2018年7月13日金曜日

縄文文化における南の範囲

「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」 4

山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)の学習をしてそのメモを書いています。目次に沿って進めます。この記事は「3 縄文文化における南の範囲 伊藤慎二」の抜き書きです。

1 縄文文化の南限
著者は世界の土器の中で縄文土器を際立たせる特徴として縄文施文と口縁部突起の2つの特徴があるとして、その分布を九州から沖縄にかけて詳しく調べています。
その結果琉球の貝塚文化では縄文施文が全く見られないことと、口縁部突起が不安定にしか受容されていないことから、貝塚文化は縄文文化とは一線を画するものとして捉えられています。縄文文化つまり縄文施文と口縁部突起が受け入れられた南の範囲は屋久島までであることがわかりました。

縄文施文と口縁部突起 山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)から引用
北琉球では縄文施文(網目の濃淡で表示)が全くあらわれず、口縁部突起(▲の大小で表示)も時期によって多い少ないがあり安定していません。

貝塚文化と縄文文化の境界 山田康弘・国立歴史民俗博物館編「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)から引用

2 感想
いままで琉球の原始文化は縄文文化そのものであると考えていましたが、それは間違いであり、縄文文化と交流はあるものの琉球の原始文化は独自のものであることを学習しました。

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