄文社会は狩猟採集社会として存続しました。その状況の理解に、ひいては縄文社会存続と崩壊の理由理解のためにこの著書から直接・間接のヒントを得たいと期待してます。

2-2 縄文学習の意義を大きな問題意識のなかで位置づける
この著書を読むことによって足元の縄文学習(土器は煮沸用か否か、土器の3Dデータを作成する、千葉にイナウがあったか・・・)の意義を近視眼的な問題解決ではなく、縄文社会存続と崩壊の問題意識の中でしっかり位置づけられるようにしたいと期待します。
どんな些細な問題意識(例 その土器表面のその箇所の摩耗はなぜ生まれたか)でもその学習意義が縄文社会存続と崩壊理由理解という問題意識のなかでシッカリ位置づけられているようにしたいと希望しています。




2019年1月24日木曜日

スペイン人とインカ帝国の激突

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 4

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習記事第4回目です。この記事では「第3章 スペイン人とインカ帝国の激突」を学習します。

1 ピサロと皇帝アタワルパ
・ピサロが168人の部隊を率いてインカ帝国に入り、8万の兵を引き連れて行軍していたインカ皇帝アタワルパをカハマルカで捕まえる歴史の瞬間を記録により詳しく記述しています。きわめて興味深い記述ですが、この記事では略します。
・ピサロが勝利できた理由を次の疑問に答えるかたちで詳しく分析しています。
「ピサロがアタワルパを捕らえることができたのはなぜか」
「将軍ピサロとの出会いに先立ち、アタワルパはなぜカハマルカにやってきたか」
「なぜアタワルパは、見えすいた罠だとわかるような場所に入ってきたか」
この解答にあたる詳しい記述も、極めて興味深いのですがこの記事では略します。
・最後に結論を次のように述べています。
「結論をまとめると、ピサロが皇帝アタワルパを捕虜にできた要因こそ、まさにヨーロッパ人が新世界を植民地化できた直接の要因である。アメリカ先住民がヨーロッパを植民地化したのではなく、ヨーロッパ人が新世界を植民地化したことの直接の要因がまさにそこにあったのである。ピサロを成功に導いた直接の要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。」
・この結論につづけて次のように述べて、いよいよ本書の核心部分に入ることを宣言しています。
「ヨーロッパ人が他の大陸の人びとを征服できた直接の要因を考察したが、それらの要因が新世界ではなく、なぜヨーロッパで生まれたのかという根本的な疑問は依然として謎のままである。」

カハマルカにおけるインカ皇帝アタワルパの捕獲
英語版ウィキペディア「カハマルカの戦い」から引用

カハマルカにおけるインカ皇帝アタワルパの捕獲
英語版ウィキペディア「カハマルカの戦い」から引用

2 メモ
・銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことが総勢168人のピサロ軍が総勢8万人のインカ軍に勝った理由であり、その後も戦いでもピサロ軍が勝利しつづけた理由です。
・この理由の内、文字を持っていたことが極めて大きな、そして表面的には見えないピサロ軍勝利の理由であり、自分にとって感動的な学習となりました。
・文字を持っていたスペイン人征服者はその時代までの世界の歴史や人行動のパターンなど幅広い知識として知っていたのですが、文字を持たないインカ帝国は歴史の教訓とか人行動のパターンなどの知識が貧弱で、それに起因してアタワルパがやすやすとピサロに騙されたとの指摘はとても重要な指摘であると考えます。
・蝦夷あるいはアイヌが和人に歴史上繰り返し繰り返し騙し討ちにあい敗北していますが、その理由の一つとして文字を持っているか、いないかをあげることができると考えます。文字を持たない集団は歴史の教訓とか人の行動類型とかの知識が薄弱であり、文字を持つ集団にコロリとだまされて滅ぼされてしまいます。

2019年1月22日火曜日

平和の民と戦う民の分かれ道

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 3

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習記事第3回目です。この記事では「第2章 平和の民と戦う民の分かれ道」を学習します。

1 マオリ族とモリオリ族の衝突から浮かび上がる環境が人類社会に及ぼす影響
1835年、ニュージーランドの東800㎞にあるチャタム諸島に武装したマオリ族900人が舟で現れ、モリオリ族を殆ど全て殺して島を征服した。モリオリ族は襲来マオリ族の2倍の人口があった。
「モリオリ族とマオリ族の衝突がこのような残忍な結果になることは容易に予想できたことである。モリオリ族は小さな孤立した狩猟採集民のグループであり、たいした技術も持っていなかった。武器も、もっとも簡単なものしか持っておらず、戦いにも不慣れであった。強力な指導力を持つ者もいなかったし、組織的にも統率されていなかった。一方、ニュージーランド北島から侵入してきたマオリ族は、人口の稠密なところに住んでいた農耕民で、残虐な戦闘に加わることも珍しくなかった。モリオリ族より技術面において進んでおり、武器も優れたものを持っていた。グループの統率力も強かった。二つの部族の衝突において、虐殺されたのがモリオリ族であって、その逆でなかったことは当然ともいえる。」
「しかしマオリ族とモリオリ族の衝突を不気味なものにしているのは、彼らがいずれも1000年ほど前に同じ祖先から枝分かれしたポリネシア人である、という点である。」
「この衝突の結果は、モリオリ族とマオリ族の対照的な進化の経路の当然の帰結といえる。つまり、この二島において異質な人間社会が形成されていった理由が理解できれば、人類の歴史が大陸ごとに異なる発展をしていったという、より大きな疑問を理解するためのモデルを持つことができるかもしれない。」
モリオリ族とマオリ族の身に起きた出来事は、小規模で短期間ではあったが、環境が人類社会におよぼす影響についての自然の実験だったといえる。

ポリネシアの島々
ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」から引用

2 ポリネシアでの自然の実験について
同じ出自のグループがポリネシアの島々に展開し、隔絶して交流が少ない状況で、環境が社会に及ぼした影響を次の項目で詳しく論じています。
・ポリネシアの島々の環境
・ポリネシアの島々の暮らし
・人口密度のちがいがもたらしたもの
・環境のちがいと社会の分化
「ポリネシアは経済や社会、そして政治において非常に多様である。この多様性は、それらの島々の総人口や人口密度が島によって異なっていることに関係している。それらの島々の人口面での差異は、広さや地形、そして他の島々からの隔絶度が島によって異なるためである。そしてこれらの差異は、島民の生活形態のちがいや食料の集約生産の方法のちがいに関係している。これらの社会に見られるさまざまな相違点はすべて、地球規模で見ればポリネシアという比較的狭い地域で、比較的短い時間のうちに、同じ社会が環境のちがいによって異なる社会に分化した結果、発生したものである。」
われわれは、大陸においても同じような変化が起こったかを問わなければならない。そして、もし大陸で同じようなことが起こったのだとしたら、それを引き起こした環境的要因が何であったかを問わなければならない。また、その結果として、大陸社会がどのように多様化したかを問わなければならない。

3 メモ
・著者は最初に、マオリ族のモリオリ族征服というエピソードから、同じグループでも異なる環境に置かれれば一方は好戦的になり、一方は非好戦的になるという社会変化実例を示しています。次に、より広域的にポリネシアが恰好の歴史実験場であったことを詳細な記述で述べています。
・著者はこれらの環境的要因による社会変化が大陸規模でどうであったのかをこの本で述べると宣言しています。
・ポリネシアの島々の環境の相違とそれによる社会変化については「文明崩壊」でも詳しく学習したので、この記事では割愛します。
花見川流域を歩く番外編2017.12.21記事「ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」の学習」から学習開始
・ポリネシアのような海による隔絶性が確保されていない、交流が盛んな縄文時代列島社会においても、環境の違いは縄文社会に異なる変化をもたらしていたと考えることができます。それが土器形式の違いなどに表現されていると考えます。
・ジャレド・ダイアモンドの思考は縄文時代列島社会の考察にも有用であると考えます。

参考 ポリネシアについて

ポリネシアの範囲
ウィキペディアから引用

ポリネシアにおける人類拡大の様子
ウィキペディアから引用

2019年1月17日木曜日

13000年前のスタートライン

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 2

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習記事第2回目です。最初が2018.09.25記事「ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習スタート」ですからなんと4ヵ月ぶりになりお詫びします。
この図書以前にジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」を2017年12月から2018年9月にかけてブログ花見川流域を歩く番外編で24記事にわたり学習しています。「文明崩壊」から多くの学習ヒントを取得することができ、特に鳴神山遺跡(奈良時代開発集落)の衰滅原因考察に大いに役立ちました。しかし「文明崩壊」の事例はほとんど全て農業社会でした。
その点、「銃・病原菌・鉄」は狩猟採取社会が農業社会に発展する際の地理的不均衡がその後の現代にまでつづく世界社会不均衡の原因であることを暴き出していて、日本縄文社会の消長を考える上で参考になる情報を得られそうです。縄文学習との関連を気にしながら「銃・病原菌・鉄」の学習を進めることにします。
この記事では「第1章 13000年前のスタートライン」を学習します。

1 13000年前のスタートライン
著者は最初に次のような結論を述べています。
人類の歴史を、それぞれの大陸ごとのちがいに目を向けて考察するには、紀元前1万1000年頃、すなわち現在よりおよそ1万3000年前を出発点とするのが適切だろう。1万3000年前とは、地質学的には更新世の最終氷河期が終わり、現在に至る完新世がはじまった時期にあたる。これは、世界のいくつかの地域で村落生活がはじまり、アメリカ大陸に人が住みはじめた時期にも相当する。少なくとも一部の地域では、それから数千年以内には植物の栽培化や動物の家畜化がはじまっている。
つまり13000年前が現代社会の不均衡を考える上でのスタートラインとして設定できるとしています。
13000年前以前の状況で既に大陸間不均衡の差が存在していなかったという著者の考えをこの章では以下のように詳しく説明しています。
・10万年前から5万年前までの間に人類に「大躍進」があった。形状の揃った石器、装身具、釣針、銛、投げ槍、弓矢、壁画、彫像類、楽器類などが出土。人類の咽頭が発話可能となり言語能力が使えるようになったから。
・「大躍進」はアフリカ起源か世界同時発生かはまだわからない。
・「大躍進」時代はアフリカとユーラシアにしか住んでいなかった人類がオーストラリア大陸とニューギニアに広がった時期である。
・約20000年前に人類はシベリヤにまで拡大した。
・14000年前からアメリカ大陸に人類が拡大し、13000年前頃北アメリカ大陸で人口が増加した。クローヴィス式遺跡がこの時期に集中する。1000年間の間に南アメリカ大陸に広まった。
・13000年前以前に現代社会の不均衡(それは西暦1500年頃の不均衡に起因するから、本質的には西暦1500年頃までに生じた世界の不均衡)に結びつく要因を大陸間比較で見つけることはできない。

人類の拡散
ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」から引用

2 考察
人類がスタートラインに立った13000年前頃の様子について、アメリカ大陸人類拡大図と日本縄文草創期変遷図を結びつけてみました。

人類の南北アメリカ大陸進出と縄文草創期変遷の時間軸対応
アメリカ大陸に人類が進出した時期と縄文草創期がほぼ一致します。
氷河時代が終焉を迎えたという環境変化によりアメリカでは氷河後退によるアラスカからの通路成立、日本では植生変化による食料確保方法の変化などが生れたものと推測します。
隆線文土器について思考を巡らす時、その時代がアメリカ大陸人類進出時期と重なると考えると、そのような結びつきをこれまで考えたことがなかったので刺激を受けます。その刺激により、隆線文土器の意義についてより深く考えてみたい、考える価値があるに違いないと考えます。隆線文土器に対する興味が増します。
クローヴィス式遺跡と縄文草創期遺跡の出土物等比較資料があれば入手して較べてみたくなります。
なお、アメリカ大陸における土器発生は南アメリカで7500年前、北アメリカで5500年前と言われています。(「縄文はいつから」による)




2019年1月14日月曜日

中川毅著「人類と気候の10万年史」

中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)を読み「驚きの地球気候史」に本当に驚きました。数十年前に自分にインプットされた同種知識をこの本で感動を伴って2019年版に書き換えることができました。眼からウロコが落ちた思いです。

中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)表紙

1 参考になった点
●水月湖年縞堆積物
水月湖年縞堆積物が毎年の気候指標となることに着目し、ボーリング技術により切れ目のない15万年の年縞を採取した活動が詳しく述べられています。得られたデータは世界的意義がある過去気候資料であり、地質学の標準時計になりました。

年縞の例
中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)から引用

●過去の気候変動
水月湖年縞堆積物データをもとに過去の気候変動について詳しく解説しています。

水月湖15万年の気候の歴史
中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)から引用

●気候変動に与える人の影響
気候変動に与える人の影響について詳しく論じています。現在は本来氷河期に入っているべき時期であるが(数千年前からの)人の活動によりそれが遅れている(さらに温暖化が進んでいる)という説も紹介されています。

氷床のボーリング試料に記録された、過去の温室効果ガス濃度
中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)から引用

●今後の気候変動とそれに対する人類の対処
今後の気候変動とそれに対する人類の対処について、理学書の範囲を超えて、著者の考えを詳しく展開しています。

2 感想
・水月湖という埋まらない、奇跡的ともいえる堆積環境の存在に驚きました。
・年縞堆積物を正確に掘り出す作業が最初にあり、その作業期間は本来の研究業績が望めないのですから、その地味な活動を展開した研究グループの先見性は素晴らしいと思います。
・水月湖年縞堆積物の学術的世界的意義の大きさに驚きます。
・この図書でのべられているように、旧石器時代から縄文時代にかかるころの環境が詳しく判りつつあります。その時代に関する自分の考古学習的興味がますます深まります。
・理学書の範囲を超えて将来の気候変動とその人類対処について述べている様子は素晴らしいと思います。通常の学者は専門内部の事から話が飛び出すことは少ないですが、著者は自分の研究意義を人類社会レベルで思考しています。

2019年1月11日金曜日

土器はいつから? 2

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 15 (シリーズ最終回)

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「追補 土器はいつから? 列島最古段階の土器の年代は決まったのか? 工藤雄一郎」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 土器はいつから? 列島最古段階の土器の年代は決まったのか? 工藤雄一郎 概要
・炭素14年代測定法の考古学における適用の歴史を詳しく解説しています。
・大平山元Ⅰ遺跡出土土器(同一個体と考えられる)に付着する炭化物5点の測定結果をIntCal04とIntCal09の較正曲線を使って年代を検討し、IntCal04よりIntCal09の方が年代が古く出るが、同時に確立分布の幅が広くなってしまい、正確な年代を絞り込むことがきわめて難しくなったことが述べられています。

大平山元Ⅰ遺跡の炭素14年代と較正年代の比較

2 メモ
・WEBを閲覧するとすでにIntCal13が発表されていますので、C14年代測定で13000年前頃のIntCal09とIntCal13の較正曲線を拾って比較できるようにしてみました。

IntCal09の較正曲線

IntCal13の較正曲線

・IntCal13の較正曲線はIntCal09に存在していたC14測定13000年前頃の中だるみが少なくなり、大平山元Ⅰ遺跡のデータを当てはめると確率分布は再び狭くなり、より正確な較正年代が得られるようになったようです。

2019年1月9日水曜日

土器はいつから?

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 14

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「追補 土器はいつから? 土器出現とその年代 日本列島における出現期の土器の様相 小林謙一」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 土器はいつから? 土器出現とその年代 日本列島における出現期の土器の様相 小林謙一 要旨
・共伴する石器の様相から大平山本Ⅰ遺跡や後野遺跡などの無文土器が最古の土器と位置付けられる。15000年前よりは古く、17000年前までの1時点と考えられる。
・ロシアアムール川流域の発生期土器(15000年前くらい)、中国南部の古い土器(18000年前、20000年前説あるが不確定、15000年前は確実)と日本本州島東部の古い土器は位置が隔絶しているので多元的に始まった可能性がある。東アジアが世界最古であることは間違いない。
・東アジアの最古土器は農耕の起源とは無関係に生み出された。
・日本海側の海流変化にともなう植生変化(落葉樹林の混合)のなかで土器が育まれた。植物質食料のアク抜きなどで土器が必要であった可能性がある。樹皮やコケなどを含めて、さまざまな食糧資源を効率的に摂取するために用いたのだろう。
・旧石器時代に炉があるので、土器の必要性が高まれば土器が作り出されたという状況があった。
・草創期、早期の土器底は丸く、これは不整地でつかうためであると考える。
・隆線文土器の文様は時間および空間の違いによって少しづつ変化していて、全体として隆線の条数が増す多条化の方向を示すなど地域間での情報交換が認められる。

東日本・関東地方の隆線文土器の変遷 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

・縄文時代草創期すなわち縄文文化のはじまりの画期として、日常的に装備される通常の道具としての土器が列島全体に広まった隆線文土器(15500年前~14000年前)の成立をもって考える。
・隆線文土器と次に示す他の文化要素の組み合わせから、隆線文段階にその後12000年以上つづく縄文文化の基盤が成立していると考える。
1 広域的な土器形式ネットワークの形成
2 住居状遺構の構築と岩陰・洞穴居住にみられる定住化の促進
3 有茎尖頭器・石鏃・矢柄研磨器にみる弓矢の完成
4 線刻礫(石偶)・土偶などの精神遺物の一般化
・出現期の無文土器は石器群や土器出土遺跡の少なさから、あくまで旧石器時代において先駆け的に土器が用いられたと捉える。


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参考 時代区分の比較 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
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2 メモ
・本書で各著者が述べたことはそれぞれ微妙にニュアンスが異なるものが含まれていますが、この追補は明瞭な論旨が一貫していてとても判りやすい土器出現とその年代説明になっています。各論あるなかで最も共鳴できるものです。
・隆線文段階にその後12000年以上つづく縄文文化の基盤が成立したという考えはとても説得力のあるものです。

2018年12月25日火曜日

縄文時代はじまり年代観変遷

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 13

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「おわりに-炭素14年代測定および古環境研究の進展と「縄文はいつから!?」-」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 縄文時代のはじまりの年代観と環境史的位置づけの変遷

縄文時代のはじまりの年代観と環境史的位置づけの変遷

2 メモ
・1960年代中頃に大学教育を受けた自分の年代観はつい最近までBでした。
・較正年代とかIntCal09の意味がわからないまま趣味活動を続けてきたのですが、最近ようやくその意味が判るようになりました。
・特に「目からウロコが落ちた」ように年代に関する状況が判ったのは最近のことで、それは中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)を読んだ時です。
・素人とはいえ年代観に関して「時流に追いつけた」感が生れて、考古歴史学習活動に関する意欲が増します。
・「縄文はいつから!?」の記述が少しづつ理解できるようになりつつある自分の思考・感情を観察すると、はじめてC14年代測定法とか海面変動曲線を知った大学生の頃の自分を思い出すことが出来ます。

2018年12月24日月曜日

遺跡の立地

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 12

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「討論-縄文時代のはじまりをどうとらえるか-」の小項目「遺跡の立地」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 「遺跡の立地」の要旨
ア 会場質問「縄文草創期遺跡などは沖積地に埋没した場所もあるのではないか」…回答「旧石器時代遺跡や縄文草創期遺跡は沖積地の地中深いところなどに生活の痕跡があることは間違いないと考えるが、推測の手がかりはない。」

イ 縄文草創期隆線文土器の時期は平坦面の少ない丘陵地に遺跡が集中する。その場所は縄文早期罠猟(陥し穴、有舌尖頭器…仕掛弓)の場所と一致する。旧石器時代遺跡は平坦面を持つ相模野台地に多く、そこに縄文草創期隆線文土器の遺跡は少ない。
つまり縄文草創期隆線文土器遺跡と旧石器時代遺跡は異なる形で地形に対する選択性が強い。
縄文早期以降は多様な環境を幅広く利用するので地形選択性は弱くなる。
(関連遺跡分布地図を2018.10.31記事「関東南西部の縄文時代草創期の様相」に掲載)

2 考察
ア 沖積地埋没旧石器時代遺跡に関する考察はブログ花見川流域を歩く2017.01.17記事「興味を挑発する沖積地旧石器時代遺跡」などで繰り返し行ったことがあります。

イ 武蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地では旧石器時代遺跡、縄文草創期隆線文土器時代で地形に対して異なる選択性が強く働いています。
同様の遺跡分布地図を房総で作成すると旧石器時代遺跡と縄文草創期遺跡や早期罠猟(陥し穴、有舌尖頭器)の場所の地形選択性違いは武蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地と違った様相を呈しているように観察できます。

縄文時代草創期遺跡

縄文時代草創期遺跡と旧石器時代遺跡
草創期遺跡と旧石器時代遺跡の地形選択性が異なるとはこの地図からは観察できません。

縄文時代草創期遺跡と陥し穴
縄文時代草創期遺跡は陥し穴が密集する地形付近にあることは確認できます。

縄文時代草創期遺跡と有舌尖頭器出土遺跡
縄文時代草創期遺跡分布はなにか有舌尖頭器出土遺跡分布と似ているように観察できます。有舌尖頭器が仕掛弓罠猟を意味していて、それが谷密度の高い場所(地形が複雑に開析されている場所)に存在しているのだと気が付くと武蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地における研究結果と整合性が生れます。房総では一つの地形区(下総台地)に蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地にみられる多様な狩猟地形環境が全て備わっている可能性が考えられます。

縄文草創期遺跡と早期遺跡
縄文早期になると多様な地形環境を利用している様子がわかります。