猪の文化史考古編 14
この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第2章猪の埋葬、そして祈り 2焼かれた猪」の学習をします。
1 焼かれた猪
昭和55年発掘八ヶ岳南麓山梨県大泉村(現在北杜市大泉町)金生遺跡の猪下顎骨出土例が説明されています。
猪下顎骨(山梨県金生遺跡)
土坑から138個体の猪下顎骨が発見され、全て焼かれていて、1歳未満の幼獣は115個体でその死亡推定季節は秋ということが分かっています。
図書では子供の猪だけを選んでさらに下顎だけを選んで焼いて穴に埋めたことは縄文人が執り行った「祭り」の存在、すなわち「祈りの世界での出来事」があったことを推定しています。
さらに獣骨が焼かれ集落全体に撒かれる事例が多いことから、アイヌの「物送り」と共通した祈りがあったものと考え、食べ物をもたらしてくれる動物に対しての感謝を込めた鎮魂と再生の祭を想定しています。食物などの有益の残りの骨を火によって新たな命を吹き込み、細かく砕いて土に返し、それらの骨細片は再び有益な猪や鹿となって蘇ってくるという思想を想定しています。
金生遺跡の猪幼獣下顎骨もそのような祈りを経たものかもしれないと述べています。
さらにそれらの猪幼獣は犠牲獣である可能性を論じています。つまり豊猟を目的として動物を神様にささげたのではないかと推定しています。
2 感想
猪幼獣の首の下顎だけ焼かれて出土していることは胴体は別に扱われたということです。
幼獣の首と胴体の出土状況が分かれるという点でこれまで学習してきている西根遺跡の例と同一であり、縄文時代に共通する祭祀をイメージできると考えました。
西根遺跡出土焼骨(幼獣が主であり、頭骨がほとんどない)西根遺跡発掘調査報告書から引用
「祈りの空間 戸神川谷津の隠された秘密にせまる -西根遺跡 縄文~近世の自分流学習-」参照
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