2020年6月12日金曜日

クリとウルシ

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 27

「第四章 人口の増加と社会の安定化・社会複雑化の進展 前期・中期(Ⅲ期)」の「2 低地遺跡にみる卓越した植物利用技術」の小見出し「縄文人にとって重要な資源だったクリの管理」「ウルシの利用」「縄文人はタネをまいたか?」を学習します。

1 縄文人にとって重要な資源だったクリの管理
・アク抜き不用の重要な食用植物。
・クリが加工食品(縄文クッキー)に使われた可能性。→前期山形県押出遺跡。
・青森県三内丸山遺跡では集落形成とともにクリが多くなり、クリの純林に覆われるようになり、中期末集落廃絶とともに再びナラ林が復活する。クリを管理していた。
・加工容易で腐食しにくい建築材。
・富山県桜町遺跡…貫穴のある建築材出土。
・石川県真脇遺跡…枘(ほぞ)のある柱材出土。→軸組工法の存在。→中期の三内丸山遺跡、富山県不動堂遺跡や長径が数十mに及ぶ大型住居で軸組工法が採用されていた可能性。
・後晩期遺跡(埼玉県寿能遺跡、赤山陣屋跡遺跡、栃木県寺野東遺跡)では土木材のクリ割合が50%超。
・三内丸山遺跡六本柱の大型掘立柱建物では直径1mのクリ材利用→成長に200年から250年かかる。→世代を超えたクリ林管理。
・奈良県観音寺本馬遺跡、石川県米泉遺跡では集落近接してクリ根株検出。

2 ウルシの利用
・最古のウルシ木材は12600年前の鳥浜貝塚出土。

鳥浜貝塚出土ウルシ
田中祐二著「縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚」から引用

・最古の漆工製品は北海度垣ノ島B遺跡の墓出土装身具で9000年前。
・中国最古漆工製品(弓)は7600年前、韓国(漆塗杯)は2400年前。
・漆技術は複雑で専従的にかかわる集団存在の想定。
・東京都下宅部遺跡から漆を掻きとった痕のあるウルシ杭出土。

漆を掻きとった痕のあるウルシ杭
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

・ウルシの林を集落近くで作り出し管理していたと考えられる。
・赤漆をつくるための辰砂(水銀と硫黄からなる鉱物)が黒曜石などと広く流通していた可能性。
・木胎漆器、陶胎漆器、籃胎漆器などがあった。

木胎漆器
田中祐二著「縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚」から引用

陶胎漆器
田中祐二著「縄文のタイムカプセル 鳥浜貝塚」から引用

・エゴマの油が漆溶剤として利用されていた可能性
・食糧確保など生存に直接かかわらない漆工製品に「縄文人たちは、多大の時間と労力を漆製品の製作に注いでいた。これは縄文人の生活が、われわれが従来考えていたよりもずっと安定しており、漆製品の生産のような、生存に直接かかわらない作業に対して、十分な時間と労力を注ぐ余裕があったことを示している」(鈴木1988)。
・現在では、このような漆工製品が奢侈品として交換財となり、当時の社会においてさまざまな価値と意味をもっていた可能性も考えられている。

3 縄文人はタネをまいたか?
・圧痕法による種の同定。→時期決定が容易、コンタミが排除できる。
・マメ類(ダイズ、アズキ)の栽培。
・マメ類を主体とする「縄文農耕」が社会構造の変化を引き起こし、社会の複雑化、集団間の成層化を進展させたという証拠は見つかっていない。

4 感想
漆製品が奢侈品としての価値があったという指摘は遺跡出土物から情報を引き出す上で大変重要な指摘だと考えます。
漆製品率(例 陶胎漆器数/全土器数)が時期によってどのような変化がみられるのか調べることができれば社会の豊かさの一端を測ることができると考えます。
食うか食わずかのギリギリの生活であったのか、余裕のあるゆたかさのある生活であったのか、その程度の時期変化を測ることが社会変動の様子をダイナミックにとらえることになります。
例 縄文後晩期の社会衰退期に漆製品率(例 陶胎漆器数/全土器数)はどうなっただろうか?
低下したのか、上昇したのか、かわらずか?
その頃食うか食わずかのギリギリの生活であったのか、余裕のあるゆたかさのある生活であったのか?興味が湧くところです。

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