都合によりこのブログを休眠ブログにします。このブログで情報発信していた活動内容は今後ブログ「花見川流域を歩く」で掲載します。
よろしくお願い申し上げます。
TV番組「ツタンカーメン」学習 4
(2022.05.04放送のNHKBS番組「英雄たちの選択スペシャル ツタンカーメン 秘宝に隠された真実」を材料に学習シリーズ記事を書いています。)
Tutankhamen Golden Mask
I learned that Tutankhamen's golden mask was made for resurrection and regeneration. I also enjoyed collecting stamps of the design.
ツタンカーメン黄金のマスクが復活再生のためにつくられたことを学習しました。またその図案の切手を収集して楽しみました。
1 ツタンカーメン黄金のマスク
番組ではツタンカーメン黄金のマスクについて次のような興味ある視点からの説明・発言がありました。
ア 技術的などの説明
・顔面はホワイトゴールド(銀との合金で白っぽく輝く)、それ以外は純金を使い、また遠方から運ばれてきた珍しい宝石・鉱物をちりばめて豪華につくってある。
・金は錆びることのない金属で、神々の体も金でできていると信じられていたほど価値が高かった。
・貢物として各地から金を運ばれてくる様子が壁画に描かれている。
イ 祭祀的などの説明
・価値高い黄金のマスクをつくる事によって、復活再生を容易にしようとした。現世の価値観を祭祀面にも持ち込んだ。
・死に対する恐怖心を豪華なものでカバーしようとした。死の恐怖を克服する技術として黄金のマスクをつくり、あの世でも通用すると考えた。
・豪華なもので遺体を包むと再生できるという考えは世界各地にある。
2 黄金のマスクの上に残っていた生花
番組では100年まえの発掘時に、黄金のマスクの上に妻アンケセナーメンが手向けたと考えられる生花(ドライフラワーとなって残存しているもの)が残っていたことが紹介されました。驚くべき事実です。
次の写真はエジプト考古学博物館で実際に見た、ツタンカーメン王墓から出土した植物(ドライフラワー)です。日本でいえば縄文時代晩期初め頃にあたりますが、その時代のドライフラワーが多量に出土するのですから驚きです。
3 ツタンカーメン黄金のマスク切手
ツタンカーメン黄金のマスクが図柄となっている切手を考古学切手コレクションの一環として収集して楽しんでいます。
4 感想
エジプト旅行で黄金のマスクもツタンカーメンの墓とそこに安置されているツタンカーメンミイラも観覧したのですが、双方ともに撮影禁止であり、結果として記録が残っていないのは残念です。
黄金のマスクは復活再生のためにつくられたということ、そしてそのような考えは世界各地にあるという説明は縄文時代学習でも着目すべき考えであると感じました。精緻な文様の縄文土器を時間と手間をかけてつくり、その土器を死者のためにつかったとしたら、その土器は古代エジプトの金に相当する意義があるのではないだろうかと想像します。
TV番組「ツタンカーメン」学習 4
(2022.05.04放送のNHKBS番組「英雄たちの選択スペシャル ツタンカーメン 秘宝に隠された真実」を材料に学習シリーズ記事を書いています。)
Akhenaten and Aten God Faith
I enjoyed Egyptian stamps with the design of Akhenaten, the father of Tutankhamen, the predecessor king, and the spread of the world's oldest monotheistic Aten god.
1 アクエンアテンの一神教
ツタンカーメンの父親で先代王であるアクエンアテンはアテン神信仰だけを認める一神教宗教改革を断行しました。アクエンアテンは既存神官層から恨まれ、死後の王棺のカルトゥーシュが削除され、顔が削られたほどです。
2 アクエンアテンのアテン神信仰
アクエンアテンのアテン神信仰は世界で最古の一神教宗教であり、その実態について今後学習を深めることにします。アテン神は円形太陽と多数の光線(光線の先には手)からなる図像で表現されます。他の多神教の神々のようにフィギュアになることはなく、平面にのみレリーフで描かれます。
アクエンアテンとネフェルティティの間には6人の女の子が生まれ、このレリーフには3人の女の子が生まれた時の様子が描かれていると言われています。ツタンカーメンの妻はアクエンアテンとネフェルティティの3女であると言われていて、そうだとすればネフェルティティに抱かれている女の子が該当するようです。
3 気になる情報
「唯一神起源説
ジークムント・フロイトは、アクエンアテンの治世年と出エジプトの年と推定される年代がほぼ同じである事を根拠に、アテン神が同じ唯一神教であるユダヤ教の神ヤーウェの原形とする説[12]を唱えた。アテンがヘブライ語の主(アディン)と類似するなどの根拠をあげている。」(Wikipediaアテンから引用)
この学説が今でも生きているのかどうか知りたくなり、学習を深めることにします。
TV番組「ツタンカーメン」学習 3
(2022.05.04放送のNHKBS番組「英雄たちの選択スペシャル ツタンカーメン 秘宝に隠された真実」を材料に学習シリーズ記事を書いています。)
Golden Throne of Tutankhamen 2
There are two cartouches that represent the king's name on the golden throne of Tutankhamen. After the resurrection of polytheism, Tutankhamen seems to have worshiped not only Amen but also Aten.
1 ツタンカーメンの2つのカルトゥーシュ
番組ではツタンカーメンの黄金の玉座にツタンカーメンの2つの王名刻印(カルトゥーシュ)があることを示して、何故2つの王名が刻まれているのかという問題意識を提示しています。この問題意識を軸に番組全体を展開しています。
2つの王名とはツタンカーメンとツタンカーテンです。
ツタンカーテンとは唯一神アテン信仰のもとにおける「アテン神の生ける似姿」という意味です。
ツタンカーメンとは伝統的な多神教世界におけるテーベ守護神アメン神信仰のもとにおける「アメン神の生ける似姿」という意味です。
番組ではツタンカーメンの父親で前代王アクエンアテンの多神教(アメン神など)から一神教(アテン神)への宗教改革とそれによりアクエンアテンがアメン神神官と一般民衆の恨みを買った様子が説明されます。
恨みを買ったアクエンアテン死後に王位を若くして継いだツタンカーメンは一神教(アテン神信仰)をアメン神を含む多神信仰(3神国家信仰)に戻すことが説明されます。
このような状況の中で、この王座は唯一神アテン神信仰と多神教のひとつであるアメン神信仰の両方が表現される王座として興味が持たれています。
番組ではツタンカーメンがアテン神の信仰を持ちながら3神(アメン神、ラー・ホルアクティ神、プタハ神)を国家神とする第3の選択をした様子を説明し、単純な多神教世界に戻ったのではないと説明しています。
2つの王名カルトゥーシュの刻印位置は次のように説明されています。
なお、カルトゥーシュ「ツタンカーメン」の右のカルトゥーシュは番組でも紹介されたツタンカーメンがファラオに即位したときの名前「ネブケペルウラー」です。
玉座背もたれにはカルトゥーシュ「ツタンカーメン」と「ネブケペルウラー」が並んで刻まれていて、これがファラオツタンカーメンのメインカルトゥーシュであることは明らかです。
カルトゥーシュ「ツタンカーテン」は玉座背後の右側枠に刻まれています。カルトゥーシュ「ツタンカーメン」と比べてランクが低い表現であることは明白です。
2 アテン神図像
王と王妃の背景にアテン神の表現である円盤状太陽とそこから放たれる多数光線が描かれ、光線の先端は手になっています。さらにその手をよく見ると、王と王妃のそばにアンク(生命の象徴鍵)を握っていて、2人に永遠の生命を届けているように見ることができます。
ツタンカーメンは多神教信仰復活(3神の国家神としての信仰)を宣言し実行していますが、この黄金の玉座は一神教であるアテン神の図像を正面に据えています。その理由として、この玉座は多神教信仰復活宣言以前に制作されたものだと言われています。しかし、この番組説明のようにツタンカーメン自らはアテン神を信仰していたのかもしれません。父親である先代王のアクエンアテンの王権を継承しているという正統性をわざと表現するためにアテン神を描いたと想像します。
TV番組「ツタンカーメン」学習 2
(2022.05.04放送のNHKBS番組「英雄たちの選択スペシャル ツタンカーメン 秘宝に隠された真実」を材料に学習シリーズ記事を書いています。)
King Tutankhamun's Golden Throne
Looking back on the actual viewing of the Tutankhamen Golden Throne, I enjoyed the stamp design and observed it in detail with detailed photograph.
番組ではツタンカーメン王墓から出土した幾つかの秘宝が紹介されましたが、その内の1つが黄金の玉座です。
2018年2月1日にエジプト考古学博物館でこの現物を観覧しました。
黄金の玉座は観覧者で混雑していて、撮影環境は劣悪でした。しかし現物を自分の眼で見たという体験は今となっては自分にとっては大変貴重なものです。もしもう一度エジプトに出かけることができれば大エジプト博物館でこの玉座をもう少しじっくり観覧して、よりましな写真を撮影したいものです。チャンスがあれば3Dモデル作成用撮影もチャレンジしたいものです。
この黄金の玉座は収集した考古学切手の中に2点ありました。
使用済み切手という単なる古い紙片です。しかし、この古い紙片を所有することによって黄金の玉座という考古情報と自分が少しだけつながりが持てたという気持ちになるので不思議です。玉座背の黄金と宝石で描かれた王と王妃の絵が図案になっています。図案切り出し窓はツタンカーメン黄金のマスク正面形状をデフォルメして模しているようです。切手全体の金色(印刷は黄色)とブルーの色調対比も、黄金のマスク頭巾の色調対比を模しているようです。
目打ちがない切手です。
図書「TUTANKHAMEN」(BONECHI)にはこの黄金の玉座の精細な写真が掲載されています。
ツタンカーメン王が玉座に座り、王妃アンケセナーメンが王に香油を塗っている情景です。頭上には円盤と光線で表現される太陽神アテンが描かれていて、光線の末端は全て小さな手となり、王と王妃に生きる力を与えています。一足のサンダルの片方を王が左足に、王妃が右足に履いていて、仲睦まじい姿が信じがたいほどであるという表現になっています。
番組では司会者と出演者の間の会話で「王が満足した状態であることを視覚化することによって民衆も安心した。」旨の出土物全体に対する意義が述べられていました。
なお、太陽神アテンはツタンカーメンの父親である前王アクエンアテンが宗教改革で唯一神にしたものです。唯一神に指定することによってアクエンアテンは多神教神官から恨みを買い、アクエンアテン死後は再び多神教に戻りました。この玉座には太陽神アテンが描かれているのでまだアクエンアテンの影響が残っている時期につくられたようです。
TV番組「ツタンカーメン」学習 1
Start learning the TV program "Heroes' Choice Special Tutankhamen: The Truth Hidden in the Hidden Treasure"
Learning TV program "Tutankhamen" 1
On May 4, 2022, the program "Heroes' Choice Special Tutankhamen: The Truth Hidden in the Hidden Treasure" (1 hour and a half) was broadcast on NHK BS. It was an interesting program, so I decided to watch it, record it, and study it carefully. I would like to enjoy this TV program.
2022年5月4日NHKBSで番組「英雄たちの選択スペシャル ツタンカーメン 秘宝に隠された真実」(1時間半)が放送されました。興味のある番組でしたので、視聴するとともに録画を撮り、じっくり学習することにしました。これまで図書をじっくり学習してブログ記事をシリーズで書いたことはあります。しかしTV番組を種に学習したことはありません。初めての学習活動ですので、いかに学習を楽しむかという観点で取組み、このTV番組を楽しみ倒したいと思います。
1 興味をそそる番組導入
今年(2022年)は20世紀最大の考古学的発見と言われるツタンカーメン王墓発掘100周年です。1922年11月にハワード・カーターによってツタンカーメン王墓がエジプト王家の谷で発見されました。この番組は100周年を記念して作成されたようです。
「黄金に輝く秘宝の数々から古代エジプトの王・ツタンカーメンの真実に迫る特別編!莫大な富と権力。謎多き死の真相。黄金のマスクの秘密。ツタンカーメンの神秘とロマン!
今年は古代エジプト・ツタンカーメン王の墓が発見されてちょうど100年。番組では8K超高精細カメラで撮影した秘宝の数々からツタンカーメンの実像を徹底解剖!そのばく大な富と権力、意外な日常生活とは?父の改革で国が混乱する中で即位した王は、いかにして国を立て直したのか?そして多くの謎に包まれた死の真相とは?ハイテクを駆使した黄金のマスクの秘密。黄金に輝く数々の宝が物語る、ツタンカーメンの神秘とロマン!」番組概要(NHKサイト「英雄たちの選択」から引用)
番組導入で司会の磯田道史(国際日本文化センター教授)さんから次のような興味をそそるコメントがありました。
あくまでもツタンカーメンを縄文時代日本の「巨木の文化」と対比させて「石の文化」と捉え、縄文時代認識を相対化して縄文時代をグローバルな視点から見てやろうという意欲が感じられました。番組ではこの導入以外で縄文時代への言及は一切ありません。しかし、ツタンカーメンあるいはエジプト文明を観察する視点(特に縄文時代学習をしている自分がもつべき視点)としてとても重要であると感じました。
2 学習方法
図書の学習ではそこに書かれている文章を詳しく読んで論理展開を「解読」して、その感想等をメモすることになります。しかしTV番組の場合、提供される情報は主に画像です。ナレーションによる論理展開自体は詳しく分析する対象としてはふさわしくないような気がします。そこで今回の学習は次のような方法を取り、楽しみを増幅させながら学習を行うことにします。
ア 番組で紹介される遺構や遺物観察の追体験
番組で紹介されるツタンカーメン王墓や主な出土品は自分個人の2018年1月エジプト旅行で観察したものが多いです。王家の墓であるいはエジプト考古学博物館で実縁を観察しています。そこで、4年前の観察を撮影写真等で追体験して楽しむことにします。4年前の撮影写真をブログ記事に掲載して楽しむことにします。
イ エジプト考古学博物館で入手した図書「TUTANKHAMEN」(BONECHI)の学習
エジプト考古学博物館で入手した図書「TUTANKHAMEN」(BONECHI)には遺物等の精細なカラー写真が多数掲載されています。この資料を活用して学習を進めたいと思います。
ウ 考古学切手コレクションの活用
昨夏から考古学切手コレクションを趣味活動に加えましたが、エジプト切手は考古学切手の宝庫です。このコレクションを学習に活用して、学習の楽しみを倍化させることにします。
エ 図書「河合望(1921):古代エジプト全史」の活用
番組で登場する考古学者河合望さんの著書「古代エジプト全史」(kindle版)を学習に活用することにします。
同時にこの図書には「河合望著「古代エジプト全史」刊行記念特設web」サイトがあり、そちらも情報満載です。この特設サイトも大いに学習に活用することにします。
もちろんのことですが、この図書以外の手持ちエジプト関連図書も大いに参照することは当然です。
オ web情報の活用
webからツタンカーメンやエジプト関連情報を大いに収集して学習に活用することにします。
カ Sketchfab及びScan The Worldの活用
Sketchfabにはツタンカーメンやエジプト関連地物の3Dモデルが多数掲載されています。学術的価値の少ない模造物が多いですが、なかには3D空間で地物の確認に役立つ場合があります。
Scan The Worldはエジプト関連地物(現物)の3Dモデルが掲載されています。
これらの情報を活用して学習を深めることとします。
3 学習の進め方
当面はTV画面に登場した遺物について、ア・イ・ウなどの方法で画像を楽しみ、画像から読み取れる情報をメモすることにします。遺物学習が一段落した後に、番組で述べられた司会者や登場者の発言を一つのきっかけとして自分自身の興味テーマを設定して学習をさらに進めることにします。
なお、自分が興味を持っている3Dモデル化技術とツタンカーメン遺物との間を何らかの方法で関連付けたいと考えています。縄文土器のようにツタンカーメン遺物を自分撮影写真によるフォトグラメトリーで3Dモデルにする条件は現状ではゼロです。しかし別の方法を使えば可能性があります。学習の中でその技術も検討することにします。
Impressions before reading the book "Going 15,000 km on Silk Road"
The book "Going 15,000 km on Silk Road" (Kokon Shoin, 2021) was given by the author, Keiji Nakaie. I have a strong interest in the geography, terrain, and archaeological sites of the Taklamakan Desert and its surroundings, so I haven't read all of them yet, but I wrote down my interests as a pre-reading impression.
今村遼平・中家惠二・上野将司編著「シルクロード1万5000キロを往く(上、下)」(古今書院、2021)を編著者の中家惠二さんからいただきました。その内容に強い興味を持ちましたので、まだ全部読んでいませんが、自分の興味を読前感想としてメモします。
1 図書の概要
この図書は、著者達がタクマラカン砂漠を中心に展開される陸のシルクロードを全て旅してみたいと思い、それを実現させ、その記録をまとめたものです。著者達のグループは地形・地質を主な業とする人々であり、歴史文化の体験のみならず、砂漠や山岳の専門的立場からの体験も随所で書かれています。2011年~2018年までの4回の旅行について月刊「地理」(古今書院)に連載してきたものをまとめたものです。
図書の構成
上巻…第Ⅰ編天山南路、第Ⅱ編天山北路
下巻…第Ⅲ編西城南道、第Ⅳ編河西回廊
2 感想
2-1 自分もいつか行ってみたい
このグループはタクマラカン砂漠周辺の新疆ウィグル自治区を縦横無尽に旅行しています。私もとても興味のある土地であり、ぜひとも旅行したいと思っていたのですがこれまで実現出来ませんでした。うらやましい限りです。パンデミックが終わり、海外旅行が自由になったあかつきにはぜひとも行ってみたいと思います。
その時のために、この旅行記を読み返し、事前勉強を楽しむことにします。
タクマラカン砂漠周辺の新疆ウィグル自治区の土地ついて、これまで次のようなブログ記事を書いています。
Colorful Faults of Xinjiang China
なお、タクマラカン砂漠や新疆ウィグル自治区には行ったことはないのですが、隣国といってもよい近隣のウズベキスタンには夫婦で旅行したことがあります。サマルカンドやブハラ、さらに砂漠を越えてヒヴァなどを訪問し、歴史文化と人情、砂漠に接し「シルクロード1万5000キロを往く(上、下)」で書かれている内容と類似した体験をしています。その体験から、タクマラカン砂漠と新疆ウィグル自治区に対する思いは強くなっています。
2-2 ニヤ遺跡の思い出
「シルクロード1万5000キロを往く(下)」の第Ⅲ編西域南道の「10且末(チャルチャン)から和田(ホータン)へ」で尼雅(ニヤ)河を渡ることとか、民豊(ニヤ)で昼食を食べたことが書かれています。このグループは行っていませんが、このニヤ河の下流(砂漠の中)にニヤ遺跡があります。ニヤ遺跡は行ったこともないのにとてもなつかしい場所です。
Niya ruins Wikipedia(英語版)から引用
(ちなみに、上の2枚の写真は同一サイトのようです。)
大学時代、教養の「人文地理学」という講座で保柳睦美教授が、ご自身が参加した戦前の国策タクマラカン砂漠探検調査の話をされ、その中でニヤ遺跡について詳しく話されたことを鮮明におぼえています。とても興味を持ちました。その講義で保柳睦美教授はご自身で上記スタイン発掘地点写真付近のニヤ遺跡情景を手書き絵画で大判ポスターに仕上げ大教室に掲示されて、とても迫力があるものでした。現場を見た人間が手書きした絵であり、強く印象に残りました。
その後20年以上たって、佐原市にある伊能忠敬博物館(まだボロボロの小さい建物だった頃、今は伊能忠敬記念館で立派な建物)を家族で訪ねた時、廊下にこのこの保柳睦美教授が書かれたニヤ遺跡手書き絵画が無造作に置かれていました。大学出てから20年近く経って、再びニヤ遺跡手書き絵画を偶然見れて興奮したことを思い出します。(今からいえば30年以上前のことです。)多分、保柳睦美教授は地理学者ですから、国土地理院の地理学関係者とつながりがあり、国土地理院地理学関係者は地図で伊能忠敬博物館とつながりがあり、そうした人脈でニヤ遺跡を含む学習教材が保管場所を求めて移動したのだと思います。
ニヤ遺跡に行ってみたいものです。しかし、Google earth proで観察するとスタインや保柳睦美教授が探検した時と同じようにまだ遺跡が野ざらしで発掘されていません。「シルクロード1万5000キロを往く(下)」の尼雅(ニヤ)河渡河前の記述では発掘されていない遺跡に近づくと厳しく写真撮影が禁止される様子が書かれています。現地に行ってみなければ判りませんが、観光的には現場に往けないかもしれません。
なお、保柳睦美教授のタクマラカン砂漠探検調査は次の図書にまとめられています。
この図書再読も「シルクロード1万5000キロを往く(上、下)」読書と一緒に行うことにします。
保柳睦美教授が参加したタクマラカン砂漠探検調査には若き考古学者和島誠一さんも参加されています。
2-3 感謝
中家惠二さんとは日本最初の応用地理の建設コンサルタント会社である「株式会社地域開発コンサルタンツ」でご一緒したことがあります。また筆頭編著者である今村遼平さんもその頃別会社とはいえ同じフロアで間仕切りもない場所にいて、いろいろとご指導していただいたことを思い出します。この素晴らしい本をきっかけにしてタクマラカン砂漠や新疆ウィグル自治区に対する興味と学習を深めるきっかけが生まれました。中家惠二さんと編著者の皆さまに感謝します。
The First Archeology" by Takehiko Matsuki (Chikuma Primer New Book)
I read "The First Archeology" by Takehiko Matsuki (Chikuma Primer New Book) and made a note of the feeling after reading.
This book is full of the latest information on archeology, yet it is a simple narrative and very interesting to read. I read it all at once until the end.
用事で駅前にでかけて、ついでに本屋に入ると新書コーナーに松木武彦「はじめての考古学」(ちくまプリマー新書)が見えやすい場所に置いてありました。Twitter坂下貴則【日本人の考古学】さんが熱心に推薦していたことを思い出して早速購入しました。
そしてたまたま1泊2日の検査入院がありました。病院の暖かいベッドの上で、パソコンも携帯もテレビも電話もない理想環境のなかで、家族や知人がだれもいなく、かつ他にすることがない長時間を活用して、一気に松木武彦「はじめての考古学」(ちくまプリマー新書)を読んで、いろいろと興味のある事柄を見つけ出し備忘しました。
この記事では全体感想と縄文土器に関する感想をメモします。
1 目次と全体の感想
1-1 目次
第1章 考古学をはじめよう
第2章 人類はなぜ拡がっていったのか-ヒトの進化と旧石器時代
第3章 縄文土器が派手な理由-認知考古学で解く縄文時代
第4章 ヒト特有の戦うわけ-弥生時代と戦争の考古学
第5章 古墳は他の墓とどこが違うか-比較考古学でみる古墳時代
第6章 過去を知ること、いまを知ること-考古学と現代
1-2 全体感想
この図書は、著者が大学で遠隔式で講義した「日本考古学概論」1年間の資料を元にまとめたものです。
著者は一般大学生に対して考古学とはこのように面白く、役立ち、生きているという様子を全身で表現したのだと思います。この本を読む多くの人が考古学にたいして親しみを持つことになると想像します。また、今の今、躍動している考古学の様子を伝えています。
この図書で初めて知る最新情報や専門情報も多く、いろいろと深く考えさせられるのですが、同時に読んでいる時この図書から受ける印象はエッセーを読んでいるような平易さがあります。おそらく、著者は「体系的に考古学情報を整理してまとめる」というコンテンツづくり、コンテンツの切り売りをしているのではなく、自分が面白いと感じた実体験を自分の言葉で表現しているのだと思います。
2 縄文土器が派手な理由と認知考古学
2-1 記述
98~99ページ付近に「造形の秘密」と題した部分に、縄文土器の造形とデザインの中にあいまいさがあると指摘しています。わざと写実的に表現しないで、鳥のようにも見えるし、ヘビのようにもみえるし、ツルのようにも見えるものがあり、「何だろうか?」と見る人に考えさせていて、それはおそらく意図的にそうしたと指摘しています。
さらに細部を少しずつ変えた同じモチーフの文様が複数連続する例も、単なるコピーではなく、違いがあることに脳が反応し、何だろうかと考えさせていると指摘しています。
認知考古学の親理論の認知心理学では、このように「何だろうか」と考えさせることを「意味処理を活発化させる」と表現するそうです。
著者は縄文土器に盛り込まれた心理機能の中心は、意味処理を活発化させる働きであるとしています。
そして縄文土器の文様が縄文社会で共有されていた言語と世界観に根ざして何らかの意味を持っていた表象(心に思い浮かべることができるひとかたまりの概念やイメージ)の組合わせや順列を、個人の心に呼び起こすメディアだったことは間違いないとしています。
そして著者は、このような縄文土器を煮炊きで使うことによって、共通の表象の組合わせ順列を互いの心に共有し、確かめ合うことができ、複雑化する社会で、それを調整しまとめるためのメディアの一つとして利用されたと結論づけています。
2-2 感想
縄文土器文様の意義について、この図書の記述でより明解に理解できるようになったという印象をもちました。特に「何だろうかと考えさせることを意図している。」「共通の表象を共有確認するメディア」であるという指摘に深く共鳴します。
縄文土器の文様の意味について「何だろうか?」と考え、それが意味する表象について、当面空想を楽しみたいと思います。
認知考古学というものが存在していて、それが縄文土器文様の解読に関係しているらしいということをこの図書で知りました。この図書では土偶の心理実験を行い、中期土偶はプラス感情を得られるが後晩期土偶はマイナス感情になるという趣旨の研究を紹介しています。認知考古学という方法が新しい考古学的方法として発展する期待がもてるようです。今後学習を深めることにします。
磯前順一「心的象徴としての土偶」(林道義編「ユング心理学の応用」(みすず書房)収録、1988)を学習してメモを作成しました。ユング心理学成果を土偶に投影するとどのような土偶解釈が生まれるのか興味があり、学習した次第です。
1 論文で興味を持った記述のメモ
1-1 縄文時代の心的段階
・縄文時代を心理的な意味での母性性が優位な段階の時期として捉える立場に立つ。
・石棒(男性性)は男根のみ、土偶(女性性)は身体全体の表現で、男性性は生殖的役目しかなかった。「太母に対する少年=愛人の植物的段階」
人間は世界から・個人は集団から・自我は無意識からあまり分離していなく、埋没していた。
・土偶や石棒は集合的無意識の裡に存在する「元型」の表現で、グレート・マザーである土偶とは母元型の象徴なのである。
1-2 土偶の呪術
・廃棄・埋納行為は未開社会に広くみられる死と再生の観念を表している。
・土偶の故意破壊は死の強調的表現。幾つかの破片に分割して分散させることで複数の新たなる生命力が以前の数倍にも増して生じてくる。
・土偶故意破損分散行為は熱帯のイモ類・果樹栽培民の植物栽培起源神話のモチーフと著しく類似している(ハイヌウェレ型神話)。吉田敦彦はハイヌウェレ型神話を中期中部土偶を結び付けているが、その時期場所でイモ類栽培の証拠はない。土偶とハイヌウェレ型神話を結びつけるのはいささか早すぎると思われる。
・人間、形代としての土偶など殺害対象つまり「犠牲となるもの」とは元型の活性化(再生)をはかるためのもの。土偶呪術とは、母元型のもつ生み育てる力を、定期的に新生させる行為と考えられる。
・土偶が中心となって出土…女性的力の死と再生、土偶が他の遺物と区別されずに出土…他の遺物の活性化
・四季の循環、悪天候など自然の衰退、集団での災い・移動、人間の死、道具の破損などで故意に土偶を破壊したであろう。
・土偶は発見量の多さから各竪穴で安置されたと考える。
・石笛・土笛が出土していることから、高度な祭りが存在していたことに間違いない。
1-3 縄文時代のなかでの心的変遷
・豊穣的な土偶に縄文が施されることが少ない。
・土偶に施される代表的文様の渦巻文は生と死の根源であるヌミーノス的なものの象徴と考えられ、グレート・マザーの基本的性格をよく表している。
・中期関東地方は経済安定を保ちながら、土偶をあまりつくらなかった地域もある。土偶を必要としなかった地域であり、母性のあまり強く必要とされなかった地域。斉一性の強い土器型式・変遷のなかにも、母性性に対する印象の揺れ動きが存在していたと思われる。
・早・前期土偶は未成熟で稚拙…心的状態がウロボロス段階の強い影響下にある。表現行為が意識の働きを前提としていて、この段階では自我の発達があまり進んでいなかった。
・中期は土偶が盛行…心的状態が完全に太母段階に入った。臀部突き出し(生殖行為による豊穣性)、子を抱いた土偶(肯定的な母性性賛美)、腕部横位・上方(上空の諸力を動かし影響を与える)
・後期初頭の非豊穣的土偶…非写実的顔とS字状の渦巻文(生と死を意味するヌミノース的象徴)
・後期中葉から後葉に乳房・腹部の膨らんだ土偶出現(多産的な力・生命力の受胎を強調する。)…例 山形土偶。
・後期後葉から晩期前半に誇大眼部と非豊穣体部の土偶(目は冥界や死を表現)…例 遮光器土偶、みみずく土偶。
・晩期後半以降土偶は消滅あるいは形骸化していく。
・土偶の終末期に死の色合いを濃くするものが出現したことは、自我の強化が進み、太母である無意識との良好な保護関係が終わろうとしていることを意味すると考えられる。
盛行期(中・後・晩期)の土偶
2 感想
・ノイマン「意識の起源史」における研究をベースにこの論文が成り立っているように感じます。自分はノイマン「意識の起源史」をまだ読んだことがないので、この学習は論文の表層を眺めただけの軽薄なものにすぎません。
・この論文は、1988年当時の考古学成果にノイマン「意識の起源史」の考え方を投影すると、人間の心発達史における縄文時代の心的段階とその在り方が、浮かび上がったというきわめて興味深いものです。
・意識の発達の歴史が土偶の変化の中に読み取れるという見方はこれまでに接したことのない情報であり、魅力的です。説得的でもあります。早速ノイマン「意識の起源史」の入手を手配しました。到着次第読んでみることにします。
・渦巻文、S字状の渦巻文、臀部突き出し、子を抱いた土偶、腕部横位・上方などの意味についての説明はとても興味深く、参考になります。
・本論文では、土偶に関する考古学的事実や観察から心的事柄を推察するという筋立てになっていません。あくまでもノイマン「意識の起源史」の考え方を大前提にして、それに因れば土偶観察から〇〇のような心的事柄が浮かび上がるという研究方法になっています。論文が向いている方向はユング心理学豊富化にあるようです。
趣味活動の一環である土偶学習をより楽しむためにはある程度専門的知識を入手する必要性を感じるようになりました。
ブログ花見川流域を歩く2021.10.11記事「土偶学習の発起」
手元の一般図書以外に考古学専門書・論文も学習してみることにしました。その第1弾を磯前順一(2014)「土製儀礼用具-ポスト構造主義と組成論」(講座日本の考古学4縄文時代下、青木書店)として学習しましたのでメモします。
自分のこれまでの学習・知識と真向から衝突し否定する記述も含まれていて、結果的に最初の学習文献としてはとてもふさわしいものでした。なぜこの文献を最初に学習したいと思ったのか詳しい経緯は錯綜してきていますが、大方の専門図書参考文献に掲載されていることと、著者がユング心理学からの土偶理解など視野が広い研究者であるように感じたからです。
以下、主な記述内容と感想をメモします。
1 編年研究のいきづまり
1-1 記述
・型式研究から宗教観念を探ろうとする試みが座礁したことが明らか。
・どのようなかたちで型式から観念を探るべきなのか、その問の立て方を吟味する必要がある。
・型式研究とはいったい何なのか、型式の内実をきちんと検討することが大切。
・筆者の宗教遺物構造論、大塚達郎のキメラ土器論がそれぞれのやり方で方向性を示唆している。型式研究は時期区分のための編年確立に尽きるものではない。
・社会構造の動態を表出した集合表象としてよみとられるべきものである。
・これまでの土偶研究は型式研究を編年研究として、時期区分のための分類作業として捉えてきた傾向がある。そこで区分された時空間のまとまりからどのような特徴を読み取るべきなのかということを等閑してきた。
1-2 感想メモ
従来の土偶型式研究は編年確立に偏重して、宗教観念を探る試みは座礁したという現状判断を考古学研究者がしていることを初めて知りました。また、編年により時期区分された時空間のまとまりにどのような特徴を読み取るかということが重要であるとの指摘が今後の研究方向と大いに関係があると考えます。
2 宗教研究の陥穽
2-1 記述
・吉田敦彦「土偶の神話学」は水野正好「土偶祭式の復元」を神話学の知見から展開したもの。このような土偶論にたいして他民族の民族誌では縄文文化の特異性を理解できないとの不信感がある。斉一性(人類や特定文化圏のなかの共通性)の論理に疑問がある。
・宗教学や神話学の目的は宗教や神話の観念を解き明かすことであり、さまざまな地域や過去の社会を題材にして一つの「仮説」として概念を組み立てる解釈行為である。それは新たな資料で絶え間なく修正され、然るべき時期がくれば異なるパラダイムによって抜本的に読み替えられていく行為遂行的な発話である。
・この解釈概念を事実化しようとする欲求が潜んでいる。考古学者はその欲求を鵜呑みにしてはならない。
2-2 感想メモ
ア 吉田敦彦「土偶の神話学」について
ア-1 吉田敦彦の論を事実と勘違いしてはいけない
吉田敦彦の土偶に関する神話学は最近の自分の土偶観察の根拠・理論背景としてきたものです。それが真向から否定されているので大きな刺激を受けます。
ここでの批判は次のような論理になっています。
「吉田敦彦が神話学のテーマとしてハイヌウェレ型神話や地母神像の内容を豊かにし、その分布を確保するための補助資料として土偶を論じることは「解釈」である限り、なんら論理的誤りはない。問題はそこで推察された文化圏が実体化され、土偶の観念を論じるさいにあらかじめ用意された「事実」にまつり上げられたときに、懸念が生じる。」
吉田敦彦は東アジアから東南アジアにかけて女神殺害再生神話が分布し、それと同じ神話が縄文社会に存在していたと考え、土偶はその神話に基づく祭祀で使われたものと詳しく論じています。
このような吉田敦彦の解釈・仮説を考古学が真に受けてはならない(事実と勘違いしてはいけない)というのが磯前順一の指摘です。
考古学という立場にたてば真っ当な議論だと思います。考古学独自の手法で土偶とか縄文宗教観念とかにせまりたいというのが磯前順一の願いであることが判りました。
ア-2 神話学や心理学からみた土偶
神話学や心理学の知識や興味を土偶に投影して土偶を解釈した仮説は考古学者の研究とは関係ないということになりますが、一般市民としては興味をもつところです。自分の趣味活動では神話学者吉田敦彦の土偶解釈・仮説を楽しみたいと思います。また磯前順一が以前行っていたユング心理学を土偶に投影した解釈・仮説も楽しみたいとおもいます。最近話題になった人類学者竹倉史人の「土偶を読む」も楽しみたいとおもいます。
考古学土偶研究の学習を基本としつつ、周辺学問における土偶研究も学習して、自分の土偶学習を豊かなものにしたいと思います。
3 考古学で「知る」ことの2つの次元
3-1 記述
考古学で「知る」ことは次の2つの次元から構成されている
1 物理的証拠から確定される事柄(壊す埋める作り直す)…過去の事実に接近できる
2 宗教観念の推測…異なる時代・地域の社会の分析から導き出された概念が土偶に当てはめられる。推測で依拠する観念自体が既に推測の産物である
縄文時代を知るとは物理的事実をもとにしながらも既存の解釈によって有意味化させること。
「~という解釈を前提とすると、縄文人の痕跡はこのように読み取ることも可能である」という推測の段階。
縄文人が宗教的行為を概念化して理解していたとも限らない→神話のような概念的なものと儀礼のように言語を介さない身体行為をとる場合がある。
土偶のように儀礼行為をともなうものでは意識化された概念次元よりも無意識的な身体行為に強く結びつく傾向を持つと考えられる。→現代研究者と縄文社会の宗教行為の間に溝が生じる。
観念の実体的復元が最終目標にはなりえない。
「興味深いしかも甚だ把捉しがたい問題を如何にして解くことができるであろうか」といって問いのあり方そのものが考慮されなければならない。どのように彼らの信仰を論じるべきなのか、どのようなかたちであればそれが可能になるのか、問いの立て方自体が問題なのである。
3-2 感想メモ
「縄文時代を知るとは物理的事実をもとにしながらも既存の解釈によって有意味化させること。」これが土偶学習の真髄であるとかんじます。どんなに精緻に物理的事実を調査しても、既存の解釈が無ければ(既存の解釈が優れていなければ)土偶の有意味化ができないところが悩ましいところです。
4 2つの研究動向
4-1 記述
次の2つの研究動向が浮上している
1 縄文末期から弥生前半期にかけての土偶の意味変容論
2 縄文中期以降の土偶型式の組成論
1の設楽博己の研究…黥面土偶・土偶形容器・顔付土器→地母神的な「多産の象徴」から「祖先の像」へと意味変容したという解釈
磯前順一は亀ヶ岡文化の宗教関連遺物の構造性を析出した。
縄文社会の宗教研究は縄文時代の均質な世界観を捉えるのではなく、各時期各地域の複雑性へ踏み込んでいいくことになる。
構造変形は地域性の問題につながる。
安行・亀ヶ岡双方に(よそ者・異人)がいる
異系統土器、キメラ土器
4-2 感想メモ
自分の土偶学習でどのような分野で誰の研究を学習すべきか、そのターゲットを考える上で参考になります。
5 まとめ
5-1 記述
型式と遺物あるいは構造と遺跡との往還関係から縄文社会の信仰関係を研究するためには、型式や構造という理念型は欠かすことのできない概念であり、このような同一性を介在させることで、はじめて現代の研究者にしても当時の社会の人々にしても、一定の共同幻想のもとに文化や社会を構築することができるのである。
先史社会の宗教研究は、神やマナなど、不可視の力として想起される人間の世界把握の思惟様式を、型式と遺跡との往還関係のなかで、構造の変転過程として思考していくことなのである。
5-2 感想
土偶型式の学習を急ぎたいと思います。また今回はじめて構造(例亀ヶ岡文化の宗教関連遺物の構造性)という概念を知りました。いつかどこかの遺跡を事例にして構造を学習してみたいと思います。