縄文時代史 3
このブログでは縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)の読書メモを掲載していて、この記事は第3回目で、目次「Ⅲ 縄文人の社会」を学習します。
1 縄文人集落の生活領域は半径2㎞内外
集落を拠点に生活して、日常生活を営むために必要な物資を保障するためには一定の生活領域が必要であり、その範囲は半径2㎞から3㎞程度であったことが東京湾岸貝塚密集地帯の研究や八ヶ岳西南麓の事例から説明されています。
都川流域の事例
縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
半径2㎞~3㎞の生活領域とは植物採集活動を独占的に行うことができ主食の確保が可能となる範囲です。狩猟活動や漁労活動はより広域におよびそれぞれ別の仕組み(漁場の入会権など)を利用して生活領域から離れた海や狩場で行っていたと説明されています。
八ヶ岳西南麓の事例
縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
集落を分割する必要がある場合でもほぼ必ず集落間距離を2㎞以上離していたことが説明されています。
漁場や狩場の入会権の調整は集落よりも上位の社会組織に帰属していて、著者はそれを「村落」と定義しています。
また遠隔地との石器石材の交易などは集落単位ではなく村落が折衝に当たっていたと説明しています。
2 身分階層、戦争のない社会
この図書では、発掘によりわかる葬送習俗から縄文時代には制度としての身分階層はなかったと結論付けています。
また人骨殺傷痕から戦争もなかったとしています。
この記述に関連して、集落内で共同生活を送る異なる集団の間には実態としての優劣(支配・非支配)関係が生業分業と関連してあるような感想を初心者として持っていますのでメモしておきます。
大膳野南貝塚の前期集落で異なる形式土器を使う二つの集団の間にそのような状況が観察できました。また後期集落の精細検討で優位家族集団と劣位家族集団がみつかるのかどうか、これからの学習が楽しみです。
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