2018年8月15日水曜日

定住・人口密度・社会複雑化

「つくられた縄文時代-日本文化の現像を探る-」(山田康弘、新潮選書) 3

「つくられた縄文時代-日本文化の現像を探る-」(山田康弘、新潮選書)を学習しその感想をメモしています。この記事では「第4章縄文のキーワード-定住・人口密度・社会複雑化」の感想をメモします。

中国地方縄文社会の詳しい記述があり、大変参考になりますが、その情報を一切捨象して論旨だけを述べると1~3のようになります。
1 狩猟採集民の3つの居住形態
縄文時代の居住形態に直接答えるのは難しいので、縄文時代と同様の生業である狩猟採集生活を行っている人々の記録を参考にこの問題を考えることが行われてきた。民族考古学という。
佐々木高明によれば狩猟採集民の居住形態はフォレジャー型(移動キャンプ型)、コレクター型(拠点回帰型)、定住村落型(通年定住型)の3つに分類できる。

佐々木高明による狩猟採集民の居住形態 「つくられた縄文時代-日本文化の現像を探る-」(山田康弘、新潮選書)から引用

2 定住の進展、人口(密度)の増加が社会を複雑にする
移動生活を行う理由として西田正規は次の5点をあげた。

1 安全性・快適性の維持
 a風雨や洪水、寒冷、酷暑をさけるため。
 bゴミや排泄物の蓄積から逃れるため。
2 経済的側面
 a食料、水、原材料を得るため。
 b交易をするため。
 c共同狩猟のため。
3 社会的側面
 aキャンプ成員間の不和の解消。
 b他の集団との緊張から逃れるため。
 c儀礼、行事をおこなうため。
 d情報の交換。
4 生理的側面
 a肉体的、心理的能力に適度の負荷をかける。
5 観念的側面
 a死あるいは死体からの逃避。
 b災いからの逃避。

ある程度の人口数を抱えた定住生活を長期にわたって継続していくためには、これらのメリットを移動・分離・分散以外の方法で解決していく必要がある。その中で例えば集落内部空間の計画的利用、人間関係のストレスや対立を回避するための「ムラの掟」の必要性、葬送や魔除けの呪術の必要性などが生れる。つまり「複雑な社会」が形成されていく。
一方人口数が少なく、小規模な集落を維持しながら、生活上の様々な問題を、最悪の場合には移動・分離・分散で解決する生活パターンを保持していれば、「複雑な社会システム」を発達させる必要はない。

3 縄文時代中国地方は複雑化に向かわない社会
中国地方の縄文時代の人々は人口数も少なく、コレクター型の生活パターンを保持していたと幾つかの証拠から想定できる。
中国地方における縄文時代のあり方、すなわちモビリティの高い、移動可能な居住形態、低い人口密度を維持していくような社会、それでいて広域的な血縁関係で結ばれている人々の社会のあり方は、自然の恵みを享受する安定したサスティナブル社会でもあった。このような社会のあり方から理解できることは、人の社会が必ずしも時間と共に複雑化していくように宿命づけられたものではないということである。

4 感想
4-1 感想1
筆者は、学者の間で、縄文時代中国地方が東日本などと比較して「文化が遅れた社会」と捉えられていると考え反発しているようです。
たとえば土偶の記述のなかで次のように述べています。
「私たちが縄文時代の遺跡や文化的レベルを評価する場合、たとえば土偶の数といった量的な部分を評価する傾向がある。そして、量的に多いことをもって、「文化が進んでいた」と考えがちだ。しかしながら、たとえば土偶の量が多いということは、それだけ土偶による祭祀が必要とされたということに他ならない。土偶の非常に多い地域とほとんどない地域、現在の視点から見て、果たして精神的、社会的に不安定だったのはどちらであろうか。」
人口密度が低ければ当然それに比例して土偶の数も少なくなるのは当然ですが、そういう当たり前の事実があり、それをもって「文化が遅れている」と考える人がいるとすればお門違いもはなはだしいことです。
しかし1人あたりとか竪穴住居1軒あたりに換算した土偶数が東日本と比べて中国地方は少ないのならば文化の違いは存在するように考えます。中国地方では新生と再生の祈願に効力の強い道具(土偶)をあまり使わない、東日本では頻繁に使うということになります。これは中国地方では社会全体で新生と再生の祈願が弱いから土偶をあまり使わない、東日本では新生と再生の祈願が強いから土偶を頻繁に使うことを示します。つまり社会の活力の強さが指標「1人当たり土偶数」で表現されると考えます。
著者がいう「中国地方は精神的、社会的に安定、東日本は精神的、社会的に不安定」という話は土偶出土状況からは出てこないと思うのですが。

4-2 感想2
中国地方縄文社会の詳しい記述があり、大変参考になりますが、そもそも何故縄文時代中国地方で人口密度が低く東日本と状況が異なるのかその説明がありません。
狩猟採集社会ですから自然条件の違いにより、つまり縄文人生業にとって不利な条件があるので人口が増えないのだと思います。旧石器時代遺跡も中国地方は極端に少ないので地形的要因により動物の狩での不利が存在すると素人ながら考えます。
そうした縄文人にとっての不利な環境に適応したのが縄文時代中国地方社会であったと考えます。
著者が結論づけている「中国地方における縄文時代のあり方、すなわちモビリティの高い、移動可能な居住形態、低い人口密度を維持していくような社会、それでいて広域的な血縁関係で結ばれている人々の社会のあり方は、自然の恵みを享受する安定したサスティナブル社会でもあった。このような社会のあり方から理解できることは、人の社会が必ずしも時間と共に複雑化していくように宿命づけられたものではないということである。」
とはこのような中国地方自然環境の制約を述べていると捉えます。

0 件のコメント:

コメントを投稿