このブログでは縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)の読書メモを掲載しています。この記事は縄文時代遺跡数変化の解釈に関する疑問をメモします。
1 縄文時代遺跡数変化と「縄文時代史」の説明
縄文時代の時期別・地域別の遺跡数 縄文文化の広がり 縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
著者は長野県の例をあげて、中期に人口が爆発的に増えて食料資源の枯渇が生まれたとしています。その理由として八ヶ岳西南麓では人口爆発期には集落の間の距離が生活圏を維持することが困難と考えられる1kmまで縮まったことをあげています。
また気温の低下が晩期になるとピークに達して現在よりセ氏2度前後低下し、海面も現在より低下し、自然の再生産にも大きな影響を与えたとしています。
関東内陸部から中部地方にかけては人口増による食料資源の枯渇に環境の悪化が追い打ちをかけたことにより遺跡数が激減したと説明しています。
なお千葉県は海洋資源を活用できたので後期の集落激減は緩和されたが、海面低下で漁場が奪われ結局遺跡が激減し、狩猟活動への依存度を高めたと説明しています。
東北地方については晩期になっても安定した遺跡数を保ち、この地域が亀ヶ岡文化圏であり、縄文文化といっても一筋縄のものではないと述べています。
近畿地方は早期から晩期まで遺跡数に大きな増減がなく、この地域が弥生文化を象徴する土器である遠賀川式土器の分布範囲とほぼ重なり、…縄文文化といっても一筋縄のものではないと述べています。
2 疑問
上記説明に対する素朴な疑問をメモしておきます。
2-1 食糧資源は枯渇したか?
・関東から中部にかけて、縄文時代中期に人口が爆発的に増え、その人口をまかなえるだけの食料を自然が提供できなかったという現象、つまり食料不足を実証するような情報は存在しないのではないかと疑います。
・言葉の問題…食料資源の不足はあっても「枯渇」という状況は存在しなかったと考えられます。つまり自然が行う増殖を縄文人がストップして(例森林伐採)、食糧資源が「枯渇」してしまうこと、涸れてしまうことは無かったと思います。
2-2 食料不足がなぜ人口急減を招くのか?
・仮に食糧資源が不足してピークの人口が維持できなくなったとしても、それだけの理由では人口急減を説明できません。なぜ資源を持続的に利用できるだけの人口に戻るだけで終わらなかったのでしょうか?
2-3 気温の低下が大きな影響を及ぼしたか?
・縄文時代中期~晩期の気温低下情報はこの図書に掲載されていません。(縄文草創期の詳しい気候変動グラフ掲載と対照的です。)
・仮に気温の低下があったとして、それが社会に大きな影響を本当に与えたのか納得できません。東北や関西では気温低下の影響を深刻には受けていないようです。
参考 グラフ「縄文時代の時期別・地域別の遺跡数」の色塗り
奈良・滋賀・兵庫遺跡数累計
素図は縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
・気温の低下の影響は観察できません。
長野・東京・千葉遺跡数累計
素図は縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
・遺跡数変動を人口急増による食料不足と気温の低下の影響で全て説明できないと考えます。
・社会の対応力を有力な説明変数に組み込む必要があると考えます。
秋田・宮城・岩手遺跡数累計
素図は縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
・寒冷な土地にも関わらず気温の低下の影響は少ないようです。
素図は縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)から引用
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