山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習24
「第三章 本格的な定住生活の確立 早期(Ⅱ期)」の「4 墓制・祭祀・装身具等の発達に見る精神文化」を学習します。
「4 墓制・祭祀・装身具等の発達に見る精神文化」は次の小見出しで記述されています。
1 墓域・配石遺構の発達
2 動物祭祀の発達
3 赤色顔料の多用
4 仮面習俗の存在?
5 多様な装身具
6 土偶の増加
7 早期の社会構造
8 縄文文化の主要な要素の萌芽期としての早期
これら一つ一つについて興味があります。それぞれ徹底して学習したくなります。しかし、5月は第三章学習、6月は第四章学習、・・・と計画的学習進行を優先させ、まず縄文社会変動の大局観をこの学習で得ることを主目的とし、寄り道学習はあくまで許容できる範囲の寄り道にすることにします。
この記事では上記小見出し記述の概要を確認し、今後の学習の仕方をメモします。
1 墓域・配石遺構の発達
・大規模墓域確実視…鳥取県上福万遺跡(配石墓、土坑墓、墓域正立)
・熊本県瀬田裏遺跡…方形配石遺構(押型文土器の時期、胴部に孔のある壺形土器)
墓域・配石遺構については今後折に触れて徹底して学習することにします。
草創期と早期では墓についてどのように異なるのか?
上福万遺跡は「全国遺跡報告総覧」(奈良文化財研究所)から発掘調査報告書(2冊)をダウンロードしてざっと見ることができました。興味が湧きます。
2 動物祭祀の発達
・千葉県取掛西貝塚…動物供儀
2019.02.07記事「飛ノ台史跡公園博物館企画展「ここまでわかった!~1万年前の取掛西貝塚~」」などで企画展展示観覧をはじめ何度か興味をもち学習をしています。
過去の学習をさらに発展させたい思考がいろいろ浮かびます。
「動物供儀」という言葉ではなく、その活動のイメージをよりリアルに推測できるようにしたいと思います。
竪穴住居跡から動物供儀跡が出土していますが、動物供儀は上屋のある住居内で執行されたのか、それとも廃屋となり、上屋が取り払われた野外空間としての住居跡で執行されたのか?
上屋のある室内空間での動物供儀は、根拠はありませんが、考えられないと直感します。
室内空間では集落の全員がその式に参加できません。
またイノシシやシカの頭と体の分離は動物供儀の重要な項目として式途中に衆人環視の中で執行されたに違いありません。首を切った動物の中にはまだ生きているものが含まれていたに違いありません。
動物供儀が野外(竪穴住居跡)で執行されその後、ある程度急速に貝をかぶせたと想像します。
動物供儀に関する図書も数多くあるようですから学習テーマの一つにしたいと思います。
動物供儀跡の状況
船橋市飛ノ台史跡公園博物館企画展(2019年2月開催)パンフレットから引用
縄文早期遺跡に動物供儀跡が発見される意義も検討価値があります。草創期にも同じようなことがあり、ただ発見できないだけなのか、それとも草創期には少なく早期に盛行しだしたのか?
3 赤色顔料の多用
・旧石器時代の赤色顔料…北海度嶋木遺跡出土石皿(台石)付着ベンガラ、北海道柏台1遺跡…褐鉄鉱
・鹿児島県関山遺跡…入れ子状土器の小型土器内部にパイプ状ベンガラ(早期後葉)
・北海道東釧路貝塚…人骨の全身にベンガラ
・北海道垣ノ島B遺跡…土坑墓からベンガラ赤漆の漆工製品(9000年前)火災消失
・石川県三引遺跡…ベンガラ漆塗竪櫛(7200年前)
4 仮面習俗の存在?
・東名遺跡から木製仮面出土…仮面習俗…祖霊祭祀
・中期以降に土製仮面(土面)増加
東名遺跡出土 木製仮面
佐賀市教育委員会編「縄文の奇跡! 東名遺跡」(2018、雄山閣)から引用
仮面習俗も大変興味がありますから、重要な学習テーマとしたいと思います。
2020.03.20記事「国宝土偶「仮面の女神」注記付き3Dモデルと想像的解釈」
5 多様な装身具
・東名遺跡…シカ角加工装身具(腰飾り)、ツキノワグマ犬歯製垂れ飾り、サメ歯製垂れ飾り、貝製装身具(クマサルボウ製、マツバガイ製、ベンケイガイ製、オオツタノハ製)
・滋賀県石山貝塚…子ども埋葬例に伴うツノガイ製玉
・千葉県取掛西貝塚…ツノガイ製玉
・愛媛県上黒岩岩陰遺跡…タカラガイ製装身具、マキガイ製ビーズ
東名遺跡出土装身具
佐賀市教育委員会編「縄文の奇跡! 東名遺跡」(2018、雄山閣)から引用
千葉県取掛西貝塚出土 ツノガイ製玉
船橋市教育委員会発行「ふなばしの遺跡」(2017)から引用
6 土偶の増加
・千葉県木の根遺跡…三角形に大きな乳房
・茨城県花輪台貝塚…大きな乳房
・大阪府神並遺跡…四角い粘土版に乳房貼り付け
・鹿児島県上野原遺跡…顔の表現はない
・千葉県中鹿子第2遺跡…腰部だけで乳房はない
・千葉県打越岱遺跡…頭部から腰で乳房はない
・土偶の多元的発生説
茨城県花輪台貝塚出土土偶
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
土偶についてはすでに重要学習テーマとして興味を持っています。土偶は時期によりその意義が微妙に(あるいはかなり)異なるようだとの作業仮説の下に学習を進めたいと思います。
7 早期の社会構造
・母系的な社会の可能性
8 縄文文化の主要な要素の萌芽期としての早期
・早期は縄文文化の萌芽期で、要素はすべて前期にまで持ち込まれる。
9 感想
縄文早期になぜ縄文文化の諸要素の萌芽が生まれたのか、なぜそれが前期に持ち込まれたのか、その理由(背景)をより深く理解できるように今後学習することにします。
縄文早期初頭は海面が現在より40m低く、縄文早期末までに海面が40m上昇しました。この地形の大変化(現代風に言えば国土の大縮小)と縄文早期文化とはどのように絡むのか、学習を深めたいと思います。
2020年5月26日火曜日
2020年5月18日月曜日
北の大規模集落
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習21
「第三章 本格的な定住生活の確立 早期(Ⅱ期)」の「2 定型的な居住様式の確立と貝塚の形成」の小見出し「北の大規模集落」「本州における様相」「集落から居住集団を推測する」を学習します。
1 北の大規模集落
「北海道八千代A遺跡からは早期前半の時期の竪穴式住居が103棟以上確認されたほか、9万点弱もの遺物が出土しており、全国的に見ても稀有な大規模な集落遺跡であることが判明している。また、北海道函館市の函館空港中野B遺跡は、津軽海峡を望む海岸の台地の上に広がる大規模な集落跡だが、そこから早期後半の事例を中心とする竪穴式住居跡が700棟以上、検出されている。住居跡の数だけをみれば、まさに縄文屈指の大集落である。」山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
2 本州の様相
「本州でも岩手県馬立Ⅰ遺跡から早期前半の住居跡が14棟、山形県二タ俣A遺跡では早期前半を主とする住居跡が18棟、群馬県多田山遺跡群では早期前葉の稲荷台式期を中心に住居跡が23棟見つかっている。」
「近畿地方でも、三重県鴻ノ木遺跡から早期前葉の住居跡が18棟確認されている。」
「中国地方でも、島根県堀田上遺跡や鳥取県取木遺跡の事例など、そのほとんどの集落が数棟程度の規模しかない。
「九州においても、その南部を除いては、竪穴式住居の検出例は少ない。」
「現状では、早期の段階においては、すでに通年的定住生活を行っていた地域と、そうでない地域があったと理解しておいた方がよいだろう。」
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
3 集落から居住集団を推測する
1つの住居に何人が生活していたかは、
居住者数=(住居跡の床面積)÷3(人が手足を大きく伸ばしたときの広さ)-1
という式でおおよそわかる。
上野原遺跡では早期住居跡の平均床面積(約7.13平方メートル)から1棟に2~3人生活していたと推定できる。1時期に6~7棟住居があったとすれば、多くとも20人程度が集落人口である。
北海道中野B遺跡では平均床面積(約15.4平方メートル)から1棟に4~5人生活していて、1時期に6棟前後の住居が同人存在していたとされるので集落人口は30人前後と推定される。
集落は2~3家族程度の人々から構成されていたと推定できる。
以上山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
4 感想
これまでの学習結果と合わせると縄文早期定住に関して、山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から次のような情報を読み取ることができます。
●貝塚が形成され本格的な定住生活が営まれていた地域…東京湾沿岸部、青森県赤御堂貝塚や長七谷地貝塚、岡山県黄島貝塚、滋賀県粟津湖底遺跡など
●早期の段階において通年的定住生活を行っている地域…九州南部の上野原遺跡付近、北海道の北海道八千代A遺跡周辺、函館空港中野B遺跡周辺など
●通年的定住生活を行っているとは考えられない地域…上記を除いた本州東北・関東・近畿・中国・九州北部など
以上の結果を地図にプロットすると次のようになります。
縄文早期大型集落と縄文早期貝塚
関東平野の縄文早期貝塚
図書に記述されていることを機械的に理解すると、九州南部と北海道及び関東の3カ所が縄文早期に定住化が全国に先駆けて進んだと考えることができます。
九州南部は列島で南に位置していて気候の温暖化が早かったという条件から定住化が早かったと理屈をつけることができます。
関東は海進の影響が顕著で漁労という有望な新たな生業を獲得できたので定住化が早かったと理屈をつけることができます。
北海道はなぜ定住化が早いのか?草創期以来の大陸からの影響が「資産」として残っていたからなのか?今一つ自分には理屈をつけることができません。
函館空港中野B遺跡については今後さらに検討を深めたいと思います。
(縄文時代の全国貝塚データを当方活動のために奈良文化財研究所から提供していただきました。感謝申し上げます。そのデータから早期に関わる遺跡を抽出してQGISでプロット図を作成しました。)
5 参考
5-1 上野原遺跡の位置
上野原遺跡の位置
webにおいて、鹿児島県立埋蔵文化財センター→埋蔵文化財情報データベース→埋蔵文化財全情報検索→遺跡分布地図検索(詳細版)→霧島市→上野原遺跡の操作で正確な遺跡位置図を入手できました。
5-2 函館空港中野B遺跡、北海道八千代B遺跡の位置
函館空港中野B遺跡の位置
北海道八千代B遺跡の位置
webで北海道オープンデータポータル→データカタログ→データセット検索→地図・GIS→埋蔵文化財包蔵地(GISデータ)【北海道】でデータをダウンロードして、QGISプロットして位置を確認できました。
webで北の遺跡案内→北の遺跡案内へ進む→地図から探す→(自治体別操作)で遺跡地図にたどり着けることもできます。
「第三章 本格的な定住生活の確立 早期(Ⅱ期)」の「2 定型的な居住様式の確立と貝塚の形成」の小見出し「北の大規模集落」「本州における様相」「集落から居住集団を推測する」を学習します。
1 北の大規模集落
「北海道八千代A遺跡からは早期前半の時期の竪穴式住居が103棟以上確認されたほか、9万点弱もの遺物が出土しており、全国的に見ても稀有な大規模な集落遺跡であることが判明している。また、北海道函館市の函館空港中野B遺跡は、津軽海峡を望む海岸の台地の上に広がる大規模な集落跡だが、そこから早期後半の事例を中心とする竪穴式住居跡が700棟以上、検出されている。住居跡の数だけをみれば、まさに縄文屈指の大集落である。」山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
2 本州の様相
「本州でも岩手県馬立Ⅰ遺跡から早期前半の住居跡が14棟、山形県二タ俣A遺跡では早期前半を主とする住居跡が18棟、群馬県多田山遺跡群では早期前葉の稲荷台式期を中心に住居跡が23棟見つかっている。」
「近畿地方でも、三重県鴻ノ木遺跡から早期前葉の住居跡が18棟確認されている。」
「中国地方でも、島根県堀田上遺跡や鳥取県取木遺跡の事例など、そのほとんどの集落が数棟程度の規模しかない。
「九州においても、その南部を除いては、竪穴式住居の検出例は少ない。」
「現状では、早期の段階においては、すでに通年的定住生活を行っていた地域と、そうでない地域があったと理解しておいた方がよいだろう。」
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
3 集落から居住集団を推測する
1つの住居に何人が生活していたかは、
居住者数=(住居跡の床面積)÷3(人が手足を大きく伸ばしたときの広さ)-1
という式でおおよそわかる。
上野原遺跡では早期住居跡の平均床面積(約7.13平方メートル)から1棟に2~3人生活していたと推定できる。1時期に6~7棟住居があったとすれば、多くとも20人程度が集落人口である。
北海道中野B遺跡では平均床面積(約15.4平方メートル)から1棟に4~5人生活していて、1時期に6棟前後の住居が同人存在していたとされるので集落人口は30人前後と推定される。
集落は2~3家族程度の人々から構成されていたと推定できる。
以上山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
4 感想
これまでの学習結果と合わせると縄文早期定住に関して、山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から次のような情報を読み取ることができます。
●貝塚が形成され本格的な定住生活が営まれていた地域…東京湾沿岸部、青森県赤御堂貝塚や長七谷地貝塚、岡山県黄島貝塚、滋賀県粟津湖底遺跡など
●早期の段階において通年的定住生活を行っている地域…九州南部の上野原遺跡付近、北海道の北海道八千代A遺跡周辺、函館空港中野B遺跡周辺など
●通年的定住生活を行っているとは考えられない地域…上記を除いた本州東北・関東・近畿・中国・九州北部など
以上の結果を地図にプロットすると次のようになります。
縄文早期大型集落と縄文早期貝塚
関東平野の縄文早期貝塚
図書に記述されていることを機械的に理解すると、九州南部と北海道及び関東の3カ所が縄文早期に定住化が全国に先駆けて進んだと考えることができます。
九州南部は列島で南に位置していて気候の温暖化が早かったという条件から定住化が早かったと理屈をつけることができます。
関東は海進の影響が顕著で漁労という有望な新たな生業を獲得できたので定住化が早かったと理屈をつけることができます。
北海道はなぜ定住化が早いのか?草創期以来の大陸からの影響が「資産」として残っていたからなのか?今一つ自分には理屈をつけることができません。
函館空港中野B遺跡については今後さらに検討を深めたいと思います。
(縄文時代の全国貝塚データを当方活動のために奈良文化財研究所から提供していただきました。感謝申し上げます。そのデータから早期に関わる遺跡を抽出してQGISでプロット図を作成しました。)
5 参考
5-1 上野原遺跡の位置
上野原遺跡の位置
webにおいて、鹿児島県立埋蔵文化財センター→埋蔵文化財情報データベース→埋蔵文化財全情報検索→遺跡分布地図検索(詳細版)→霧島市→上野原遺跡の操作で正確な遺跡位置図を入手できました。
5-2 函館空港中野B遺跡、北海道八千代B遺跡の位置
函館空港中野B遺跡の位置
北海道八千代B遺跡の位置
webで北海道オープンデータポータル→データカタログ→データセット検索→地図・GIS→埋蔵文化財包蔵地(GISデータ)【北海道】でデータをダウンロードして、QGISプロットして位置を確認できました。
webで北の遺跡案内→北の遺跡案内へ進む→地図から探す→(自治体別操作)で遺跡地図にたどり着けることもできます。
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