2018年5月28日月曜日

猪の飼養

猪の文化史考古編 18

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第3章猪の飼育・飼養問題について 1飼養への道筋」の学習をします。

1 飼養への道筋
縄文時代における猪飼養について著者の結論は次の通りです。
ところで、やはり飼育や飼養を行なうのには動物を育てるための飼料、いいかえれば人の食料以外の余剰生産、すなわち生産力が条件となっている。この点からすると、道志村の「はな子」は野山と村とを自由に行き来するまさに半飼育の生活であり、生産力を補うのにはまことにふさわしいシステム内にいたことになる。
かつて私は「縄文時代後晩期における焼けた獣骨について」という論文の中で「(十月初旬のころ巣から出た)子連れのイノシシは、やはり縄文人にとっても目につき易いものであり、捕獲される率は当然高かったものと思われる」という表現を行なった(新津一九八五)。ここでは捕獲してから祭祀に用いられる間の飼養は当然考えたものの、出産以降の幼獣飼養という必要性は特に考えてはいなかった。しかし道志村での事例に接することにより、半飼育的な状況の可能性が考えられること、さきにふれた縄文時代における猪幼獣の犠牲獣としての可能性や人の幼児埋葬とのかかわりなどの事例検証を含め、猪幼獣の果たした役割を考えると、縄文時代における猪飼養はやはり有り得べきことかとも今は考えている。」「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
猪幼獣を捕獲あるいはムラでの出産の後、祭祀に使うまでの間飼養したことはあり得るという結論です。その前提に人が食べる食糧以上の余剰生産あり、それを猪幼獣にふりむけることができることをあげています。

2 大膳野南貝塚堀之内1式期の猪幼獣の飼育可能性について
上記の学習をしている中で、大膳野南貝塚発掘調査報告書のなかに猪飼養に関連する情報を発見したので興味を持ちました。
以下引用します。
イノシシの内容を見ると、後期になると生後6カ月未満の幼小獣とした段階の子供のイノシシが見られるようになる。また、後期(堀之内1式期)の資料の中に上顎第2後臼歯が丸くなり、そのエナメル質に縦の「しわ」が多い資料が1点見られた。筆者はこのような例をオホーツク文化のブタや弥生ブタで見たことがある。
これは栄養不良等の成育環境が悪いことを示しており、このイノシシが飼育されていた可能性を示すものである。発育異常は野性のイノシシでも起こることや、今回は1例しか認められていないことから、この例だけでイノシシの家畜化を主張できない。ここではその可能性を指摘するに止め、さらに多くの分析を行ったのちに家畜化について改めて論じたいと思う。
イノシシでは後期堀之内1式期のイノシシ上顎骨で発育不全の例が見られたことから、飼育されていた可能性を指摘した。この点については今後検討すべき課題である。」大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

大膳野南貝塚堀之内1式期における猪幼獣飼育可能性が専門家から指摘され、その理由がイノシシ幼獣の飼料不足からくる栄養不良であることに興味をおぼえます。そもそも縄文社会食糧生産力が虚弱であり、家畜の飼育・飼養には最初から限界があることを如実に示しています。

大膳野南貝塚から出土したイノシシ上顎骨、下顎骨
1~3は幼獣


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