2018年10月31日水曜日

関東南西部の縄文時代草創期の様相

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社) 8

「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)に収録されている「関東南西部の縄文時代草創期の様相 安藤広道」を学習して、気が付いたことや要点の抜き書きなど、メモを作成します。

1 旧石器時代~縄文時代早期の遺跡分布
この論文に記述されている旧石器時代~縄文時代早期遺跡分布の記述・考察を以下に要約します。
1-1 旧石器時代~縄文時代草創期初頭
旧石器時代の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用
広い平坦面が残っている相模野台地の細い谷に面した台地に遺跡が集中し、地形が複雑な下末吉台地や平坦面のない多摩丘陵では遺跡は少なくなっている。

縄文時代草創期初頭の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

土器が出現した頃(較正年代で16000年前~15000年前)の遺跡も旧石器時代と同じく相模野台地にまとまっている。石器の構成は槍が中心となっている(図96上段)。槍を使った狩猟が相模野台地の地形的特徴に適していた。生活は旧石器時代から大きく変化していなかった。

図96 縄文時代草創期~早期前葉の石器組成 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用


1-2 縄文時代草創期(隆線文期)

縄文時代草創期(隆線文期)の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

急激な気候変動が生じた隆線文期(較正年代15000年前~13000年前)になると多摩丘陵に遺跡が集中する。石器は狩猟具が中心である点は前の時期と同じであるが、槍の数は減少し有舌尖頭器、石鏃が出現し定着する。有舌尖頭器は多摩丘陵に集中し、それを使った狩猟活動が丘陵地形に適したものであった。

1-3 縄文時代早期前葉の遺跡分布

縄文時代早期前葉の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

縄文時代草創期後半、いわゆる爪型文土器や押圧縄文土器の時期になると遺跡の数はすくなくなる。その後縄文時代早期前葉(較正年代約10000年前)になると遺跡が急増し竪穴住居祉が増え土器出土量も増加する。定住傾向がさらに強くなったことを示している。
この時期は下末吉台地から多摩丘陵に遺跡がまとまり、特に下末吉台地に遺跡が集中し、石器構成に打製石斧、敲石、磨石、石皿などの植物質食料と関係する器種が増加する(図96下段)。この時期に三浦半島で貝塚が形成されていることから、海、川、陸に生息する多様な植物、動物を食料源とする、以後の縄文文化の特徴的な、多角的な生業へと変化していることがわかる。多様な自然資源の利用には地形の複雑な下末吉台地が適していたと考えられる。

1-4 有舌尖頭器の用途
縄文時代草創期(隆線文期)遺跡と有舌尖頭器出土が多摩丘陵に集中しているが、その分布と縄文時代早期後葉(較正年代で約8000年前)の陥し穴の分布が一致する。

縄文時代早期後葉の遺跡分布 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

陥し穴の分布と一致する有舌尖頭器による狩猟は消極的な自動罠猟である可能性が高く、仕掛弓である仮説を持つことができる。有舌尖頭器が複数近くから出土したり、有舌尖頭器の大きさが石鏃より大きいことがこの想定に合う。

2 感想
地形の特徴と遺跡分布の特徴を対応させた考察は大変参考になります。早速この論文を使って千葉県遺跡を同様に説明できるかどうか学習してみたいと思います。この論文は自分の学習を促進させるものになると思います。また、GIS連動千葉県遺跡DBが学習に使えるようになりつつあるので、この論文学習はDB利用促進とも重なり時機を得たものになったと思います。



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