2018年6月17日日曜日

半獣半人

「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」 1

山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)に書いてあることにいろいろと刺激を受けているので、その学習を始めます。
目次に沿った学習は最後に行うことにして、とりあえず気になっている項目を順次学習すます。
この記事では同書の「8 縄文社会の複雑化と民族誌 高橋龍三郎」の「(4)縄文後・晩期の氏族社会」の項に掲載されている「図8-3 人間と動物の折衷的形態(ヒトと動物の共通の母)」について感想を書きます。

1 人間と動物の折衷的形態(ヒトと動物の共通の母)

図8-3 人間と動物の折衷的形態(ヒトと動物の共通の母)
山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)収録「8 縄文社会の複雑化と民族誌 高橋龍三郎」から引用

以下同書の関連説明です。
注目したいのは図8-3の1~4です。いままでこれらを土偶としてきたのですが、体を見ると確かに腕があり、手があり、足があり、女性らしくオッパイも大きく描かれている。人形です。だからいままで土偶として扱ってきました。ところが、この顔は、実は人の顔ではありません。トリの顔です。頭部がトリで、体部は人間の合体です。つまり、半獣半人です。同じように、立石遺跡出土の図8-3の4の土偶は、顔はどう見てもイノシシです。これは同じ立石遺跡のイノシシ形土製品の顔とそっくりです。つまり体は人間で、顔だけ動物の半獣半人です。逆に図8-3の3は秋田県の漆下遺跡から出たクマなのですが、ひっくり返して胸を見ると、人間のように立派なオッパイが二つついています。これは要するに、人間と同じ扱いなのです。クマを人間と同一視して人間側の秩序の中に組み入れているんですね。図8-3の1、2はトリ形です。このトリ形にもオッパイが二つあるんです。これも人間と動物を合体させているのです。おそらく自分たちの先祖はかつてトリだったという出自観念と絡んでいるんですね。有名な古野清人という宗教学の先生は、トーテミズムの大きな特徴の一つに半獣半人、つまり共通の先祖を造形するということを言っています(古野1964)。
山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)収録「8 縄文社会の複雑化と民族誌 高橋龍三郎」から引用

2 半獣半人で気が付いたこと
図8-3-1は自分たちの先祖はかつてトリだったという出自観念と絡んでいると説明されています。

図8-3-1の半獣半人
山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)収録「8 縄文社会の複雑化と民族誌 高橋龍三郎」から引用

このトリ人間をみて、縄文学習との接点があるとは思っていなかったエジプト国エドフ神殿のホルス神像が半獣半人であり、王の先祖が鳥(ハヤブサ)であると信じられていることに気が付きました。半獣半人像を出自と絡めて信仰するという点で相似しています。一気に海外事例と縄文事例の相似的関係がいろいろあることに気が付き、強刺激的に興味を掻き立てられました。

海外旅行で何気なく見ていた遺跡が縄文学習と結びつきました。

エジプトエドフ神殿現場では丁寧にも鳥(ハヤブサ)像としてのホルス神像と半獣半人の姿としてのホルス神像(レリーフ)とその血筋を引く王(プトレマイオス12世)の像で埋め尽くされています。
動物(ハヤブサ)としてのホルス神-半獣半人のホルス神-ホルス神の直系である王の連続関係が判るようになっています。

動物(ハヤブサ)としてのホルス神像
背後のレリーフに半獣半人のホルス神があります。

神殿内の半獣半人のホルス神(中)とプトレマイオス12世(右)
神殿内照明のために緑色が発色しています。

図8-3-1の半獣半人は女性でありホルス神は男性で、そこに違いはありますが、動物を出自とするという共通の発想に興味が魅かれます。

トリ人間といえばメキシコ国マヤ遺跡であるトゥルム遺跡でも翼・尾羽を持っていて空から地上に降臨した半獣半人神像レリーフがあり、その観察も思い出します。

トゥルム遺跡の降臨する神像

縄文人の出自観念と共通する観念が世界の原始・古代人に見られることはあり得ることです。
縄文人の出自観念の学習を過去海外旅行における見学資産も活用して進めたいと思います。

2018年6月4日月曜日

古代文化を彩る猪

猪の文化史考古編 20 (最終回)

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第2部 古代文化を彩る猪-弥生から古墳、そして歴史時代へ-」の学習をします。「猪の文化史考古編」学習の最終回となります。

1 弥生の猪
弥生時代の銅鐸絵画に猪の狩猟シーンがあります。

銅鐸の猪狩猟シーン 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
猟師、猟犬、猪が描かれています。
弥生時代になると縄文時代とは状況が変わり猪は田畑の作物を荒らす害獣として駆除の対象となります。排除の対象になります。

2 古墳時代の猪
埴輪に猪が登場し、埴輪群でイノシシの狩猟シーンが展示されるようになります。

埴輪に登場する猪、猟犬、猟師 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
埴輪群による狩猟シーンの展示は「王の狩」であり、狩猟儀礼の再現や権威・権力の誇示という側面から考察されています。

3 奈良時代以降の猪
射手と猪の組み合わせは奈良時代以降中世・近世まで説話・伝説として生き続けました。王権を誇る条件の1つが「猪の征討」であったのであり、猪の力の強大さに始まるストーリーでもあったといえます。
感想
「猪の征討」が蝦夷征討など服従しない縄文人末裔征討とも関連すると理解しました。
弥生時代以降「縄文人が猪を祈りの対象としていて関わりが深い」ので、服従しない縄文人末裔征討を強引に猪征討と関連付けたのだと思います。

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4 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)学習の感想
・縄文時代の猪に関する土器・土製品について、自分が学習している大膳野南貝塚や西根遺跡、上谷遺跡などとの関連で興味を抱きました。
・図書に掲載されている図版・写真が、自分の老化が進んだ眼球にとってはあまりにも小さすぎたり、つぶれていたり、鮮明さが欠けていて、最初は読書気力が湧きませんでした。また図版・写真を文章で説明している場合、立体物であるだけにそれがどの箇所の説明に当たるのか判然としない場合がかなりありました。恐らく現物や同じ図版・写真を既にみたことのある専門家が読むことを暗黙の前提として図書が編集されたものと感じました。
・そのため仕方なく図版・写真をパソコンで拡大したり調整して観察しましたが、その結果この図書が形成する猪世界に引き込まれ、学習に熱中することができました。
・著者は縄文時代猪に関する発掘情報を悉皆的に収集して整理しているので、縄文時代人の猪に関する活動や思考を体系的に理解できるように図書が編集されていて、その結果自分の学習が大いに進みました。
・「猪への祈りのまとめ」は大膳野南貝塚学習や西根遺跡学習に大いに参考になっています。
・弥生時代以降の学習は改めて熱中するチャンスをつくることとして、今回の学習は縄文時代をメインとしました。