設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)学習 14
この記事では設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)の「弥生時代の顔の変容」の「顔壺にさぐる黥面の継承と変容」の一部について学習します。
1 農耕文化と壺形土器
壺形土器は穀物の増加と同調している。
●壺形土器の全土器に対する割合
・北部九州
縄文晩期…ほとんどなかった
弥生早期…1割
弥生前期…3~5割
・中部高地や関東地方
晩期終末…1割
弥生前期…2~3割
弥生中期中葉…5割
壺の用途の一つとして穀物の貯蔵がある。首がすぼまるので湿気を防ぎ、種籾の貯蔵などにうってつけ。
2 壺を人体になぞらえるのは世界的傾向
新石器時代の顔壺(中国)
設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)から引用
口に三角のキャンバスをつけそこに顔を表現しています。胴に両手も表現しています。
3 再葬墓の顔壺の系譜
東日本の弥生再葬墓から出土する顔壺の表情は土偶形容器をよく似ていて目のまわりや口を囲む線刻はイレズミの表現。
その様式は遮光器土偶の末裔である結髪土偶の流れを汲んでいる。
縄文時代晩期終末の関東地方には口縁部に顔を貼り付けた深鉢形土器があり、つけられた顔は黥面である。
顔壺は西日本農耕文化の影響で増えた壺形土器を人体に見立て、縄文時代晩期の土偶の伝統を引き継いだ顔を口に描いて成立した伝統と革新が織りなすハイブリッドな造形品である。
4 再葬墓の顔壺の役割
顔壺(小野天神前遺跡)
設楽博己著「顔の考古学 異形の精神史」(2021、吉川弘文館)から引用
弥生再葬墓遺跡で壺形土器が100個ほど出土しても、顔壺は1つしかない場合がほとんどである。したがってそれ自体墓を代表する蔵骨器であった可能性が高い。再送に祖先の仲間入りという目的を考えると、顔壺は祖先の像とみなされた可能性がある。喜怒哀楽を感じさせず、異形としての誇張表現のない点も祖先の像としてみるのがふさわしい。顔壺に乳房が表現された例があり、女性像である可能性がある。
5 関連学習
縄文晩期 顔面付注口土器
小諸市石神遺跡 レプリカ 2020.02.14長野県立歴史館で撮影
縄文晩期 顔面付注口土器
縄文晩期 顔面付注口土器説明
顔のイメージが上の顔壺(小野天神前遺跡)ととてもよく似ています。縄文の顔の造形が弥生顔壺に引き継がれたという説明が説得力を持ちます。
写真を拡大してよくみると口のまわりなどに線刻があり黥面であることが確認できます。
この注口土器の顔は祖先の顔を表現していて、注口土器は葬祭で使う祭器だった可能性が濃厚だと考えます。
6 感想
この学習で、縄文晩期人面土器の顔が祖先の像である可能性があり、それが弥生時代に継続したことを知りました。
この図書の学習はもともと縄文土偶に関する部分のつまみ食いを密かなる主目的にはじめたのですが、著者の研究方法「情報の多い新しい時代から情報の少ない過去に遡って論証していく(奈良平安→古墳→弥生→縄文)」にすっかりとりつかれてしまい、弥生学習をしたくてウズウズしてしまいます。また過去に集中学習した奈良平安と縄文を結びつけたく、古墳と弥生の学習を基礎からしたくなります。
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