2018年12月25日火曜日

縄文時代はじまり年代観変遷

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 13

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「おわりに-炭素14年代測定および古環境研究の進展と「縄文はいつから!?」-」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 縄文時代のはじまりの年代観と環境史的位置づけの変遷

縄文時代のはじまりの年代観と環境史的位置づけの変遷

2 メモ
・1960年代中頃に大学教育を受けた自分の年代観はつい最近までBでした。
・較正年代とかIntCal09の意味がわからないまま趣味活動を続けてきたのですが、最近ようやくその意味が判るようになりました。
・特に「目からウロコが落ちた」ように年代に関する状況が判ったのは最近のことで、それは中川毅著「人類と気候の10万年史」(ブルーバックス)を読んだ時です。
・素人とはいえ年代観に関して「時流に追いつけた」感が生れて、考古歴史学習活動に関する意欲が増します。
・「縄文はいつから!?」の記述が少しづつ理解できるようになりつつある自分の思考・感情を観察すると、はじめてC14年代測定法とか海面変動曲線を知った大学生の頃の自分を思い出すことが出来ます。

2018年12月24日月曜日

遺跡の立地

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 12

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「討論-縄文時代のはじまりをどうとらえるか-」の小項目「遺跡の立地」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 「遺跡の立地」の要旨
ア 会場質問「縄文草創期遺跡などは沖積地に埋没した場所もあるのではないか」…回答「旧石器時代遺跡や縄文草創期遺跡は沖積地の地中深いところなどに生活の痕跡があることは間違いないと考えるが、推測の手がかりはない。」

イ 縄文草創期隆線文土器の時期は平坦面の少ない丘陵地に遺跡が集中する。その場所は縄文早期罠猟(陥し穴、有舌尖頭器…仕掛弓)の場所と一致する。旧石器時代遺跡は平坦面を持つ相模野台地に多く、そこに縄文草創期隆線文土器の遺跡は少ない。
つまり縄文草創期隆線文土器遺跡と旧石器時代遺跡は異なる形で地形に対する選択性が強い。
縄文早期以降は多様な環境を幅広く利用するので地形選択性は弱くなる。
(関連遺跡分布地図を2018.10.31記事「関東南西部の縄文時代草創期の様相」に掲載)

2 考察
ア 沖積地埋没旧石器時代遺跡に関する考察はブログ花見川流域を歩く2017.01.17記事「興味を挑発する沖積地旧石器時代遺跡」などで繰り返し行ったことがあります。

イ 武蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地では旧石器時代遺跡、縄文草創期隆線文土器時代で地形に対して異なる選択性が強く働いています。
同様の遺跡分布地図を房総で作成すると旧石器時代遺跡と縄文草創期遺跡や早期罠猟(陥し穴、有舌尖頭器)の場所の地形選択性違いは武蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地と違った様相を呈しているように観察できます。

縄文時代草創期遺跡

縄文時代草創期遺跡と旧石器時代遺跡
草創期遺跡と旧石器時代遺跡の地形選択性が異なるとはこの地図からは観察できません。

縄文時代草創期遺跡と陥し穴
縄文時代草創期遺跡は陥し穴が密集する地形付近にあることは確認できます。

縄文時代草創期遺跡と有舌尖頭器出土遺跡
縄文時代草創期遺跡分布はなにか有舌尖頭器出土遺跡分布と似ているように観察できます。有舌尖頭器が仕掛弓罠猟を意味していて、それが谷密度の高い場所(地形が複雑に開析されている場所)に存在しているのだと気が付くと武蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地における研究結果と整合性が生れます。房総では一つの地形区(下総台地)に蔵野台地・多摩丘陵・下末吉台地・相模野台地にみられる多様な狩猟地形環境が全て備わっている可能性が考えられます。

縄文草創期遺跡と早期遺跡
縄文早期になると多様な地形環境を利用している様子がわかります。







2018年12月19日水曜日

土器発明の理由を因果律ではなく作用律から考える

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 11

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「討論-縄文時代のはじまりをどうとらえるか-」の小項目「土器はどのように使われたか」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。

1 土器発明動機に目的はなかった
・これまでの土器出現の説明「ドングリアク抜きとの関連」は最古土器発明段階(15000年前の氷期)でドングリがない環境であったことから否定される。
・ドングリアク抜きなどの特殊化された目的のために土器が出現したのではない。(ただし、後の温暖化した時代には土器利用はドングリアク抜きに大きく関連した。)
・土器が目的や用途として使われた事実と、それ以前に土器をつくろうと思った動機付けはイコールではない。1対1ではない。
・土器そのものが生み出される可能性として、粘土が可塑性に富んでいて、造形が容易だという、この性質に人間が気づいたことがひとつの大きな要素だと考える。
・土器そのものの必要性、用途や目的という因果律を検討することは重要だが、同時に作用律として、ヒトが粘土を自由に造形できる、そういうことが大きく関わっているのではないか。

粘土から土器へ
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

土器制作と粘土細工
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

2 感想
・最古の土器が15000年前でドングリが存在しない環境で生まれたことから、これまでの土器発明動機(ドングリアク抜き)は否定されます。
・因果律で説明するのではなく「作用律」で土器発明とその後の利用を考えるべきであるという考えがこの本で述べられています。随分と哲学的な思考をしていると感心します。しかし、苦肉の策であるような印象を受けます。
・15000年前になぜ「作用律」が発動して土器が発明されたのか、その時期がなぜ20000年前ではないのか、25000年前ではないのか説明が欲しくなります。
・土器発明動機としての「ドングリアク抜き」は否定されたのですが、15000年前頃の社会発展段階で液体保存機能や煮沸煮炊き機能に対するニーズが高まり、ついに土器が発明されたという因果律説明がどうしても欲しくなります。