2018年9月25日火曜日

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習スタート

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 1

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習を始めます。目次の順に章ごとに学習します。この記事では「プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの」を学習します。

1 プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの
ニューギニア人ヤリの次の問いかけに答えるための考察がこの図書の内容であると最初に書かれています。

「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」。

つまり、この図書の主題を一言でまとめると「現代世界の不均衡を生み出しているもの」ということになります。

次いで、次のような論旨でこの主題を詳しく説明しています。
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・現代世界の不均衡を生みだした直接の要因は、西暦1500年時点における技術や政治構造の各大陸間の格差である。鋼鉄製の武器を持った帝国は、石器や木器で戦う部族を侵略し、征服して、滅ぼすことができたからである。では、なぜ世界は、西暦1500年の時点でそのようになっていたのだろうか。

・紀元前11000年、最終氷河期が終わった時点では、世界の各大陸に分散していた人類はみな狩猟採集生活を送っていた。
・技術や政治構造は、紀元前11000年から西暦1500年のあいだに、それぞれの大陸ごとに異なる経路をたどって発展した。まさにその結果が、西暦1500年の時点における技術や政治構造の不均衡をもたらしたのである。

・紀元前11000年から西暦1500年のあいだに、ユーラシア大陸、南北アメリカ大陸の大部分の地域、アフリカ大陸のサハラ以南の地域では、農業が起こり、徐々に発達していった。家畜が飼育され、冶金技術が開発され、複雑な政治構造が発達した。しかしその間、オーストラリア大陸のアボリジニやアメリカ先住民の多くは狩猟採集民のままでありつづけた。ユーラシア大陸では複数の地域で文字が誕生している。アメリカ大陸でも文字が誕生した地域が一つだけあったが、技術が新たに誕生し発達したのは、つねにユーラシア大陸がもっとも早かった。
・たとえば、南米アンデスで西暦1500年の数世紀前にはじまった青銅器の大量生産は、それより4000年も前にユーラシア大陸の一部ですでにおこなわれていた。1642年にヨーロッパ人が初めてタスマニア島を探検したとき、島民たちは、数万年も前の旧石器時代後期のヨーロッパで使われていた石器よりはるかに単純な石器を使っていた。

・したがって、現代世界における社会間の不均衡についての疑問は、最終的につぎのように問い直すことができる──なぜ、人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展したのだろうか? 人類社会の歴史の各大陸ごとの異なる展開こそ、人類史を大きく特徴づけるものであり、本書のテーマはそれを解することにある。
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目次の説明もプロローグに詳しく書かれています。その要点は次の通りです。
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第1部
第1章は、約700万年前に猿から分岐してから、約13000年前の氷河期の終わりに至るまでの人類の進化の歴史を駆け足で紹介する。
第2章は、過去13000年のあいだに、それぞれの大陸の環境の差異が、人類社会の歴史にどのような影響をおよぼしたかを考察する。
第3章は、フランシスコ・ピサロ率いる少数のスペイン軍が、インカ皇帝アタワルパの大軍にペルーのカハマルカ盆地で遭遇した瞬間を、その目撃者の証言を通じて紹介しながら、異なる大陸の民族の衝突について考察する。

第2部
第4章では、食料の狩猟採集をやめて、農耕や家畜の飼育を通じて食料を生産するようになったことが、いかにしてピサロの勝利につながったかについて簡単に述べる。
第5章では地域によっては、食料生産を独自に発達させているし、先史時代に食料生産の中心地から農耕や家畜の技術を取り入れた地域もあるし、食料生産を独自に発達させることもなく、他の地域から技術を取り入れることもせず、近代になるまで狩猟採集民として暮らしていた人びともいたことを考察する。
第6章では、人びとが狩猟採集民の生活様式をやめて食料生産へ移行した要因について、地域ごとに考察する。
第7章、第8章、第9章では、人びとが先史時代に、野生の動植物をどのように栽培化し、家畜化したかについて考察する。
第10章では、ユーラシア大陸が東西方向に伸びた陸塊であるのに対し、南北アメリカ大陸とアフリカ大陸は南北方向に伸びた陸塊であったことによる栽培化・家畜化の伝播の速度について考察する。

第3部
第11章では、人口の稠密な集団に特有な感染症の病原菌がどのように進化したかを考察する。
第12章では、文字は、過去数千年に登場した人類の発明のなかで、おそらくもっとも重要な発明であることを考察する。
第13章では、技術の伝播について考察する。
第14章では、余剰食料の蓄積は、書記や発明家を養うゆとりを社会に生みだしただけでなく、政治家を養うゆとりも生みだしたことを考察する。
第15章では、オーストラリア大陸および、かつてはこの大陸と地続きであったニューギニアについて述べる。
第16章と第17章では、オーストラリア大陸とニューギニアから視野を広げ、アジア本土と太平洋域で起こった歴史の展開について見ていく。
第18章では、第3章で述べたヨーロッパ人とアメリカ先住民との衝突について再度検討する。
第19章では、サハラ砂漠以南のアフリカ大陸の歴史について考察する。

エピローグでは、まだ解き明かされていない謎のいくつかをとりあげている。
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ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」(草思社、上下)

2 感想
ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」の学習を先行して行っていますが、「文明崩壊」の全ての事例が農業社会でした。「銃・病原菌・鉄」では狩猟採集民の社会も数多く扱われるので縄文時代学習に役立ちそうです。


2018年9月21日金曜日

地形の変遷からみた遺跡立地

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 6

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「地形の変遷からみた遺跡立地 橋本真紀夫」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。

1 縄文時代草創期ころの東京湾の地形


東京湾の地質断面図 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
7号地層は最寒冷期から縄文のはじまりころの間の堆積物で、段丘礫層やローム層の堆積地形は旧石器時代の陸域であると考えられる。

縄文時代草創期ころの地形 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)
縄文時代草創期はじめころ(15000年くらい前)の海水準は約-80mで、東京湾には狭い「古東京湾」とそれに流入する川があり、縄文人がすめる環境があった。縄文時代草創期終わりころのなると亜氷期とよばれる寒冷な時期があり低海水準はまだ維持され-80m~-50mであり、上流からの堆積物で陸域が広がったと考えられる。

2 縄文時代草創期頃の谷津地形

縄文時代の地形
15000年前くらいの降灰年代をもつUG火山灰を指標にする方法により、杉並区方南付近の遺跡調査で縄文時代草創期頃の地表面を復元すると現在地形に埋没した当時の地表面と急斜面が観察できる。

3 感想
発掘現場における火山灰を指標とする精細な露頭観察と周辺ボーリングデータから縄文時代地形面の復元方法が述べられていてとても参考になります。
旧石器時代あるいは縄文時代草創期頃の埋没地形面復元には強い興味を持っていますのでいつか詳しく検討してみたいと考えています。
参考 旧石器時代地形面のイメージ的復元に関する記事
ブログ花見川流域を歩く2014.08.23記事「旧石器時代の谷津形状の検討
ブログ花見川流域を歩く2014.09.04記事「旧石器遺跡分布から推定する狩方法

2018年9月18日火曜日

植物相からみた縄文時代のはじまり

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 5

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「植物相からみた縄文時代のはじまり 鈴木三男」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。

1 針葉樹林から広葉樹林へ

1万6000~1万年前の間の水月湖の花粉分析結果 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
15000年前の温暖化する時期、再び寒冷化する12300年前、本格的温暖化が始まる11300年前の線が書き入れてある。
15000年前と後でカバノキ属、ツガ属、マツ属が減り、トウヒ属、モミ属等はほとんどなくなる。一方ネズミサシ属、ヒノキ科-スギ科、トチノキ属、コナラ属、クルミ属、クマシデ属、ブナなどは顕著に増える。この線を境に亜寒帯性の針葉樹やカバノキ属に入れ替わって温帯性のナラ、ブナ、クルミなどの落葉広葉樹が優先する林になった。森林の入れ替わりがみられた。

2 十和田火山の埋没林
十和田火山の噴出物の中にある直立樹幹や材片で放射性炭素年代測定を行うと12350±140yBP~13910±200yBPと幅のある値が得られ、これをIntCal09で較正年代に直すと、約17000~14000年前という値になる。これは大平山元Ⅰ遺跡での最初の土器が現れたころの年代にほぼ相当し、寒冷な時期から温暖な時期に変わるころに相当する。
埋没林の木材を顕微鏡で調べると、主にカラマツ属、トウヒ属、モミ属の3つの属で構成されていることがわかった。

埋没林の顕微鏡観察 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

埋没林の樹種組成 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

今から17000~14000年前ころの北東北にはカラマツ属、トウヒ属、モミ属からなる亜寒帯性の針葉樹林が大きく拡がっていて、それが十和田火山の噴火により一気に死滅したことがわかりました。それはちょうど青森県津軽半島の大平山元Ⅰ遺跡で初めて土器がつくられたころとそう違わない時期といえます。
つまり、土器を発明した人たちは寒冷な気候のもと、亜寒帯性の針葉樹林が拡がる地で生活していたことになります。

大平山元Ⅰ遺跡の復元図  「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用・着色

3 感想
火山噴出物で死滅した樹木を調べることによって約17000~14000年前の植生が亜寒帯性の針葉樹林であり、丁度その時期に土器がはじめて使われだしたことがよくわかりました。大平山元Ⅰ遺跡の復元図の意味もより一層よく理解できるようになりました。

2018年9月14日金曜日

縄文時代のはじまりのころの気候変化と文化変化

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 4

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「縄文時代のはじまりのころの気候変化と文化変化 工藤雄一郎」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。

1 10万年に一度の気候変化
15000年前におこった気候変化というものは、10万年に一度の大きな気候変化でした。おそらくこれが人類活動に与えた影響というものは非常に大きかっただろうと考えられます。
この論文では縄文時代のはじまりに対応する15000年前頃から始まった気候変化が10万年に1回の大きな気候変化であることが詳しく述べられています。

過去15万年間の氷河・氷床の消長と縄文時代のはじまりの位置 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

同時に過去の気候変動に対応した海水準について最新情報が掲載されているので、今後の学習に直接役立てることができます。50年前に大学で得た知識を真に更新できました。

約25000~5000年前までの氷床の量と海水準の変動 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

海水準が120m・80m低かったときの日本列島の様子 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

この地図では細かい部分のイメージが湧きませんから、最新海底地形情報を入手して千葉県付近の-120m、-80m等深線図を正確につくりたいと思います。NASAのデータ入手にもチャレンジすることにします。

また人類の地球拡散のデータも最新情報として自分の頭にインプットします。

ホモサピエンスの拡散 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

2 縄文文化の出現
この地球規模での気候変化・環境変化がおこっている時期に、土器や弓矢、竪穴住居、石皿・磨石といった、いわゆる縄文文化を特徴づける要素がつぎつぎと、少しずつ時期を違えながら出現していました。

過去5万年間の出来事の年表 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

当面は旧石器時代や縄文時代初めころの学習にこの年表を常時利用したいと考えています。この論文を読んでひとまず「どの情報(本)を信用してよいのかわからない」状況を終了させることができました。

3 土器の出現
土器の出現は、従来一般的に説明されていたような、最終氷期から後氷期への気候変化、たとえば温暖化ということと因果関係で直接的に説明することはできないということもわかりました。ただ、その後の隆起線文土器の段階になってきて、土器が広がっていく過程と温暖化ということとはなんらかの関係があるかもしれませんが、現在ではまだ正確なことはわかっていません。

土器の出現の一般的な理解と年代観の変化 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

土器の出現がこれまで言われてきたような環境変化と植生変化の結果ではなく、異なる要因であることがわかり、それがなんであるか現時点では不明であることが判りました。「堅果類のアク抜きのために、魚油をとるために、貝を美味しく食べるために土器が発明された」という説明は過去の学説になったということです。

4 感想
何が最新情報であるのか分かったという点でこの論文は自分にとってとても大切なものとなりました。



2018年9月11日火曜日

定住化のはじまり

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 3

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「定住化のはじまり 小林謙一」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。

1 台地の住居
旧石器時代のテント状の住居跡が少数ですが見つかっています。

旧石器時代のテント状住居跡の例 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
その後縄文時代草創期になるとだんだん竪穴がみえるようになり、あたらしくなるほど竪穴は深くはっきりした掘り込みをもつようになります。

縄文時代草創期住居跡の変遷 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
草創期の住居跡の復元例として、ピットがあって、真ん中に向けて斜めに掘り込まれるような形で円周状に回っているので、真ん中に向けて柱を埋め立て、上屋を立てていた考えられています。

復元模型 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

2 住居の年代
日本列島で一番古い土器は16000年前に届くか届かないという段階で、住居跡はそのあとの隆線文土器の時代になかり出てきます。同時に弓矢や土偶なども14000年前ごろの温暖期とした段階には出てくるのではないかと考えています。
14500年前ぐらいには、住居跡はかなり定式化します。14500年前というのは土器が日本列島各地に広がる段階です。

縄文時代草創期頃の較正曲線(IntCal04)と文化要素の出現時期 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

土器の広がり 14500年前~11500年前 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

3 感想
竪穴住居のはじまりについてこれほど詳しく調べられていることを始めて知り、驚きました。また30ページほどのペーパーの中に膨大な情報が含まれていることにも圧倒されます。多くの知識を吸収することができました。このペーパーだけでも時間をかけて学習しブログ記事10編くらいを書きたくなるほどの魅力があります。
参考までに「土器の広がり」図に掲載されている千葉県遺跡をみると次のようになります。

千葉県の遺跡
これらの遺跡は全て「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)に掲載されています。因みにそのすべてを読んでみました。残念ながら住居に関する記述はありませんでしたが隆線文土器や石器に関する記述は参考になりました。

微隆起線文土器と尖頭器(東金市 大谷台遺跡) 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

微隆起線文土器(東金市 大谷台遺跡) 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用

2018年9月5日水曜日

土器のはじまり

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 2

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「土器のはじまり 宮尾亨」を学習して気が付いたことや要点の抜き書きなどのメモ作成をします。

1 土器は何に使われたか
この図書を読んで、土器付着おこげから何を煮たのかわかるこをとはじめて知りました。
食物種類別おこげを土器で作り出すと、その種類別おこげの窒素と炭素の安定同位体の違いを調べることが実験的に分ったそうです。その原理を発掘した土器おこげ分析に応用して、縄文土器で何が煮られていたかしらべたところ結果がでたとの記述に驚きました。

食料資源の炭素・窒素安定同位体比 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
この資料に基づいて、草創期縄文土器である隆起線文土器のおこげを調べると次のように堅果類を煮ていたことが判明しました。

草創期縄文土器の炭化付着物の炭素・窒素安定同位体比とC/N比 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
この結果から縄文土器がつくられた背景には堅果類の利用がきっかけになったのではないかと考えられると述べられています。縄文土器が世界的にみてもいち早く、まだ寒冷時期につくられた理由にせまる情報です。

2 土器出現のさまざまな理由

世界各地の土器出現年代 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
世界の土器は農業とともに生まれたものが多いのですが、アメリカ東海岸では5000年くらい前に突然つくられだし数百年間に限って使われたそうです。その用途は、水をいれて焼いた石をその水のなかに投下し、貝類を煮たのではないかと推定されているそうです。このように土器出現の理由は世界各地でそれぞれ異なるようです。

3 感想
縄文土器使い道の原点をこの図書で知ることができました。

2018年9月4日火曜日

弓矢のはじまり

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 1

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)の学習を始めます。目次に沿って気が付いたことや要点の抜き書きやメモ作成をします。

1 目次
 フォーラムの開催のあたって 小林謙一
Ⅰ 縄文時代のはじまり
 弓矢のはじまり 小畑弘己
 土器のはじまり 宮尾亨
 定住化のはじまり 小林 謙一
Ⅱ 地球環境の変動と縄文文化のかかわり
 縄文時代のはじまりのころの気候変化と文化変化 工藤 雄一郎
 植物相からみた縄文時代のはじまり 鈴木三男
 地形の変遷からみた遺跡立地 橋本真紀夫
Ⅲ 縄文時代草創期の遺跡と生活
 東北地方の縄文時代草創期の様相 酒井宗孝
 関東南西部の縄文時代草創期の様相 安藤広道
Ⅳ 討論-縄文時代のはじまりをどうとらえるか
おわりに 工藤 雄一郎
 炭素14年代測定および古環境研究の進展と「縄文はいつから!?」
追補 土器はいつから?-土器出現とその年代
 日本列島における出現期の土器の様相 小林 謙一
 列島最古段階の土器の年代は決まったのか? 工藤 雄一郎

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)

2 弓矢のはじまり -石器からみた旧石器時代の終焉と縄文時代のはじまり-
・石鏃は縄文時代草創期に出現し弓矢の出現に間違いなく、縄文時代を代表する石器である。
・弓矢は投げ槍と比べると飛距離があるとともに持ち運びが簡単で優れた狩猟具・武器である。

縄文時代~古代の丸木弓 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

・シベリヤの植刃器をみると旧石器時代(2万年前~1万5000年前)には基本的に長い槍で、手持ち槍が投げ槍と考えられるが、1万2000年前には小型のものが出現し、時代が短くなるにつれて短くなり、手持ち槍から投げ槍へと変化している。

シベリヤの植刃器 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

・弓矢とつながる道具として有舌尖頭器があり重量も軽くなるのが特徴で、石鏃が出現すると直ぐに消えるので機能的には投げ槍であったと推定される。
・旧石器時代末から新石器時代の主要な狩猟具は、突槍(手持ち槍)から投槍そして弓矢へと発展したと考えられる。
・気温の温暖化とともに草原から森林に変化し、それに従い狩猟対象獣も草原種から森林種に変化した。狩猟対象獣が移動性の高い群棲型獣から行動範囲の狭い単独型獣へ変化し、個体の小型化・分散化といえる。

シベリアの狩猟対象獣 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用 

・日本列島では後期旧石器時代の終わりにはイノシシやシカなどがすでに出現していて弓矢猟というのは、これら森林性の中型獣を捕獲するための道具として発達したと考えられる。矢の先端の石鏃の発達には日本各地にあるガラス質石材が大きく寄与したと思われる。

3 感想
弓矢出現の歴史がとても簡潔にわかりました。同時にそれが縄文時代を代表する狩猟具であることもよくわかりました。