2018年3月7日水曜日

さらに猪をもとめて

猪の文化史考古編 7

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (2)土器に描かれた物語 ③さらに猪をもとめて」の学習をします。
前回記事までと同様に学習といっても土器写真の文様を理解するという視覚的確認作業(=スケッチ・写真の観賞)です。

判りづらい土器が多いので、画像を特大にしました。

1 北陸等の猪装飾
これまで中部山岳地帯の猪装飾をみてきたが、北陸等の猪装飾を見る。

写真21 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
この土器につけられたハート形の装飾は、一見、ヒトの顔の輪郭にも似ている。
だが装飾の中央部には、細い目と突き出した鼻先および二つの鼻孔という造形がある。これは北陸地方に前期末から伝わる猪によく似ている。

(どれが細い目なのか、私は特定できませんでした。)

写真22 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
鼻先を上に向けた猪のような頭部が四個、土器の胴体を等間隔にめぐっている。


図8 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
細い目をしたハート形の顔が付く、「動物意匠文土器」と呼ばれるこの動物も、猪の可能性がある。この顔の下、土器の胴部にあたる箇所には小さな双環把手があり、下から渦巻いてくる文様と一体となっている。この装飾を蛇とすると、この土器には猪と蛇が同時に表現されていたことになる。猪や蛇が登場する縄文の物語が存在していたのである。


写真23 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
短めの顔ながら、図8によく似た猪と思われる顔がつく、しかしこの顔には、左方向に延びながらやがて時計回りに渦巻く胴体と尻尾を持つ蛇へとつながっている。つまりこの造形は蛇であり、従って猪のような顔は、実は蛇の胴体ということになる。

(逆ハート形の造形を「短めの顔ながら、図8によく似た猪と思われる顔」と記述しているのでしょうか?「左方向に延びながらやがて時計回りに渦巻く」のがどの部分を指すのか私は特定できませんでした。結局記述が全く理解できませんでした。)

写真24 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
大きな把手が四単位でつくが、その把手と把手の間の口縁直下に丸い孔を上にした半円筒形の造形がへばりついていることが確認できる。胴部にも同じような瘤が上を向いている。これまでみてきた猪に似た表現でもある。
「火炎型土器」と呼ばれる種類の土器である。
四つの大きな把手。その最上部にもえあがる火炎。実はそれも猪のたてがみとみなせないだろうか。

縄文中期の中頃、猪が大量発生し縄文集落にとって身近な動物となった時期ではなかったか。食料としても重要な役割を担った猪。それが豊穣を願う神として、蛇とともに中期縄文人の祈りの世界に君臨し、神話の主役の一つという立場から土器に刻み込まれたのである。

2 感想
●感想1
写真やスケッチそのものを掲載するとともに、もう一枚同じものを用意して、その画像に線や色を使って「これが細い目」とか、「猪の顔」と見立てる造形はこの部分とか説明があると専門家以外にも情報が伝わると考えました。またそのような説明図を作成すると、解釈が露わになりますから、専門家自身も自分の思考の的確性を評価できるに違いありません。
写真の掲載と文章記述だけでは、そこに語られる重要性(興味深さ)が専門家以外に広く流布することは期待できませんから、もったいないと思います。
土器そのものを3Dデータ化して、自由な角度や視野で造形を説明する技術はすでに実用化されています。3Dデータを駆使した画像で神話の世界を人々に平易に説明すれば、多くの人々が考古に興味を持つと思います。

●感想2
猪が神話の主役になり、狩のもう一つの主対象であるシカが主役にならない理由は何故か?興味が湧きます。恐らく幾つかの理由があると思います。
蛇(爬虫類)に対してなぜ縄文人が着目したのか?蛇は食ったとは思いますが狩の主対象ではないと思います。なにか特別の理由があると思います。

2018年3月6日火曜日

富士見町史上巻の入手

2018.03.05記事「釣手土器の猪造形」で釣手土器に関して「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から次のような抜き書き(要約)をしてある種特別の興味を覚えました。

「この土器の中で火が燃やされたことは確かである。「古事記」や「日本書紀」にある火の神「カグツチ」とそれを生んだ「イザナミ」に由来する造形と説く研究もある。この釣手土器にも猪造形が見られる。」

この記述の原資料の一つが富士見町史上巻であることをつきとめ、実物を閲覧したくなりました。
調べたところ千葉県内図書館にはありません。
国会図書館に行けば閲覧できるに違いありません。
しかし念のためWEBで入手できるか確認してみました。
結果、2660円で入手できることが判りました。交通費をかけて国会図書館にでかけ、高額コピー料金を支払い、時間も半日つぶすことを考えると、2660円で原本を入手できるならば、結果として内容にあまり満足ができなくてもよいだろと判断して、早速購入を申し込みました。

その図書が本日配送されてきました。

古書とはいえ汚れや傷みもなく、2660円(配送料込)にしては立派すぎる大書です。

入手した富士見町史上巻
箱、上巻、史料編

さらに内容を確認すると縄文時代(図書では新石器時代)が約260ページにおよびその中で「世界観と神話像」が約80ページに及びます。

ペラペラ眺めた限りでは私の興味を満足させ、新たな興味を刺激するような内容になっています。
記紀神話等との関連だけでなく、古代中国の事物や神話との関係も語られているようです。

「世界観と神話像」のページ
見覚えのある図像がたくさん掲載されています。

結果として趣味活動のレベルアップに役立つ図書を入手でき、かつコストパーフォーマンスのよい買い物をしたようです。

「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の学習の後、この図書の学習をこのブログでしたいと思います。

2018年3月5日月曜日

釣手土器の猪造形

猪の文化史考古編 6

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (2)土器に描かれた物語 ②釣手土器」の学習をします。
前回記事までと同様に学習といっても土器写真の文様を理解するという視覚的確認作業(=写真の観賞)です。

1 釣手土器の説明
釣手土器とは中期中頃から中期後半にかけて、長野山梨など中部地方や関東の山岳地域を中心につくられた土器で、内面や釣手の縁に煤がついていたり焦げ跡が残されているものが多く、この土器の中で火が燃やされたことは確かである。「古事記」や「日本書紀」にある火の神「カグツチ」とそれを生んだ「イザナミ」に由来する造形と説く研究もある。この釣手土器にも猪造形が見られる。

2 釣手土器の猪造形

図1 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手頭頂部に1頭、両脇にそれぞれ1頭ずつ猪が付く。きわめてリアルに猪を表現している。

図2 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
正面に大きな丸い孔1つからなる造形が釣手頭頂部に1つと、その両脇に2個ずつ合計5個並ぶ。「平らな吻端」「半円筒形」という猪の特徴そのものである。親猪1頭とウリボウ4頭ということになろうか。
親猪の背面から頭にかけて蛇が這う。

図3 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
頭頂部に3匹、鉢部の両側に2匹の合計5匹の動物が付く。
正面から見た時に限り猪で、背面から見ると目を始めとした頭部や身体は蛇とみてよい。

図4 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手部に3匹、背面の環を覗くかのように1匹、合計4匹、ツチノコのような動物が這う。蛇とみてよいのではないか。


図5 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
鼻先が丸くしかも丸孔が開けられるものもある。目の表現では蛇とも共通する。この例は蛇と猪の組み合わせから構成される最初の造形かもしれない。
図4→図5→図3の順で「蛇」から「猪と蛇との融合」に進んでいくようである。

(図5は細部がつぶれていてよく理解できませんでした。)

図6 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手中央に大きな猪がいてその両側の子猪が並ぶ構成であり、猪であることはずんぐりした体つきからわかるが、正面が人の顔となっている。

図7 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
「蝙蝠」とも言われる動物が付く。釣手頂部の顔、その顔から両側につらなる把手の表現は蝙蝠にふさわしい。しかしその鼻はやはり猪を思い起こすのに十分である。猪が意識されているのではなかろうか。

写真1 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手土器でもアーチの頂上に人の顔面が付く例。人面の横にならぶ丸い孔は猪の特徴の一つ「平らな吻端」に似ていて、やはり猪とみてよい。

写真2 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手土器でもアーチの頂上に人の顔面が付く例。人面の横にならぶ丸い孔は猪の特徴の一つ「平らな吻端」に似ていて、やはり猪とみてよい。


写真3 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
釣手土器でもアーチの頂上に人の顔面が付く例。人面の横にならぶ丸い孔は猪の特徴の一つ「平らな吻端」に似ていて、やはり猪とみてよい。

3 感想
最初は図と写真の中の猪がどれなのかサッパリ判らなかったのですが、少しずつ理解できるようになってきました。
これらの土器を利用した祭祀の背景にある縄文神話がどのようなものであったのか、興味を持ちます。

2018年3月2日金曜日

猪と蛇の対峙 その2

猪の文化史考古編 5

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (2)土器に描かれた物語 ①深鉢形土器の猪」の第2回目学習をします。
学習といっても土器写真の文様を理解するという視覚的確認作業(=写真の観賞)です。
なお図書の写真はモノクロですが自分が理解しやすい(認識しやすい)画像とするためにわざと任意の色を着色しました。情報量は同じだと思いますが自分にとってとても理解しやすい(認識しやすい)画像となりました。
着色はスキャンしたモノクロ画像をPhotoshopに取り込みカラーレイヤーを被せ、そのカラーレイヤーを「焼き込みカラー」としました。またモノクロ画像はトーンカーブ補正で色を薄くしました。

1 写真と図書による説明

写真10 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
右写真 胴部に「平らな吻端」と「半円筒」の造形が縦についていて猪を表す。「双環突起」(目玉のような大きな環)と猪両側の腕のような表現は一体で蛙の目玉と両足を表現していると考えられている。
左写真 胴部に蛇が描かれている。土器の両側で猪と蛇が対峙している。
猪と蛇が蛙の背中から生れている様子を表現していると考えられている。

写真11 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
胴部の顔は出産シーンを表していて、蛙の背中から生れ出てくる新しい命の顔を表現していると考えられている。
蛙は月の象徴であることから、生れ出る命は月の子どもであり、それを生み出す土器は母なる月の神「月母神」とされる。

写真12 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
目鼻の表現のない顔面把手付土器で、胴部に猪と蛇が対峙して表現されている。「双環突起」はない。猪の両側の曲線は蛙の手を表現していると考えられる。

写真13 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
目鼻の表現のない顔面把手付土器で、胴部に猪と蛇が対峙して表現されている。「双環突起」がある。猪の両側に蛙の手が表現されている。
写真11、12、13は同じ思想のもとに製作された造形であることが理解できる。

口縁部で猪と蛇が対峙する土器が胴体が一旦くびれて口縁で大きく広がる「鉢形」である(2018.02.28記事「猪と蛇の対峙」参照)のに対して、胴部で猪と蛇が対峙する土器は樽型であることの違いは重要であると考えられる。
器形と文様とを含めある種の物語り性にもとづいた流れがあるようにも思われる。

その流れとは、女神の身体から生れた猪と蛇が、土器を這い上がり、やがて土器の縁にたどりつくという道程である。

写真14 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
猪が「双環突起」の上に連なる。

写真15 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
猪の吻端を取り巻くように蛇が重なっている。

写真16 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
猪と蛇が重なる造形の把手が大小2つ付いている。

写真17 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用・着色
顔面全体は真ん丸でその中に丸い目がついていて、この造形は猪が基本になっているように思われる。本来は猪であったとみなし「人面猪」といった表現であると考える。この「人面猪」の上に蛇がつく。

猪と蛇が女神(蛙)の胴体から生れ、這い上がりつつ口縁にたどり着き、土器を挟んで対峙し、最終的に「人面猪」に蛇が乗り土器の内部を眺めることによりさらなる食べ物が出現する、そんな祈りにもつうずる物語が語れていたのではないか。

2 感想
土器の造形・文様の意味を専門家がどのように捉えているか初めて知り、感動しました。土器から類推される縄文神話についてもっと詳しく知りたくなりました。
また千葉県からこのような土器は出ていませんが何故なのか?とかこのような重厚な土器がつくられた背景(飢餓の恐れがあったからなど)を知りたくなりました。





2018年2月28日水曜日

猪と蛇の対峙

猪の文化史考古編 4

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (2)土器に描かれた物語 ①深鉢形土器の猪」の第1回目学習をします。
前記事と同じく、学習といっても土器スケッチ・写真を絵として理解するという視覚的確認作業(=スケッチ・絵の観賞)です。

1 土器に描かれた物語
縄文時代中期中頃、山梨・長野を中心とした中部山岳地帯に豪華で文様の立体表現と複雑さが加わった比類なき土器群が発達する。
その中に猪造形が含まれ、多くは蛇や女神とともに土器全面に展開する文様構成の要素として登場する。
小林公明氏はこの種の一連の文様から縄文神話の存在を読み取り、その物語の復元を試みた(小林1991)。
文様解読にはいくつかの段階があり、動物に当てはめると次のようになる。
1 誰でも動物の種類がわかる
2 ややデザイン化しているが元の動物名はわかる
3 相当に文様化しているが、全体の構成からその動物と理解できる
4 蓄積された知識からなんとか推測できる
この4つのケースは1から4へ縄文人の思考が具体から神話的世界に入る様子を、あるいはその動物の能力がより神話的表現へ進んでいく段階を意味するとも考えられる。

2 深鉢形土器の猪
2-1 山梨県安道寺遺跡の深鉢形土器

山梨県安道寺遺跡の深鉢形土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
正面から見て平らな鼻と2つ丸い孔から豚のようであり、だれしも猪を思い浮かべる。これは動物表現1にあたる。
しかし全体構成は複雑で、リアルな猪顔面の下のうねりは蛇を表していて「イノヘビ」といえるような縄文人が作り出した想像上の動物になっている。蛇は牙があり喉を大きく開いた様子になっている。イノシシの反対側口縁に蛙の足だけが表現されている。
天敵関係にある蛙→蛇→猪の合体や共存が描かれている。
縄文人が作り上げた物語が綴られているとしか考えられない。

2-2 長野県丸山南遺跡の樽形土器

長野県丸山南遺跡の樽形土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
蛙の片足に食いついた蛇という構図が描かれている。

2-3 山梨県上の平遺跡の土器

山梨県上の平遺跡の土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用

参考 山梨県上の平遺跡の土器 画像調整
元写真が暗いので画像調整して細部確認ができるようにしました。

猪と蛇が向かい合った構成となっている。土器の口縁の上に高く飛び出した蛇、その反対側に低く対峙する猪の構図となっている。蛇は1及び2の段階で2匹の蛇かもしれない。猪は写実性から離れ相当にデザイン化していることから3ないし4の段階であるが、全体の「ずんぐりむっくり」とした体形の表現は猪の特徴がよくつかまれている。
蛇は高く首を掲げ、猪は低く構える。ここには縄文人だけが知っているストーリーが隠されている。

2-4 埼玉県羽沢遺跡の深鉢形土器

埼玉県羽沢遺跡の深鉢形土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用

埼玉県羽沢遺跡の深鉢形土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
猪と蛇の対峙土器で猪は上の平遺跡よりリアルに表現されている。蛇は蛇というイメージは薄く動物表現は3から4の段階であるが、裏側からみると蛇であると理解できる。
猪側からみると2つの大きな目をもった奇怪な造形となり、人面装飾の一つの表現としてみてもよい。人面あるいは女神の頭に蛇が乗るという「構成」の一つである。猪は女神と一体となった蛇と向かい合っている。

2-5 東京都野塩前原遺跡の土器

東京都野塩前原遺跡の土器 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
蛇の部分は壊れていて詳しいことはわからない。猪は上の平遺跡によく似ているが、さらに省略が進んだものとみられる。

つづく

2018年2月21日水曜日

猪、再び土器へ

猪の文化史考古編 3

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (1)猪、再び土器へ」の学習をします。
学習といっても土器スケッチ図版を絵として理解し、その絵理解と説明文章を対応させるという基礎確認作業(=スケッチ観賞)です。
通常図書におけるよりも図版縮小が著しいため、このような図版を見慣れない自分にとっては図版の拡大による理解がどうしても必要です。図版の拡大は視力の良し悪しとは関係なく、理解を深めるためには(思考を深めるためには)自分にとってどうしても必要なことです。

「第1章猪造形を追って 2神となった動物たち (1)猪、再び土器へ」では土器から猪が消え、しばらくの時が流れた前期終末から中期の初期頃に猪が再登場し、さらに蛇も加わって土器をにぎわす様子を説明しています。
中期中葉には猪と蛇の造形が盛行するのですが、その造形が前期終末・中期初頭という時期に始まることの重要性を指摘しています。
それは縄文人が抱いた二つの動物、それに連なる縄文神話の土器への表現がこの時期に始まるという、画期を示すように思われるからであるとしています。

1 吻端(鼻先)を上に向けた獣面

吻端(鼻先)を上に向けた獣面 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
「これはなんとなく猪のイメージが漂う。」

2 獣面の装飾

獣面の装飾 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
「これは猪というよりも蛇とみられるものである。」

3 奇怪な動物顔面装飾

奇怪な動物顔面装飾 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用

「猪なのか蛇なのか、はたまた熊なのか。」 

4 奇怪な動物顔面装飾

奇怪な動物顔面装飾 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用

「猪なのか蛇なのか、はたまた熊なのか。」 

5 奇怪な動物顔面装飾

奇怪な動物顔面装飾 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用

「猪なのか蛇なのか、はたまた熊なのか。」

6 獣面付き土器

獣面付き土器  「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
「クマやコウモリなどの意見もあるが、鼻先の表現からは猪とみておきたい。なにやら可愛らしい猪でもある。」

7 人の顔とされている破片

人の顔とされている破片 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
「猪の可能性がある。」

8 口縁部を這うリアルな蛇の造形

口縁部を這うリアルな蛇の造形 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
「三角形の頭部や全体の表現から蝮とみてよかろう。」

9 蛇とみられる表現

蛇とみられる表現 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用

10 不思議な動物表現

不思議な動物表現
「小島俊彰氏はヤモリの類を想定するが、小野正文氏は「猪頭蛇尾」という表現で、縄文人が作り出した想像上の動物と考えている。」

11 不思議な動物表現

不思議な動物表現 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
「10と同じ見方ができる。」
この図版だけ動物イメージ(頭部表現の動物らしさ)がどうしても湧きません。

12 蛇の目

蛇の目 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
「蛇の目だけが強調されたとも考えられる。」

2018年2月17日土曜日

土器を飾りはじめた猪

猪の文化史考古編 2

この記事では「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)の「第1章猪造形を追って 1土器を飾りはじめた猪」の学習をします。

1 土器を飾りはじめた猪
今からおよそ5500年ほど前(最新の研究段階では6000年ほど前)の縄文時代前期後半、諸磯b式土器の時代、深鉢形土器の口縁部に獣面把手といわれる猪がモデルになった土器が関東・中部を中心に福島や静岡・岐阜方面の東日本一帯に広がり、それは諸磯b式土器の広がりでもあった。
猪装飾を詳しく観察すると1類から6類への変遷が考えられる。

猪装飾の変遷 「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から引用
猪装飾の量が群馬県安中の遺跡で多いので、そこで最初に土器に猪を付け、それが諸磯b式土器を作る各地のムラに広がった可能性がある。また群馬から離れるに従い造形のリアルさが欠ける。

最初につけられた段階では大変リアルな猪であったことから、その頃は実際に猪を観察しながらその顔面を付けたとも考えられる。諸磯b式の時代、あたかも現在のように猪が人里に多く現れるのと同じ現象がおこったのではないか。

猪は多産系の動物であり、また重要な食糧源の一つでもあることから、食料豊穣の象徴として煮炊きする土器を飾ったと考えられる。

土器型式の時間で1世代か2世代を過ぎる頃、同じ諸磯b式でも後半の時期には猪装飾は写実性を失いその意味は形骸化していった。その背景には自然界における猪増減のサイクルが連動し、縄文のムラにて猪を目にする機会が大幅に少なくなったのではなかろうか。

中期中頃の強烈な痕跡はなく、この前期後半という時代、猪が神として縄文人の生活を導くまでには至らなかった。そして縄文集落から猪造形は陰をひそめた。
「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)から要約

2 大膳野南貝塚から出土しイノシシ形獣面把手
現在学習を進めている大膳野南貝塚の前期後葉竪穴住居・包含層・遺構外出土土器にイノシシ形獣面把手が24例含まれています。
その一部を良く観察し、そのうちの1つについてじっくりと紙上観賞してみました。

大膳野南貝塚出土イノシシ形獣面把手
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

大膳野南貝塚出土イノシシ形獣面把手 写真
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

大膳野南貝塚出土イノシシ形獣面把手1
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
「1は突出した頭部の下に左右の耳と思われる貼付を施し、上面にキザミを加える。その直下には2ヵ所の円形刺突を加えて目の表現とし、円形の貼付に鼻孔の穴2ヵ所と口と考えられる横位の沈線を加える。平面的ではあるが非常に写実的な表現がなされた把手である。」

大膳野南貝塚出土イノシシ形獣面把手1 写真
大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用

3 感想
諸磯b式土器の時代の猪装飾が猪増減の自然サイクルと関係し、その発祥の地が群馬県安中らしいという説が説得力を持つので興味が深まります。説得力の背景に「野生ウリボウ飼育→山に帰る→飼育場所に戻り出産」事例観察があります。2018.02.12記事「猪の文化史考古編 新津健 2011 雄山閣」参照

2018年2月12日月曜日

猪の文化史考古編 新津健 2011 雄山閣

猪の文化史考古編 1

1 はじめに
昨年夏頃西根遺跡の学習に熱中し、そのなかで頭部の無い体部だけの幼獣焼骨が多量に出土する意義について考察し、その中でこの図書「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)を入手し拾い読みしました。ブログ花見川流域を歩く2017.09.20記事「新津健「猪の文化史 考古編」学習」参照
大変役立ちました。

図書「猪の文化史考古編」(新津健 2011 雄山閣)

当時はこの図書をじっくり読むことができませんでしたので、あらためて章を追って学習することにします。

2 この図書の目次
はじめに-今なにが起きているのか?
第1部 人とのつきあいの始まり-縄文の猪-
 第1章 猪造形を追って
 第2章 猪の埋葬、そして祈り
 第3章 猪の飼育・飼養問題について
第2部 古代文化をいろどる猪-弥生から古墳、そして歴史時代へ-
 第1章 弥生の猪
 第2章 埴輪の猪-王の狩-
 第3章 古代から中世へ-文献から探る猪-
考古編の最後に
参考文献
図版出典

3 「はじめに-今なにが起きているのか?」の概要
春、山梨県道志村に住むWさんは側溝に置き去りにされたウリボウをみつけ飼うことにした。ウリボウをはな子となづけて育てた。はな子は人になついて育った。風呂にも一緒にはいった。12月ごろからはな子は朝食あるいは昼食を食べると裏山に入っていき、夕方になると帰ってきて小屋で寝るという日課となった。
2月ごろはな子はいつものように山へでかけ、そのまま帰ってこなかった。
ところが5月ごろお腹のふくらんだはな子が帰ってきて6月に出産した。

著者はこのような興味深い事例を取材して「猪が豚として飼われはじめる経緯をみることができるのではないか」と述べています。
またこの事例は、縄文時代にイノシシの半飼育という考え方があるする上で大変参考になると述べています。

4 「考古編の最後に」の概要
「考古資料からは、縄文時代では土器を飾る猪造形にはじまり、猪形土製品や埋葬・埋納などの事例も多くみられた。これらのことから食料としての重要性はもちろん、増加期にはムラに出入りするとともに、さらには豊かなみのりを願う神としても縄文人の暮らしと深くかかわっていた猪の役割が推測できた。」

農作物への依存度が高まった弥生時代になると猪は害獣として捉えられる面が強まり、「退治されるべきもの」としての役割が与えられ、古墳時代には「王の狩」の対象として古墳を取り巻く「狩猟埴輪」の重要な構成要素となっている。

次の記事から章を追って学習を進めます。