2019年1月22日火曜日

平和の民と戦う民の分かれ道

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」 3

ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」の学習記事第3回目です。この記事では「第2章 平和の民と戦う民の分かれ道」を学習します。

1 マオリ族とモリオリ族の衝突から浮かび上がる環境が人類社会に及ぼす影響
1835年、ニュージーランドの東800㎞にあるチャタム諸島に武装したマオリ族900人が舟で現れ、モリオリ族を殆ど全て殺して島を征服した。モリオリ族は襲来マオリ族の2倍の人口があった。
「モリオリ族とマオリ族の衝突がこのような残忍な結果になることは容易に予想できたことである。モリオリ族は小さな孤立した狩猟採集民のグループであり、たいした技術も持っていなかった。武器も、もっとも簡単なものしか持っておらず、戦いにも不慣れであった。強力な指導力を持つ者もいなかったし、組織的にも統率されていなかった。一方、ニュージーランド北島から侵入してきたマオリ族は、人口の稠密なところに住んでいた農耕民で、残虐な戦闘に加わることも珍しくなかった。モリオリ族より技術面において進んでおり、武器も優れたものを持っていた。グループの統率力も強かった。二つの部族の衝突において、虐殺されたのがモリオリ族であって、その逆でなかったことは当然ともいえる。」
「しかしマオリ族とモリオリ族の衝突を不気味なものにしているのは、彼らがいずれも1000年ほど前に同じ祖先から枝分かれしたポリネシア人である、という点である。」
「この衝突の結果は、モリオリ族とマオリ族の対照的な進化の経路の当然の帰結といえる。つまり、この二島において異質な人間社会が形成されていった理由が理解できれば、人類の歴史が大陸ごとに異なる発展をしていったという、より大きな疑問を理解するためのモデルを持つことができるかもしれない。」
モリオリ族とマオリ族の身に起きた出来事は、小規模で短期間ではあったが、環境が人類社会におよぼす影響についての自然の実験だったといえる。

ポリネシアの島々
ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」から引用

2 ポリネシアでの自然の実験について
同じ出自のグループがポリネシアの島々に展開し、隔絶して交流が少ない状況で、環境が社会に及ぼした影響を次の項目で詳しく論じています。
・ポリネシアの島々の環境
・ポリネシアの島々の暮らし
・人口密度のちがいがもたらしたもの
・環境のちがいと社会の分化
「ポリネシアは経済や社会、そして政治において非常に多様である。この多様性は、それらの島々の総人口や人口密度が島によって異なっていることに関係している。それらの島々の人口面での差異は、広さや地形、そして他の島々からの隔絶度が島によって異なるためである。そしてこれらの差異は、島民の生活形態のちがいや食料の集約生産の方法のちがいに関係している。これらの社会に見られるさまざまな相違点はすべて、地球規模で見ればポリネシアという比較的狭い地域で、比較的短い時間のうちに、同じ社会が環境のちがいによって異なる社会に分化した結果、発生したものである。」
われわれは、大陸においても同じような変化が起こったかを問わなければならない。そして、もし大陸で同じようなことが起こったのだとしたら、それを引き起こした環境的要因が何であったかを問わなければならない。また、その結果として、大陸社会がどのように多様化したかを問わなければならない。

3 メモ
・著者は最初に、マオリ族のモリオリ族征服というエピソードから、同じグループでも異なる環境に置かれれば一方は好戦的になり、一方は非好戦的になるという社会変化実例を示しています。次に、より広域的にポリネシアが恰好の歴史実験場であったことを詳細な記述で述べています。
・著者はこれらの環境的要因による社会変化が大陸規模でどうであったのかをこの本で述べると宣言しています。
・ポリネシアの島々の環境の相違とそれによる社会変化については「文明崩壊」でも詳しく学習したので、この記事では割愛します。
花見川流域を歩く番外編2017.12.21記事「ジャレド・ダイアモンド著「文明崩壊」の学習」から学習開始
・ポリネシアのような海による隔絶性が確保されていない、交流が盛んな縄文時代列島社会においても、環境の違いは縄文社会に異なる変化をもたらしていたと考えることができます。それが土器形式の違いなどに表現されていると考えます。
・ジャレド・ダイアモンドの思考は縄文時代列島社会の考察にも有用であると考えます。

参考 ポリネシアについて

ポリネシアの範囲
ウィキペディアから引用

ポリネシアにおける人類拡大の様子
ウィキペディアから引用

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