2018年2月12日月曜日

猪の文化史考古編 新津健 2011 雄山閣

猪の文化史考古編 1

1 はじめに
昨年夏頃西根遺跡の学習に熱中し、そのなかで頭部の無い体部だけの幼獣焼骨が多量に出土する意義について考察し、その中でこの図書「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)を入手し拾い読みしました。ブログ花見川流域を歩く2017.09.20記事「新津健「猪の文化史 考古編」学習」参照
大変役立ちました。

図書「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)

当時はこの図書をじっくり読むことができませんでしたので、あらためて章を追って学習することにします。

2 この図書の目次
はじめに-今なにが起きているのか?
第1部 人とのつきあいの始まり-縄文の猪-
 第1章 猪造形を追って
 第2章 猪の埋葬、そして祈り
 第3章 猪の飼育・飼養問題について
第2部 古代文化をいろどる猪-弥生から古墳、そして歴史時代へ-
 第1章 弥生の猪
 第2章 埴輪の猪-王の狩-
 第3章 古代から中世へ-文献から探る猪-
考古編の最後に
参考文献
図版出典

3 「はじめに-今なにが起きているのか?」の概要
春、山梨県道志村に住むWさんは側溝に置き去りにされたウリボウをみつけ飼うことにした。ウリボウをはな子となづけて育てた。はな子は人になついて育った。風呂にも一緒にはいった。12月ごろからはな子は朝食あるいは昼食を食べると裏山に入っていき、夕方になると帰ってきて小屋で寝るという日課となった。
2月ごろはな子はいつものように山へでかけ、そのまま帰ってこなかった。
ところが5月ごろお腹のふくらんだはな子が帰ってきて6月に出産した。

著者はこのような興味深い事例を取材して「猪が豚として飼われはじめる経緯をみることができるのではないか」と述べています。
またこの事例は、縄文時代にイノシシの半飼育という考え方があるする上で大変参考になると述べています。

4 「考古編の最後に」の概要
「考古資料からは、縄文時代では土器を飾る猪造形にはじまり、猪形土製品や埋葬・埋納などの事例も多くみられた。これらのことから食料としての重要性はもちろん、増加期にはムラに出入りするとともに、さらには豊かなみのりを願う神としても縄文人の暮らしと深くかかわっていた猪の役割が推測できた。」

農作物への依存度が高まった弥生時代になると猪は害獣として捉えられる面が強まり、「退治されるべきもの」としての役割が与えられ、古墳時代には「王の狩」の対象として古墳を取り巻く「狩猟埴輪」の重要な構成要素となっている。

次の記事から章を追って学習を進めます。

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