2018年9月18日火曜日

植物相からみた縄文時代のはじまり

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 5

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「植物相からみた縄文時代のはじまり 鈴木三男」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。

1 針葉樹林から広葉樹林へ

1万6000~1万年前の間の水月湖の花粉分析結果 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
15000年前の温暖化する時期、再び寒冷化する12300年前、本格的温暖化が始まる11300年前の線が書き入れてある。
15000年前と後でカバノキ属、ツガ属、マツ属が減り、トウヒ属、モミ属等はほとんどなくなる。一方ネズミサシ属、ヒノキ科-スギ科、トチノキ属、コナラ属、クルミ属、クマシデ属、ブナなどは顕著に増える。この線を境に亜寒帯性の針葉樹やカバノキ属に入れ替わって温帯性のナラ、ブナ、クルミなどの落葉広葉樹が優先する林になった。森林の入れ替わりがみられた。

2 十和田火山の埋没林
十和田火山の噴出物の中にある直立樹幹や材片で放射性炭素年代測定を行うと12350±140yBP~13910±200yBPと幅のある値が得られ、これをIntCal09で較正年代に直すと、約17000~14000年前という値になる。これは大平山元Ⅰ遺跡での最初の土器が現れたころの年代にほぼ相当し、寒冷な時期から温暖な時期に変わるころに相当する。
埋没林の木材を顕微鏡で調べると、主にカラマツ属、トウヒ属、モミ属の3つの属で構成されていることがわかった。

埋没林の顕微鏡観察 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

埋没林の樹種組成 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

今から17000~14000年前ころの北東北にはカラマツ属、トウヒ属、モミ属からなる亜寒帯性の針葉樹林が大きく拡がっていて、それが十和田火山の噴火により一気に死滅したことがわかりました。それはちょうど青森県津軽半島の大平山元Ⅰ遺跡で初めて土器がつくられたころとそう違わない時期といえます。
つまり、土器を発明した人たちは寒冷な気候のもと、亜寒帯性の針葉樹林が拡がる地で生活していたことになります。

大平山元Ⅰ遺跡の復元図  「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用・着色

3 感想
火山噴出物で死滅した樹木を調べることによって約17000~14000年前の植生が亜寒帯性の針葉樹林であり、丁度その時期に土器がはじめて使われだしたことがよくわかりました。大平山元Ⅰ遺跡の復元図の意味もより一層よく理解できるようになりました。

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