山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 36
「第五章 精神文化の発達と社会の複雑化 後期・晩期(Ⅳ期)」の「3 モノの流通とネットワーク」を学習します。
1 交易の発達と特産品の生成
・ネットワークが拡大すればするほど、さまざまな資源そして各種の製品の入手が可能となる。縄文時代の経済活動は、このような集落と集落の間に張り巡らされたネットワークによって維持されていたと言っても過言ではないだろう。
・このネットワークでは、多くの情報の交換や、婚姻といった人的資源の交換も行われていたに違いない。その意味では、集団構造という縄文社会の存立基盤であったとも言うことができる。
2 塩の生鮮と流通
・後晩期の霞ヶ浦沿岸部・仙台湾周辺・陸奥湾周辺では、土器製塩が行われていた。
製塩土器と焼塩大型炉
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
・生産された塩は小型の製塩土器に入れられて内陸部にも運ばれたようだ。
・製塩は周辺複数の集落の参画があったと考えられている。
3 大型石棒の生産
・岐阜県塩屋金清神社遺跡は大形石棒の生産址と考えられている。
4 縄文鉱山の開発
・長野県鷹山遺跡群(星糞峠)からは、一部、早期にまでさかのぼる可能性があるものの、縄文時代後期を中心とする黒曜石の採掘坑が多数見つかっている(図52)。
黒曜石採掘坑址
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
・このような採掘跡は、秋田県樋向Ⅰ・Ⅲ遺跡、大沢Ⅱ遺跡といった上岩川遺跡群でも発見されている。こちらは時期的には前期から中期を主体としたものであり、一部には後期のものも含まれるようだ。ここでは、東北地方の石器素材としてしばしば用いられる珪質頁岩の原石を採掘していたことがわかっている。
5 オオツタノハにみるネットワークの広がり
・オオツタノハは、その生息域が伊豆諸島南部以南と大隅諸島より南の島々に限定される珍しい貝で、縄文時代にはしばしば貝輪(貝製腕飾り)の素材として利用されていた。
・オオツタノハが出土するということは、その遺跡がオオツタノハを入手できるようなネットワークを有する集落だったことを意味し、おそらくは、地域の中心的役割を担うような集落であった可能性を想定することができるだろう。
オオツタノハ
加曽利貝塚博物館展示
6 日常生活道具・装身具のブランド化
・富山県境A遺跡からは、多量の蛇紋岩製磨製石斧が出土している。その量は完成品一〇〇〇点以上、未製品にいたっては三万五〇〇〇点以上あり、境A遺跡が蛇紋岩製磨製石斧の一大生産地となっていたことがわかる。
・境A遺跡で製作されたヒスイ製大珠は、他とは形状が異なって先端部が尖っており、一目で境A遺跡産とわかる。これは縄文時代の人々にとってもそうであったと思われ、このような特殊な製品が特産品化・ブランド化していた証拠である。
・後晩期になると、たとえば長野県エリ穴遺跡や群馬県茅野遺跡などのように、大量の耳飾りを出土する遺跡が見られるようになる。また、愛知県保美貝塚などのように石鏃の大量保有という現象も、後晩期の遺跡にはしばしば見ることができる。このような、一つの集落で必要以上に単一種類の「モノ」を大量に保有している遺跡は、それを特産物・ブランド化して、交換材としていた可能性も考えることができるだろう。
7 規格品の製作
・「貝輪は大きければ大きいほどよい」わけではなく、交換材として一定の規格が存在していたことを示している。
8 集落間ネットワークの重要性
・周辺、あるいは遠隔地も含んだ大小複数の集落間でさまざまな分業や役割分担が行われ、さらには人材をも含めたモノの交換や互恵的扶助が行われていた。そしてこれらの集落を取り結んでいたネットワークが、一つの、いわば「共同体」を構成していたと考える必要があるだろう。
9 感想
・各集落ともに何らかの特産品を用意しなければ縄文社会を渡っていくことはできなかったと思います。
・特産品とはおそらく全てが贅沢品・奢侈品であり、祭祀で使われ消費されるような品が多かったと考えます。
・塩…お清めの塩、大型石棒…祭具、黒曜石…特別価値のある素材(黒曜石製品は特別扱いだったかもしれない)、オオツタノハ…(身分を示すような特別の)装身具、蛇紋岩性磨製石斧・翡翠大珠…ブランド品・高級品、耳飾り・石鏃…ブランド品
・特産品開発生産の本義はそれで食うためではなく、贅沢品・奢侈品・祭祀用品を揃えるためであったと考えます。何らかの贅沢品・奢侈品・祭祀用品を用意して、遠方でつくられる別の贅沢品・奢侈品・祭祀用品を入手するシステムが縄文交易の特徴であると仮説します。
・交易が盛んになれば社会全体の食糧が増大し、生活環境改善が図られるという側面は大変虚弱で、縄文交易は現代社会における流通や貿易とは全く異なるシステムであると理解します。
・日常必要とする食糧の生産(農業)はほとんどないので、つまり余剰生産物が交易で流通することはないので、交易が社会の着実な発展とか、(環境危機にたいする)社会体質強化には結びつかなかったと考えます。
・逆に、縄文社会全体が食糧確保ではなく、贅沢品・奢侈品・祭祀用品生産とそれを使った祭祀活動に莫大な時間とエネルギーを消費している様子は、分不相応であり、それが主因で縄文社会は凋落したと直感します。
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