2021年5月24日月曜日

出産土偶の顔

 設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)学習 10

この記事では設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)の「縄文土偶の顔」の「出産土偶の顔」を学習します。

1 屈折像土偶は座産の姿

屈折像土偶とは膝を折り曲げて腰を下ろし、腕を組んだり手を合わせるような姿勢の土偶をいい、これが座産の姿を表していることが詳しく述べられています。


腕部双孔土偶

設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)から引用

2 出産の表情

「吊り目土偶」が最初に例示され、吊りあがった目とまるい口をした土偶や、顔面把手の顔が吊り目が多いと記述されています。


吊り目の顔面把手

設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)から引用

さらに「その目とまるい口は出産時の緊迫した表情をとらえているのであろう。腕部双孔や後ろ手と同様に、出産時に息を吹く様をあらわしたまるい口も長い間、出産の表情として土偶に表現され続けたことがわかる。」と説明されています。

吊り目の土偶や顔面把手の顔が出産特有の表情として説明されています。

3 吊り目は出産表情か?

吊り目が出産特有の表情表現であるとする本書記述に疑問をもちますのでメモしておきます。

出産で緊迫した時、産婦の顔は吊り目になるでしょうか?ならないと思います。苦痛に耐えて体全体で踏ん張った時、顔面の表情は「吊り目」で表現することがふさわしいものとはなりません。目を力いっぱいつぶりますから、吊り目ではなく例えば×表示みたいなものになると思います。また口は大きく開く表現がふさわしく、小さな丸い口にもなりません。

吊り目表現は産婦の表情ではなく、産道から今出てきた嬰児の顔だとおもいます。産道と顔(頭)との摩擦で目が吊りあがって見えるのだとおもいます。

4 吊り目の顔が産道から今出た嬰児の顔としたときの土偶解釈

国宝土偶縄文のビーナス(茅野市棚畑遺跡)の顔も吊り目になっています。この土偶3Dモデルを作成した時、次の思考をしました。

ア 下腹部陰刻は妊娠線を表現している


縄文のビーナス下腹部陰刻と妊娠線との対応

縄文のビーナスの下腹部は出産がまじかになった様子を表現しています。

ブログ「花見川流域を歩く」2020.06.28記事「国宝土偶「縄文のビーナス」の下腹部陰刻

イ 土偶縄文のビーナスは女の一生を表現している


土偶縄文のビーナスに見る女の一生

顔は産道から今出た嬰児の顔と理解し、その女性が少女から妊娠、出産まぢかの体まで変化する女の一生の様子を一つの土偶が表現していると考えました。

ブログ「花見川流域を歩く」2019.12.09記事「土偶(国宝縄文のビーナス)(茅野市棚畑遺跡) 観察記録3Dモデル

ウ 土偶縄文のビーナスにかかわる女の一生観念


土偶縄文のビーナスにかかわる女の一生観念

ブログ「花見川流域を歩く」2020.06.29記事「国宝土偶「縄文のビーナス」女の一生の意味

エ 吊り目の顔が産道から今出た嬰児の顔としたときの土偶解釈

ア~ウの思考に基づいて、吊り目の顔面把手について、次のような解釈をしました。


吊り目の顔面把手に関する解釈例

・出産の2画面表現をしていると考えます。産道から今出た嬰児の顔と座産の姿の2画面があたかも1人のように表現されています。

・2画面表現は誕生→成長→妊娠出産という女の一生(女の幸福、女の使命)を暗喩として表現していると考えます。

……………………………………………………………………

参考 縄文中期前半土偶(国宝縄文のビーナス)(茅野市棚畑遺跡) 観察記録3Dモデル

撮影場所:茅野市尖石縄文考古館

撮影月日:2019.09.13

4面ガラス張りショーケース越しに撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.523 processing 59 images(Masquerade機能利用)


2021年5月14日金曜日

縄文人はなぜ巨大な耳飾りをつけたのか

 設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)学習 9

この記事では設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)の「縄文土偶の顔」の「縄文人はなぜ巨大な耳飾りをつけたのか」を学習します。

1 縄文人はなぜ巨大な耳飾りをつけたのか

この章の結論は次の図にまとめられています。


土製耳飾りの構造

設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)から引用

土製耳飾について、以前学習しましたので、この章はそのまま丸ごと良く理解することができました。

2 以前に行った土製耳飾学習の反芻

2-1 耳朶輪に装着する耳飾の例


マサイ族女性

https://www.pinterest.jp/pin/796926096553960977/


マサイ族男性

https://www.pinterest.jp/pin/675821487826264685/

マサイ族例はいずれも観光客用に耳飾りを装着した写真のようです。


イアリング商品宣伝ページ

webを検索すると、耳たぶに穴をあけ、それを広げて、その穴にはめ込む耳飾商品の英語宣伝ページが多数あります。

2-2 装飾性の高い土製耳飾例


装飾性の高い土製耳飾例

縄文後期終末土製耳飾(千葉市内野第1遺跡)2点

右:番号34、最大長7.2㎝、最大幅5.6㎝、最大厚2.2㎝、重量40.2g、刻目列、刻目瘤

左:番号36、最大長7.0㎝、最大幅5.2㎝、最大厚2.1㎝、重量58.7g、刻目列、刻目瘤

撮影場所:千葉市埋蔵文化財調査センター

撮影月日:2020.08.20

ガラス面越し撮影

2-3 千葉市内野第1遺跡出土耳飾分析

以下はブログ「花見川流域を歩く」2020.09.15記事「内野第1遺跡土製耳飾の最大直径別出土数と装飾性との関係」の抜粋です。

ア 直径別装飾性分級


●最大直径1.0~3.4㎝(少年少女)

装飾性高…有文のもの

装飾性中…無文で中央部穿孔のあるもの

装飾性低…無紋で中央部穿孔のないもの


●最大直径3.5~5.9㎝(青年)

装飾性高…円形で全面有文のもの

装飾性中…環形で有文のもの

装飾性低…円形または環形で無文のもの


●最大直径6.0~8.4㎝(壮年熟年)

装飾性高…滑車形で有文のもの

装飾性中…環形で有文のもの

装飾性低…円形または環形で無文のもの

イ 最大直径区分別の装飾性


最大直径区分別(=世代区分別)の装飾性分級


最大直径区分別(=世代区分別)の装飾性分級(割合)

ウ 世代区分別に装飾性分級の割合が変化する理由

現時点では次のような状況を空想します。

【装飾性低装着の人々】

・装飾性低の耳飾を装着していた人々は社会下層に位置付けられていた。その社会位置を示すものとして装飾性低の耳飾装着を義務付けられていた。

・社会下層の人々はそれ以外の人々と比べ食糧事情など生活環境が劣悪であり、また危険や不衛生な仕事に携わる機会も多く死亡率が高かった。

・さらに犠牲(人身御供など)が必要な場合は社会下層の人々が主にその対象となった。

・したがって少年少女では装飾性低は一番割合が多いが、青年になると少なくなり、壮年熟年ではさらに割合が減少し、少年少女の半分近くになる。

【装飾性中装着の人々】

・装飾性中の耳飾を装着していた人々は社会の中核をなす人々つまり一般住民であり、その社会位置を示すものとして装飾性中の耳飾装着を義務付けられていた。

・装飾性低や高の耳飾を装着する人々(下層民、指導層)の死亡率が高いため、壮年熟年になると相対的に一般住民の割合が増える。

【装飾性高装着の人々】

・装飾性高の耳飾を装着していた人々は集落の中で高位的、指導的、祭祀執行的な立場にある上層民であり、一言で特徴づければシャーマンとその家族であった。シャーマンは装飾性高の耳飾装着が義務付けられていた。

・シャーマンは霊力を失ったときには殺されたりしたため寿命が短かった。そのため壮年熟年になるとその数が減少した。

3 感想

過去学習を今読み返してみると、まだ1年もたっていないのに、分析学習(的な空想)を大いに楽しんだ様子が思い出され、懐かしさをおぼえます

当時の学習では例えば次の文様の意味が判りませんでした。


後晩期土製耳飾(君津市三直貝塚)

加曽利貝塚博物館 ミニ企画展示「県内縄文遺跡展 -千葉県の縄文時代研究を彩った遺跡たち- 君津市三直貝塚編」で撮影

今思うに、これは玉抱三叉文そのものであり、全国展開している文様のようです。今後、耳飾文様の理解などの学習を深めると面白いようだと、設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」読書をきっかけに感じました。