2020年4月6日月曜日

佐藤宏之著「日本列島の成立と狩猟採集の社会」学習 その1

佐藤宏之著「日本列島の成立と狩猟採集の社会」(2013、岩波講座日本歴史第1巻収録、岩波書店)の学習を2回に分けて学習し、そのメモをつくりました。
この記事では土器誕生までの更新世の様子を学習します。
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習の寄り道学習です。プロローグに参考文献として掲載されていた文献です。

1 興味を持った情報の要旨
ア 現生人類の出現過程と列島に後期旧石器時代人が棲むようになるまでの様子
現生人類型行動という概念を使って後期旧石器時代人が棲むようになるまでの様子について知りました。

イ 後期旧石器時代の古北海道半島の様子
古北海道半島は大陸と地続きで動植物相と人類文化は大陸とよく似ている。
古北海道半島の後期旧石器時代時代区分の存続期間は古本州島と異なる。

後期更新世の日本列島における地質時代区分と考古学的時代区分の対比
佐藤宏之著「日本列島の成立と狩猟採集の社会」(2013、岩波講座日本歴史第1巻収録、岩波書店)から引用

ウ 古北海道半島人類文化の変遷
古北海道半島の最古人類文化は古本州島系の台形様石器群と考えられる。
台形様石器の多くは臨機的な狩猟具であったと考えられる。
前半期後葉になると古本州島で基部加工尖頭形石刃石器が出現し、古北海道にも伝播する。
突然細石刃石器群が登場し、後半期を通じて存続する。
細石刃技術は究極的な石材節約技術であり、素材補給という節約から解放され、人々は大型動物狩猟に専念できた。
細石刃技術は最寒冷期にシベリアからマンモス動物群が渡来する時期と一致し、シベリアからの人類集団渡来によって将来されたと考えられる。
細石刃技術や非細石刃石器群を加えた区分は空間的・時間的重複が大きく、明確な地域差を看取できない。異なる石器群集団は異系統であると考えられるが、広域移動戦略を共有するため排他的領域を発達させなかったと考えられる。この点は後半期に古本州島で排他的地域性が顕在化するのと大きく異なる。

後期更新世の日本列島に見られた中大型哺乳動物相
佐藤宏之著「日本列島の成立と狩猟採集の社会」(2013、岩波講座日本歴史第1巻収録、岩波書店)から引用

エ 古本州島人類文化の変遷
パッチ状に草原が散在する針葉樹林や針広混交林の中でナウマンゾウ-オオツノシカ動物群を狩猟する行動戦略がとられた。
前半期は台形様石器群が基調となっていた。基部加工尖頭形石器(大型狩猟具)と台形様石器(小型狩猟具)が使い分けられていたと考えられる。
後半期になるとナウマンゾウ-オオツノシカ動物群の大型動物が絶滅し、狩猟対象が中・小型動物に移行した。
そのため人類集団の狩猟範囲や資源利用領域も縮小し、石器群の地域的分立が顕著となり地域差が一気に拡大した。
列島に東北、中部、関東、近畿、九州といった地域社会が成立したことを意味する。各地の地域集団が独自に細区画化し領域での資源開発を行っていたと考えられる。

オ 古本州島における地域社会分立の崩壊
後半期後葉になると北海道の細石刃石器群とは技術的に異なる稜柱形細石刃石器群が古本州島西半部に広がりそれまでの石器群の地域差を解消する。
この古本州島独自の細石刃石器群は古北海道の細石刃石器群の影響下で成立すると考えられるが、人間集団の移動を意味するものではなかった。
後半期後半になると古北海道の細石刃技術そのものが古本州島東半部に伝播した(北方系細石刃石器群)。
この伝播は人間集団自体の南下に伴ったものと考えられ、サケマスなどの河川漁労という新たな生業戦略の開始をもたらしたと考えられる。
河川漁労の開始は定着性の発達を促した可能性が高い。
北方系細石刃石器群の存続は短期間にとどまり、後葉期末になると在地系の各種の両面体尖頭器石器群の発達によって更新された、縄文時代草創期へと移行していく。

カ 世界最古級土器の出現
古本州島では青森県大平山元Ⅰ遺跡の無文土器を最古例として世界最古級土器(16000~15000年前)が出現し、以降連綿と土器文化が継続する。
この時期に中国南部や東シベリア・極東等の一部で相互に独立して土器が出現するが、それらの地で継続した痕跡は確認できない。
南アジア・中国では定住集落による農耕が開始され、おくれて牧畜も発生するがすべて完新世になってからの出来事であり、更新世に土器文化の起源を有する縄文文化は世界的にも稀有な考古的現象と考えられる。
古本州島の最古の土器出現プロセスは依然として明らかでない。

2 感想
2-1 読後の総合印象
この図書の発行年が2013年と新しいため、旧石器時代から縄文時代にかけての社会変動の最新知識の結論を体系的に入手できたと考えます。
記述内容も平易であり、論旨が難解と感じるところは皆無でした。
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習のとてもよい参考となりました。

2-1 学習に役立った情報
・古北海道半島と古本州島では後期旧石器時代における人類文化の変遷が大きく異なることを詳しく知ることができました。
・後半期つまり最終氷期最寒冷期になると、古北海道半島ではマンモス動物群とともに大陸から人の移動を伴って、当時のハイテク技術である細石刃石器群文化が突然訪れたことを知りました。
・同じ時期、古本州島ではナウマンゾウ-オオツノシカ動物群の大型動物が絶滅し、狩猟対象が中・小型動物に移行したため、石器群文化が地域的に分立し、列島に東北、中部、関東、近畿、九州といった地域社会が成立したことを知りました。縄文文化の基礎となる地域性が誕生したのがこの最終氷期最寒冷期であることになります。
・その後細石刃石器群文化が西日本と東日本に伝播し、古本州島の地域性が一端一様社会になり、その反発(在地系の各種の両面体尖頭器石器群の発達…神子柴・長者久保文化)の中で土器が誕生したというストーリーになります。
・北方系細石刃石器群文化により河川漁労がもたらされたということや、それまでに地域性が確立していたという要因が土器誕生に絡んでいると推察したくなります。
・地域性の確立つまり海岸から流域界山地までの環境資源開発が進み、定住促進的要件が備わりつつあるところに外部からハイテク技術(細石刃技術)や新生業(河川漁労(場合によっては海岸漁労))技術を有する文化伝播(具体的には異人族の侵入)があり、それに反応した在来集団が土器発明に至ったというストーリーを想像します。
・土器は河川漁労(魚油づくり)だけでなく、貝を煮て食べるための道具として発明された可能性を感じます。
・最寒冷期を生き延びる生活技術として海岸の貝を広い、土器で煮て食べるという発明があったかもしれないと空想します。
・ただ、当時の海岸は現在の海抜マイナス100mですから、遺跡という証拠を得ることはできません。
・「大陸棚海底考古学」みたいなものが発達すれば、更新世の貝塚と土器が発見され、土器発生の説明ができるようになるかもしれません。

・次の趣旨の記述の意味を詳しく知りたくなります。
「後半期後葉になると北海道の細石刃石器群とは技術的に異なる稜柱形細石刃石器群が古本州島西半部に広がりそれまでの石器群の地域差を解消する。この古本州島独自の細石刃石器群は古北海道の細石刃石器群の影響下で成立すると考えられる。」
日本西部に広がる稜柱形細石刃石器群がどうして空間的に離れる古北海道の細石刃石器群の影響下で成立するのか、その空間的な意味でのメカニズムが判りません。

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