2019年6月28日金曜日

リンゴのせいか、インディアンのせいか

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 11

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習をページを追ってしています。この記事では「第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか」を学習します。この章は作物を育てるのに適した場所であるにもかかわらず、農業がまったく自発的に起こらなかった地域が地球上に存在するという事実について考察しています。列島-縄文人もその範疇にはいるわけですから、この考察は縄文学習に重要です。

1 人間の問題なのか、植物の問題なのか
地球的規模でみるとカリフォルニア、ヨーロッパ、オーストラリア大陸の温帯地域、そしてアフリカ大陸の赤道付近には、農耕に適した肥沃な土地が昔から広がっている。それなのになぜ、これらの地域では農業が自然発生的にはじまらなかったのか、また、地域によって農業のはじまった時期に時間差があるのはなぜだろうかという問題を検討し、この章で結論を導いています。
詳し検討は本文を読んでいただくことにして、その結論を要約すると次のようになります。
・どの地域に住んでいた人類も自然を詳しく観察しいて有用植物を利用する能力にたけていた。地域別にみて人類の観察力や応用能力の差はない。
・有用植物や有用動物の資源偏在が地球上にある。
・肥沃三日月地帯における有用植物資源、有用動物資源の多様性は目を見張るものがある。

大きな種子を持つイネ科植物の分布
ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」から引用

肥沃三日月地帯
(トルコにまで領域が広がっていることには発掘面における特別の理由があるにちがいないので、興味が湧きます。)

・栽培化時期の地域差は生物相全体において栽培化や家畜化が可能な動植物の種類がどれだけ限られているかということに起因する。

2 感想
ジャレド・ダイアモンドの説明は説得的であり、縄文人も千年単位の猶予をもらえれば列島で自発的食料生産を始めていたかもしれない感じました。
縄文人は定住して土地の管理を相当綿密にしていたのですから、主食以外の植物で栽培といっていいものも存在していたでしょうから、自発的食料生産の直前まで到達していたと考えます。ドングリを主食にしたのがボタンのかけ間違いだったようです。



2019年6月23日日曜日

毒のないアーモンドのつくり方

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 10

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習をページを追ってしています。この記事では「第7章 毒のないアーモンドのつくり方」を学習します。この章は自然のアーモンドの実は猛毒があるのに、人はどのようにして無毒のアーモンドをつくったかということに象徴される、植物の栽培化のプロセスについて詳しく解説しています。

1 人類の植物栽培化のプロセス
人類の植物栽培化プロセスを要約すると、植物サイドの突然変異による有用特性を人類が無意識的・意識的に選別利用することによってその有用特性が助長され、同時に耕うんや施肥等の人工環境によりその有用特性がより一層促進されたということです。

古代の食料生産地の栽培作物

2 オーク(ドングリ)が栽培化されなかった理由
その実のドングリが食用となるオークがいまだ栽培化されていないことの説明が書かれています。ドングリが縄文人主食であり、縄文人が農耕を始めなかったことともかかわるかもしれないと考え興味がわきました。
ドングリはアメリカ先住民の主食として利用され、ヨーロッパ農民の飢饉に備える予備食料となっていました。
ドングリが栽培化されなかった理由は次のように記述されています。
「オークの場合を考えてみると、三球三振で栽培化に失敗してしまう理由がそろっている。まず第一に問題になるのが、オークの成長の遅さである。小麦はまいて数カ月で収穫できる。アーモンドは三、四年で実をつける成木となる。しかしオークは、われわれの忍耐が尽きてしまうほど成長が遅く、一〇年以上たたないと実がならない。また、オークはリスむきではあっても、われわれ人間むきではない。リスがドングリを埋めたり掘りだしたり、食べているのをよく目にするのは、オークがリスむきの植物だからである。そして、野生のオークが、リスが掘りだすのをたまたま忘れたドングリから発芽することを考えると、新芽の数は森のあちこちにリスが好き勝手にまき散らしてしまうおびただしい数のドングリに比例する。そんなにたくさんのオークを相手にわれわれ人間が、希望する特性を有する個体を選抜栽培できる確率はおそろしく低い。同じような理由で、ヨーロッパ人やアメリカ先住民が木の実を採集していたブナやヒッコリーなども栽培化されなかったと思われる。
さらなる理由は、栽培化されたアーモンドとちがって、ドングリの苦みは、ひとつの遺伝子ではなく、複数の遺伝子によってコントロールされていることである。アーモンドの場合は、苦みのない突然変異体の種子を植えれば、遺伝の法則によって、植えた種子の半分は親木と同様に苦みのない実をみのらせる。ところが、複数の遺伝子によって苦みがコントロールされているオークの場合、遺伝の法則によって、植えた種子のほぼ全部に苦みのある実がみのる。このちがいだけで初期の農民がくじけてしまい、リスとの競争に勝って希望する特性を有する個体を選抜し、忍耐強く実のなるのを待つ気にならなかったとしても、それは充分に想像できる。」

2019年6月19日水曜日

「日本の考古学Ⅱ 縄文時代」河出書房新社(昭和40年初版)

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 9

2019.06.15記事「自己触媒的食料獲得量増加」の後日譚を書きます。
Twitterでpolieco archeさんから頂いたコメントに出ていた次の図書を入手しました。

「日本の考古学Ⅱ 縄文時代」河出書房新社(昭和40年初版) 箱カバー
関東(岡本勇・戸沢充則著)の早期に「縄文時代における上昇期の問題」という項目があり、次のような趣旨のことがらが述べられています。
「野島式、鵜ヵ島台式、茅山下層式の土器の時代は過去の時代と比べて遺跡の増大が見られる。集落の立地も新たな地形条件を利用している。遺跡分布も広大に広がる。全身磨製石斧による森林伐開技術の高揚、釣針大型化による漁獲魚種増大、多量石鏃生産による狩猟発展が見られる。
これら労働用具の分化・改良・量産は生産諸力の発展をもたらし、人口を増加させ、労働手段や協業を発達させ、縄文時代の社会と文化を大きく上昇させたとかんがえられる。」

縄文時代の「ゆるやかな発展」のなかで特定時期に「上昇期」があったという趣旨の概念を提示しています。

この「上昇期」は2019.06.15記事「自己触媒的食料獲得量増加」で書いた「縄文時代における自己触媒的食料獲得量増加の可能性」の考え方とほとんど同じ考え方です。自分が持った感想と同じ概念を54年前に専門家が述べていることを知ることができました。polieco archeさんに感謝します。
この情報により次の感想を持つことができました。
1 縄文時代専門家による「上昇期」のその後の研究の深まりを是非とも知りたい。
2 「自己触媒的食料獲得量増加」の自分なりの考察を深め、海外事例等も収集して、社会発展のパターン検討の材料を増やしたい。

「日本の考古学Ⅱ 縄文時代」河出書房新社は読みやすい感じの図書なので、まさに芋づる式になりますが、割込みで必要ケ所を読んでみたいと思います。現在最新知識の意義を確認できる図書になるかもしれません。

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余談 1
この図書は定価1円(発送料257円)でAmazonから購入しました。使用感はゼロで箱カバー、付録も付いています。紙質もほとんど劣化していません。誰かが50年前に購入して風通しのよい書斎書棚に置き、1度も読まれることがなかったと想像します。そしてその持ち主が亡くなり、書斎のモノが一切合切ゴミとして廃品回収業者に多額の現金と一緒に渡されたと空想します。廃品回収業者はこの図書を1円で出品すればすぐ売れるので、発送料込258円で売ったのです。発送料の中に儲けが入っているとともに、その前にゴミとして受け取る時に既に儲けが出ています。
定価1円で買った私は内容面で知的満足感がとても大きいとともに、その満足感のコストパーフォーマンスは絶大です。

余談 2
この図書の箱カバーにこの図書のシリーズが列挙されています。Ⅲ弥生時代の編者は和島誠一となっています。
大学生だったころ自分の専門とは無関係学部で、かつ遠いキャンパスにでかけ、和島誠一先生の考古学を1年間受講したことを思い出します。頭が光る好々爺という感じの先生でした。戦前満蒙考古調査の話などを聞いた憶えがあります。石棒の趣旨もこのときはじめて知りました。自分の専門単位と無関係なのによく受講したものです。半世紀前の出来事です。

2019年6月15日土曜日

自己触媒的食料獲得量増加

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 8

2019.06.13記事「農耕を始めた人と始めなかった人」で学習した「狩猟採集生活から食料生産生活へと移行させた要因」のうち「要因4 人口増加による自己触媒的な食料生産活動の活発化」は縄文時代人口急増と急減現象の解釈に利用できると考えます。そこで「銃・病原菌・鉄」と離れて縄文時代加曽利EⅡ式期をピークとする人口急増とその後の人口急減について考察します。

1 人口増加による自己触媒的な食料生産活動の活発化 「銃・病原菌・鉄」抜粋
人口密度の増加と食料生産の増加との関係である。考古学の調査においては、食料生産がおこなわれていた証拠が見つかると、その場所の人口が稠密化した証拠もかならず見つかる。
 人びとが食料生産の生活様式へと移行していく過程で見られるのは、自己触媒と呼ばれる作用になぞらえることができる。自己触媒的過程においては、結果そのものがその過程の促進をさらに早める正のフィードバックとして作用する。人口密度の増加は、知らず知らずのうちに野生植物を栽培化する方向に歩みはじめた地域において自己触媒的に作用し、ますます人びとを食料生産に駆りたて、その結果、地域の人口密度はさらに増加したのである。
やがて人びとが定住して食料を作りだすようになると、出産間隔が短くなり、その結果、より多くの子供が生まれ、より多くの食料が必要になった。食料生産と人口密度の増加の因果関係が双方向的に作用していることが、一エーカーあたりの産出カロリーの増加にもかかわらず、栄養状態においては農耕民のほうが狩猟採集民よりも劣っているという矛盾を解き明かしてくれる。この矛盾は、入手可能な食料の増加率より、人口増加率のほうがわずかばかり高かったことによって生じているのだ。

2 縄文時代における自己触媒的食料獲得量増加の可能性
「銃・病原菌・鉄」では農業がおこなわれるとそこに自己触媒的食料生産活動があらわれると論じています。
農業(栽培による主食生産)がおこなわれていなくても、採集活動でも活動の工夫があり食料獲得量増加が可能になった場合、人口が増え自己触媒的にさらに食料獲得量増加が起こるという現象がありうるのではないかと仮想しました。
例えば、ドングリを効率よく広域から収集して1カ所に集めることができる社会体制が発明され、さらに多量ドングリを効率よく短時間で保存食に加工する技術が発明(アク抜き技術、巨大土器とそれを運用できる炉の技術等の革新・発明)されれば、これまで以上に人口を養うことができます。
人口が増えればそれらの技術をさらに革新して食料獲得量増加に励むことができると考えます。そのような成長期にはドングリの味付けに工夫がなされるとか、様々なプラス要素が加わり社会は活性化してさらに人口急増する素地ができます。
縄文中期・後期頃は定住していて生業に関して土地を高度に管理していたと考えられますから、自己触媒的食料獲得量増加があってもおかしくないと考えます。

3 加曽利EⅡ式をピークとする人口急増とその後の人口急減
加曽利EⅡ式をピークに人口急増があり、その後人口急減(社会崩壊)があったことは次の資料に示すように知られています。

竪穴住居数グラフ
加納実先生講演「縄文時代中期終末から後期初頭の様相」映写 追記

武蔵野台地東部域の人口増減 小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」映写

関東地方西南部における竪穴住居跡数の推移 「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」から引用

4 「加曽利EⅡ式人口急増とその後の人口急減」現象の解釈
ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」における自己触媒的食料生産活動活発化説を援用すると、「加曽利EⅡ式人口急増とその後の人口急減」現象を次のように解釈できます。
ア これまで以上に効率よくドングリを収集し、多量の保存食加工が一気にできる体制・技術が発明された。
イ 保存食(主食)が豊富になったので人口が増加した。
ウ 人口増加に伴い保存食をさらに増大させる社会体制変革や技術開発が進んだ。
エ 人口増加率が保存食増加率を上回った。
オ 天候不順等を引き金にして飢饉が発生し、社会が崩壊した。

5 考察
4の解釈を採るとすればさらに次の説明をしなければなりません。
・最初になぜ保存食増大にかかわる社会体制や技術の発明があったのか、その理由。
・関山式と堀之内1式のピークも同様の説明が可能か。
・気候変動との関わりはどうか。

加曽利EⅡ式の巨大深鉢土器 加曽利貝塚博物館2019.02展示
多量ドングリのアク抜きに使われた「業務用土器」と推察します。


2019年6月13日木曜日

農耕を始めた人と始めなかった人

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 7

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習をページを追ってしています。この記事では「第6章 農耕を始めた人と始めなかった人」を学習します。

1 狩猟採集生活から食料生産生活へと移行させた要因
狩猟採集生活から食料生産生活へと移行させた要因を5つ列挙して詳しく説明しています。
5つの要因に小見出しをつけるとすれば次にようにつけることができます。

要因1 動物資源の減少
要因2 動物資源減少期における栽培可能野生種の増加
要因3 食料生産技術の発達
要因4 人口増加による自己触媒的な食料生産活動の活発化
要因5 食料生産者人口数の狩猟採集民に対する圧倒

2 狩猟採集生活から食料生産生活へと移行させた要因に関する抜粋
狩猟採集生活から食料生産生活へと移行させた要因は何であったか
要因1 動物資源の減少
この一万三〇〇〇年のあいだに、入手可能な自然資源(とくに動物資源)が徐々に減少し、狩猟採集生活に必要な動植物の確保がしだいにむずかしくなったということである。
要因2 動物資源減少期における栽培可能野生種の増加
獲物となる野生動物がいなくなり、狩猟採集がむずかしくなったまさにその時期に、栽培化可能な野生種が増えたことで作物の栽培がより見返りのあるものになったことである。
更新世の終わりに気候が変化したため、肥沃三日月地帯では、短時間で大きな収穫が得られる野生の穀類の自生範囲が大幅に拡大した。肥沃三日月地帯では、まずこれらの野生種が収穫され、その収穫物にまじっていた種子が徐々に栽培化される過程を経て、大麦や小麦が農作物として栽培されるようになったのである。
要因3 食料生産技術の発達
食料生産に必要な技術、つまり自然の実りを刈り入れ、加工し、貯蔵する技術がしだいに発達し、食料生産のノウハウとして蓄積されていったことである。
要因4 人口増加による自己触媒的な食料生産活動の活発化
人口密度の増加と食料生産の増加との関係である。考古学の調査においては、食料生産がおこなわれていた証拠が見つかると、その場所の人口が稠密化した証拠もかならず見つかる。
 人びとが食料生産の生活様式へと移行していく過程で見られるのは、自己触媒と呼ばれる作用になぞらえることができる。自己触媒的過程においては、結果そのものがその過程の促進をさらに早める正のフィードバックとして作用する。人口密度の増加は、知らず知らずのうちに野生植物を栽培化する方向に歩みはじめた地域において自己触媒的に作用し、ますます人びとを食料生産に駆りたて、その結果、地域の人口密度はさらに増加したのである。
要因5 食料生産者人口数の狩猟採集民に対する圧倒
狩猟採集民と食料生産者が接触する地域で、もっとも決定的な役割を果たしたものである。食料生産者は狩猟採集民より数のうえで圧倒的に多かったため、それを武器に狩猟採集民を追い払ったり殺すことができた(技術的により発達し、各種疫病への免疫を持ち、職業軍人を有していたことが、彼らに有利にはたらいたことはいうまでもない)。ちなみに、土着の狩猟採集民が食料生産の方法をよそから習得して農耕民になった地域では、農耕民にならずにいた人たちが、出生数で農耕民に圧倒されている。 この結果、食料生産に適した地域ではほとんどの場合、土着の狩猟採集民は、近隣地域の食料生産者によって追いだされてしまうか、食料を生産する生活に移行することによって生き延びるかのいずれかの運命をたどっている。
農耕民として生き延びることができた狩猟採集民は、すでに充分な人口を擁していた集団か、地理的な理由で近隣の食料生産者が簡単に移住してこれず、時間的猶予をあたえられた地域の集団である。この時間的猶予によって彼らは、先史時代に農耕を身につけ、農耕民として生き延びることができた。これが起こったであろう地域としては、アメリカ合衆国南西部、地中海地方西部、ヨーロッパの大西洋沿岸、日本列島の一部などが考えられる。しかし、インドネシア、アジア南東部の熱帯地域、アフリカ赤道地帯の大部分、そしておそらくヨーロッパの一部では、先史時代の狩猟採集民は食料生産者にとってかわられてしまった。同じことは、オーストラリアやアメリカ合衆国西部で近代に起こっている。
ジャレドダイアモンド.銃・病原菌・鉄 上巻から抜粋引用
要因小見出しは引用者追記

3 メモ
日本の縄文時代から弥生時代への移行についても触れられていて強く興味が湧きます。
列島がユーラシア大陸から海で離れていたことが縄文時代が長期にわたって継続したことの主要因であることが判ります。縄文人は温室育ちであり、その終焉も人類史的にみると遺伝子をかなり残すことができ「恵まれた部類?」であったのかもしれません。

4 参考 食料生産が始まった地域と年代(及び縄文土器形式対応)

参考 食料生産が始まった地域と年代(及び縄文土器形式対応)
2019.04.10記事「持てるものと持たざるものの歴史」の情報をわかりやすくした地図です。