2018年4月29日日曜日

埋葬された猪

猪の文化史考古編 13

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第2章猪の埋葬、そして祈り 1埋葬された猪」の学習をします。

1 埋葬された猪
宮城県田柄貝塚から子供の猪の埋葬が検出されています。

宮城県田柄貝塚 子供の猪の埋葬 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
後期後葉に猪(ウリボウ)が人の墓域近くに埋葬され、その近くには多数の犬も埋葬されています。人と犬の関係と類似の関係が人とウリボウの間に存在していて、ウリボウは当然ながら飼育されていたと考えられます。

犬と人が近くの場所に埋葬されている例も紹介されています。

宮城県前浜貝塚 人と犬の埋葬 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
若い女性が出産の際に命を落としたケースと考えられ、女性と新生児と犬が寄り添って埋葬されています。
犬は人の死に合わせた死で犠牲獣と考えるのが自然であると説明されています。

次の例は人・犬・猪の埋葬例です。

千葉県白井大宮台貝塚 人・犬・猪の埋葬 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
人と犬は穴の底に同時に埋葬され、その後ある程度の埋戻しがあり、さらに送り場として利用されて貝層堆積があり、その後猪(幼獣)の埋葬があった例として紹介されています。

2 感想
縄文時代には猪が食用のために飼育されていたけれども、幼獣(ウリボウ)は人なつこいため人と犬との関係に似た関係が人とウリボウの間に存在していたようです。そのためウリボウを可愛がっていた人が死ぬとそのウリボウを犠牲獣として人の近くに埋葬して死んだ人に対する供養としたようです。

3 参考
大膳野南貝塚の学習をしていますが、次のような犬用廃屋墓に後に人が埋葬された例があり驚いたことを思い出しました。

大膳野南貝塚後期集落 J9竪穴住居出土2号犬骨 大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

J9号竪穴住居 人骨と犬骨の土層断面模式位置
この例では廃絶竪穴住居が最初にそのまま犬用廃屋墓になり、その後その場所が送り場となり、その途中で新生児の埋葬が行われました。
この例から人と犬との関わりは極めて強く、廃絶竪穴住居が犬専用の墓として使われることがあると知ることができます。
またその場所が「犬と関わる送り場」であり、死産や新生児死亡に際して埋葬場所としてふさわしく、実際にそのように利用されたということがわかります。
人の幼児や犬を同様に扱うという気持ちが縄文人に存在していたのだと思います。
ブログ花見川流域を歩く2017.12.18記事「犬用廃屋墓」参照

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