「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 14
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「追補 土器はいつから? 土器出現とその年代 日本列島における出現期の土器の様相 小林謙一」を学習して、気が付いたことや感想をメモします。
1 土器はいつから? 土器出現とその年代 日本列島における出現期の土器の様相 小林謙一 要旨
・共伴する石器の様相から大平山本Ⅰ遺跡や後野遺跡などの無文土器が最古の土器と位置付けられる。15000年前よりは古く、17000年前までの1時点と考えられる。
・ロシアアムール川流域の発生期土器(15000年前くらい)、中国南部の古い土器(18000年前、20000年前説あるが不確定、15000年前は確実)と日本本州島東部の古い土器は位置が隔絶しているので多元的に始まった可能性がある。東アジアが世界最古であることは間違いない。
・東アジアの最古土器は農耕の起源とは無関係に生み出された。
・日本海側の海流変化にともなう植生変化(落葉樹林の混合)のなかで土器が育まれた。植物質食料のアク抜きなどで土器が必要であった可能性がある。樹皮やコケなどを含めて、さまざまな食糧資源を効率的に摂取するために用いたのだろう。
・旧石器時代に炉があるので、土器の必要性が高まれば土器が作り出されたという状況があった。
・草創期、早期の土器底は丸く、これは不整地でつかうためであると考える。
・隆線文土器の文様は時間および空間の違いによって少しづつ変化していて、全体として隆線の条数が増す多条化の方向を示すなど地域間での情報交換が認められる。
東日本・関東地方の隆線文土器の変遷 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
・縄文時代草創期すなわち縄文文化のはじまりの画期として、日常的に装備される通常の道具としての土器が列島全体に広まった隆線文土器(15500年前~14000年前)の成立をもって考える。
・隆線文土器と次に示す他の文化要素の組み合わせから、隆線文段階にその後12000年以上つづく縄文文化の基盤が成立していると考える。
1 広域的な土器形式ネットワークの形成
2 住居状遺構の構築と岩陰・洞穴居住にみられる定住化の促進
3 有茎尖頭器・石鏃・矢柄研磨器にみる弓矢の完成
4 線刻礫(石偶)・土偶などの精神遺物の一般化
・出現期の無文土器は石器群や土器出土遺跡の少なさから、あくまで旧石器時代において先駆け的に土器が用いられたと捉える。
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参考 時代区分の比較 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
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2 メモ
・本書で各著者が述べたことはそれぞれ微妙にニュアンスが異なるものが含まれていますが、この追補は明瞭な論旨が一貫していてとても判りやすい土器出現とその年代説明になっています。各論あるなかで最も共鳴できるものです。
・隆線文段階にその後12000年以上つづく縄文文化の基盤が成立したという考えはとても説得力のあるものです。
2019年1月9日水曜日
2018年9月11日火曜日
定住化のはじまり
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 3
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「定住化のはじまり 小林謙一」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。
1 台地の住居
旧石器時代のテント状の住居跡が少数ですが見つかっています。
旧石器時代のテント状住居跡の例 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
その後縄文時代草創期になるとだんだん竪穴がみえるようになり、あたらしくなるほど竪穴は深くはっきりした掘り込みをもつようになります。
縄文時代草創期住居跡の変遷 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
草創期の住居跡の復元例として、ピットがあって、真ん中に向けて斜めに掘り込まれるような形で円周状に回っているので、真ん中に向けて柱を埋め立て、上屋を立てていた考えられています。
復元模型 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
2 住居の年代
日本列島で一番古い土器は16000年前に届くか届かないという段階で、住居跡はそのあとの隆線文土器の時代になかり出てきます。同時に弓矢や土偶なども14000年前ごろの温暖期とした段階には出てくるのではないかと考えています。
14500年前ぐらいには、住居跡はかなり定式化します。14500年前というのは土器が日本列島各地に広がる段階です。
縄文時代草創期頃の較正曲線(IntCal04)と文化要素の出現時期 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
土器の広がり 14500年前~11500年前 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
3 感想
竪穴住居のはじまりについてこれほど詳しく調べられていることを始めて知り、驚きました。また30ページほどのペーパーの中に膨大な情報が含まれていることにも圧倒されます。多くの知識を吸収することができました。このペーパーだけでも時間をかけて学習しブログ記事10編くらいを書きたくなるほどの魅力があります。
参考までに「土器の広がり」図に掲載されている千葉県遺跡をみると次のようになります。
千葉県の遺跡
これらの遺跡は全て「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)に掲載されています。因みにそのすべてを読んでみました。残念ながら住居に関する記述はありませんでしたが隆線文土器や石器に関する記述は参考になりました。
微隆起線文土器と尖頭器(東金市 大谷台遺跡) 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用
微隆起線文土器(東金市 大谷台遺跡) 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「定住化のはじまり 小林謙一」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。
1 台地の住居
旧石器時代のテント状の住居跡が少数ですが見つかっています。
旧石器時代のテント状住居跡の例 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
その後縄文時代草創期になるとだんだん竪穴がみえるようになり、あたらしくなるほど竪穴は深くはっきりした掘り込みをもつようになります。
縄文時代草創期住居跡の変遷 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
草創期の住居跡の復元例として、ピットがあって、真ん中に向けて斜めに掘り込まれるような形で円周状に回っているので、真ん中に向けて柱を埋め立て、上屋を立てていた考えられています。
復元模型 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
2 住居の年代
日本列島で一番古い土器は16000年前に届くか届かないという段階で、住居跡はそのあとの隆線文土器の時代になかり出てきます。同時に弓矢や土偶なども14000年前ごろの温暖期とした段階には出てくるのではないかと考えています。
14500年前ぐらいには、住居跡はかなり定式化します。14500年前というのは土器が日本列島各地に広がる段階です。
縄文時代草創期頃の較正曲線(IntCal04)と文化要素の出現時期 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
土器の広がり 14500年前~11500年前 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
3 感想
竪穴住居のはじまりについてこれほど詳しく調べられていることを始めて知り、驚きました。また30ページほどのペーパーの中に膨大な情報が含まれていることにも圧倒されます。多くの知識を吸収することができました。このペーパーだけでも時間をかけて学習しブログ記事10編くらいを書きたくなるほどの魅力があります。
参考までに「土器の広がり」図に掲載されている千葉県遺跡をみると次のようになります。
千葉県の遺跡
これらの遺跡は全て「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)に掲載されています。因みにそのすべてを読んでみました。残念ながら住居に関する記述はありませんでしたが隆線文土器や石器に関する記述は参考になりました。
微隆起線文土器と尖頭器(東金市 大谷台遺跡) 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用
微隆起線文土器(東金市 大谷台遺跡) 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用
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