この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (2)土器に描かれた物語 ①深鉢形土器の猪」の第1回目学習をします。
前記事と同じく、学習といっても土器スケッチ・写真を絵として理解するという視覚的確認作業(=スケッチ・絵の観賞)です。
1 土器に描かれた物語
縄文時代中期中頃、山梨・長野を中心とした中部山岳地帯に豪華で文様の立体表現と複雑さが加わった比類なき土器群が発達する。
その中に猪造形が含まれ、多くは蛇や女神とともに土器全面に展開する文様構成の要素として登場する。
小林公明氏はこの種の一連の文様から縄文神話の存在を読み取り、その物語の復元を試みた(小林1991)。
文様解読にはいくつかの段階があり、動物に当てはめると次のようになる。
1 誰でも動物の種類がわかる
2 ややデザイン化しているが元の動物名はわかる
3 相当に文様化しているが、全体の構成からその動物と理解できる
4 蓄積された知識からなんとか推測できる
この4つのケースは1から4へ縄文人の思考が具体から神話的世界に入る様子を、あるいはその動物の能力がより神話的表現へ進んでいく段階を意味するとも考えられる。
2 深鉢形土器の猪
2-1 山梨県安道寺遺跡の深鉢形土器
山梨県安道寺遺跡の深鉢形土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
正面から見て平らな鼻と2つ丸い孔から豚のようであり、だれしも猪を思い浮かべる。これは動物表現1にあたる。
しかし全体構成は複雑で、リアルな猪顔面の下のうねりは蛇を表していて「イノヘビ」といえるような縄文人が作り出した想像上の動物になっている。蛇は牙があり喉を大きく開いた様子になっている。イノシシの反対側口縁に蛙の足だけが表現されている。
天敵関係にある蛙→蛇→猪の合体や共存が描かれている。
縄文人が作り上げた物語が綴られているとしか考えられない。
2-2 長野県丸山南遺跡の樽形土器
長野県丸山南遺跡の樽形土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
蛙の片足に食いついた蛇という構図が描かれている。
2-3 山梨県上の平遺跡の土器
山梨県上の平遺跡の土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
参考 山梨県上の平遺跡の土器 画像調整
元写真が暗いので画像調整して細部確認ができるようにしました。
猪と蛇が向かい合った構成となっている。土器の口縁の上に高く飛び出した蛇、その反対側に低く対峙する猪の構図となっている。蛇は1及び2の段階で2匹の蛇かもしれない。猪は写実性から離れ相当にデザイン化していることから3ないし4の段階であるが、全体の「ずんぐりむっくり」とした体形の表現は猪の特徴がよくつかまれている。
蛇は高く首を掲げ、猪は低く構える。ここには縄文人だけが知っているストーリーが隠されている。
2-4 埼玉県羽沢遺跡の深鉢形土器
埼玉県羽沢遺跡の深鉢形土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
埼玉県羽沢遺跡の深鉢形土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
猪と蛇の対峙土器で猪は上の平遺跡よりリアルに表現されている。蛇は蛇というイメージは薄く動物表現は3から4の段階であるが、裏側からみると蛇であると理解できる。
猪側からみると2つの大きな目をもった奇怪な造形となり、人面装飾の一つの表現としてみてもよい。人面あるいは女神の頭に蛇が乗るという「構成」の一つである。猪は女神と一体となった蛇と向かい合っている。
2-5 東京都野塩前原遺跡の土器
東京都野塩前原遺跡の土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
蛇の部分は壊れていて詳しいことはわからない。猪は上の平遺跡によく似ているが、さらに省略が進んだものとみられる。
つづく
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