山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 34
「第五章 精神文化の発達と社会の複雑化 後期・晩期(Ⅳ期)」の「1 縄文社会の変質」の小見出し「集落立地の多様化と生存戦略」「広範囲における人の移動?」を学習します。
1 集落立地の多様化と生存戦略
ア 低地へ降りる
・後期になると関東地方では集落そのものが低地に降りていき、水辺を彼らの集落景観、生活領域に積極的に取り入れていく傾向がある。
・埼玉県樋ノ下遺跡、清左衛門遺跡など(後期前葉から晩期)
イ 小規模集落による分散居住
・この中期末から後期初頭にかけての気候変動に対して、当時の人々が採った生存戦略は、大型集落で多くの人口を維持するような生活様式を止め、一集落あたりの人口を減じて小規模な集落へと分散居住するというものだった。それは、後期初頭の称名寺式土器の時期(約4400年前)の集落から発見される住居跡の数が、一棟ないしは数棟にとどまるということからも推定することができる。
ウ 必ずしも気候変動によってさまざまな活動が停滞したわけではなさそうだ
・東北地方北部ではこの時期から後期前葉にかけて墓制が多様化(石棺墓、土器棺墓出現)
・青森県小牧野遺跡(環状列石)
青森県小牧野遺跡(環状列石)
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
・福島県での環状集落(上納豆内遺跡)、弧状展開(田地ヶ岡遺跡)。
・群馬県での加曽利EⅢ式土器のころの大型環状列石(田篠中原遺跡、野村遺跡、久森遺跡)
2 広範囲における人の移動?
・気候変動による分散居住と連動して注意しておきたいのが、西日本における集落・住居跡数の増加である。
・京都府桑飼下遺跡などで打製石斧が多く出土するようになる現象、石囲炉を持つ隅丸方形住居出現など。
・東日本から西日本へ人の移住をうかがわせる。
3 感想
1-ア低地へ降りる について
→下総台地では集落そのものが低地に降りることは無かったようですから、埼玉県方面の特性であると理解します。
1-イ小規模集落による分散居住 について
→分散居住という生活様式が生まれた理由を次のように想像しています。(下総台地の場合)
ア 外部からの流入急増による社会統治体制崩壊であったため、集団居住(組織の維持)が困難となった。
イ 環境破壊(森林資源破壊)を伴う社会崩壊であったため、堅果類確保が困難となり、各家族が自らの堅果類採集縄張りを個別に確保する必要が生まれた。
→この記述の気候に関する矛盾。
前の小見出し「4.3kaイベント」で「気候の冷涼化は、およそ4300年前に起こり、その年代から4.3kaイベントといわれる。」と書いています。しかし、「この中期末から後期初頭にかけての気候変動に対して」の例である「称名寺式土器の時期(約4400年前)の集落」は4.3kaイベントの100年前の出来事です。
著者が「100年くらいは誤差のうち」とのんきに考えてこの図書を執筆しているとは考えたくありません。「4.3kaイベント」というありもしない気候冷涼化概念(おそらく考古関係研究費獲得のための苦肉の創作概念)を著者が真に受けたことは残念です。
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