縄文時代史 7
このブログでは縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)の読書メモを掲載しています。この記事は2018.01.10記事「遺跡数急減の理由は食糧資源の枯渇か?」のつづきです。
● 縄文時代遺跡数急減の理由
縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)では縄文時代遺跡数急減の理由を人口増加による食料資源の枯渇と気温低下の影響(自然再生産の減少、漁場の劣悪化等)をあげています。
この2つの要因による説明にガテンがいかないので図解でメモしておきます。
関東から中部にかけてのメモ
1 著者はレベルAになった時人口増加が自然再生産力を上回り、食料資源が枯渇して、いわば社会が破たんしたというような説明をしています。
本当にそうであるか学習初心者として疑問です。
遺跡数が急減したから、そこが食糧資源が枯渇する閾値であるという思考をしていると推察できます。
遺跡数急減が食糧資源枯渇以外の理由によるかもしれないという検討はありません。
食糧資源が枯渇する閾値が判っていて、それが遺跡数ピークと略一致するからという実証的論理は存在しません。
自然の生産力(例 ドングリが生産される量)とそれが養える人口との関係が判っていて議論が行われているとも思えません。
著者が何回も言及する八ヶ岳西南麓でのピーク時の集落間距離が1kmになり、通常の2kmより短くなり、「食料資源の枯渇が深刻な問題になってきていたはず」という記述はあくまでも単なる想像です。
現実に集落間距離が1kmでも集落が存在したのですから、それでも食糧が確保されたという逆の証明に使える材料にもなります。
縄文中期の遺跡数ピーク時に本当に食料資源枯渇が問題になったのか実証的に知るために学習を深めたいと思います。
2 著者はレベルAからB、さらにCへと遺跡数が急減する理由を人口増加による食糧資源枯渇と気温低下の影響によるとしています。
本当にそうであるか学習初心者として大いに疑問です。
まず、食料資源が枯渇したと著者は言いますが、縄文人が資源(森林や生物)を全部採り尽くしてしまって、資源が枯渇したなら遺跡数急減は理解できます。
しかし、そのような破滅的資源利用を縄文人がおこなった様子はありません。逆に栗林の造成とか漆林の造成など縄文人は資源の枯渇が無いように工夫しています。
天候不順などで食料不足になる危機はあったに違いありませんが、そのような危機で人口が減少しても、自然資源は復活するので再び人口は増えると思います。
レベルA→B→Cと縄文社会が完全崩壊するような原因を食料資源の枯渇に求めるのは無理があると考えます。
気温の低下や食糧の不足は背景にあるかもしれませんが、遺跡数急減の主な説明要因は縄文社会内部にあるように考えます。
関西のメモ
関西では中期から晩期にかけて遺跡数が急減するどころか増加しています。
気温の低下による環境劣悪化の影響はありません。
気温の低下による環境変化はあっても、それが食糧不足を招くとは限らない実例です。
東北のメモ
東北では中期から晩期にかけて遺跡数が漸減しますが、急減しません。
気温の低下があって環境の変化があったとしても、それを社会が受け止めて社会が存続する実例です。
関西や東北の実例から、関東から中部における遺跡数急減の「食料枯渇・気温低下主因説」を納得できません。
関東から中部における遺跡数急減の理由は人口急増による諸問題を解決できない社会機構の問題(例 分業の未熟さ)などにもとめるべきであり、資源はトータルでは不足していなかったと想像します。気候変動もそれだけで社会を崩壊させるようなことはなかったと想像します。
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