このブログでは縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)の読書メモを掲載していて、この記事は第4回目で、目次「Ⅳ 縄文文化の発展と限界」を学習します。
1 縄文文化の地理的広がり
縄文文化の広がり 縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
縄文文化が現在の日本国領域に近似していることは大変興味深いこととして感じました。
大陸と離れている日本列島と縄文文化が対応していることを改めて認識しました。
2 貝塚分布
縄文時代の貝塚分布 縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
千葉県の貝塚数が突出していることを改めて認識しました。
3 縄文時代の時期別遺跡数
縄文時代の時期別・地域別遺跡数 縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
長野・東京と千葉では中期にピークを迎え、後期になると長野・東京は急減しますが、千葉は減少の程度が緩やかです。その理由として著者は千葉では貝塚に見られるように水産資源を活用していて、陸上の動植物のみに頼る内陸部とくらべ減少を食い止めることができたと説明しています。
減少の理由は気温の低下に伴う食糧資源の枯渇とそれに先立つ人口増加を挙げています。
人口の増加が自然の増殖率を上廻ったためと説明しています。
八ヶ岳西南麓の土器型式別にみた遺跡・集落・住居数 縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
中期後半にピークを迎え、称名寺期に急減しその後堀之内1式期にすこし回復する様子が表現されています。
このパターンは別の情報とも類似します。
参考 関東地方西南部における竪穴住居跡数の推移 「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)から引用
縄文時代後期の気温低下等による資源の枯渇について、一般論としてはそうなのだと思いますが、まだ科学的データとして学習していません。
自分の学習ではその言葉ではなく納得できるデータをはやくみつけてみてみたいと思います。
「資源の枯渇」という言葉だけでは自分をごまかすことになります。
また、資源の枯渇という状況に直面した縄文人がとった対応をつぶさに学習したいと思います。
対応の違いにより中部内陸、千葉、東北の違いが生まれたようにも感じます。
今後の学習が楽しみです。
「資源の枯渇」という言葉だけでは自分をごまかすことになります。
また、資源の枯渇という状況に直面した縄文人がとった対応をつぶさに学習したいと思います。
対応の違いにより中部内陸、千葉、東北の違いが生まれたようにも感じます。
今後の学習が楽しみです。
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