2020年3月29日日曜日

草創期フェイズ1と私的学習仮説

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 11

「第二章土器使用のはじまり草創期(Ⅰ期)」の「2 草創期における各様相」の「フェイズ1の概観」を学習します。

1 フェイズ1の概観 概要
・約16500年前から15000年くらい前の、まだ温暖化が始まらない寒冷期で、針葉樹が卓越する環境下にある段階がフェイズ1である。
・遺跡は平野における微高地上に立地することが多く、この頃の土器は文様のない無文土器群と呼ばれるものである。
→土器を伴うこの時期の遺跡が微高地上に立地している場合が多いという意味で理解します。
→もし、土器を伴わないけれども、この時期であることが特定できる遺跡が判っていて、それが「微高地に立地することが多い」という事実が判れば、自分の思考を直ちに改めることにします。

・フェイズ1の遺跡としては、青森県大平山元Ⅰ遺跡や東京都前田耕地遺跡などを挙げることができる。遺跡数はあまり多くはなく、住居跡などの遺構の確認例も少ない。
→土器を伴わないこの時期の遺跡は特定できないから、つまりカウントできないので、このような記述になるのだと思います。
→フェイズ1に人が残した遺跡は後期旧石器時代の中でも少ないということはないと考えます。逆に技術開発が進んでいた時期ですから人口増加期であると想像します。

・大平山元Ⅰ遺跡は神子柴・長者久保文化の石器群が出土し、これに無文の土器や石鏃が伴うことが明らかになった。
・神子柴・長者久保石器群に土器が伴うことが判明し、縄文時代草創期の石器群として認知されるようになった。較正暦年代で約16500年前から15700年前という年代が測定された。
・大平山元Ⅰ遺跡からは掘り込みを持つような明確な住居跡や繰り返し使用されて被熱面が赤色化したような屋外炉等は検出されておらず、その居住形態も一ヵ所に長期にわたって定着するようなものではなかったようだ。
→大平山元Ⅰ遺跡について、この記事に続いて手持ち資料レベルで学習を深めることにします。

・大平山元Ⅰ遺跡よりはやや新しくなるものの、フェイズ1の段階の住居跡としては、東京都前田耕地遺跡から検出された二棟の住居跡がある。
・一棟は長径四・二メートル、短径三・一メートルほどの不整円形の竪穴式住居である。屋内に炉があるものの、柱穴はなく、長期にわたる定着的な生活ができたとは想定しがたい。一方で、竪穴式住居の炉からはサケのアゴの骨などが多数発見されており、この段階ですでにサケなどが多数発見されており、この段階ですでにサケのように季節によって多量に捕獲可能な水産資源が利用されていたことがわかる。
・これらの住居も、サケの捕獲など季節的かつ集約的な労働時に設営された、一時的なものであったのかもしれない。このような居住形態は、アフリカの民族誌に見られるような、食料を求めて移動を繰り返す人々(これをフォレジャーと言う)の居住形態に近いものと考えられるだろう(佐々木一九九一)。
→前田耕地遺跡は特段の興味が湧きますので、この記事に続いて手持ち資料レベルで学習を深めることにします。

東京都前田耕地遺跡の住居跡
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

サケの顎歯と前田耕地遺跡の尖頭器
堤隆著「列島の考古学 旧石器時代」(2011、河出書房新社)から引用

2 フェイズ1に関連した「私的学習仮説」設定
学習を効率的に行うために、次の私的学習仮説を設定します。今後の学習で得た知識でこの学習仮説を随時修正することにします。学習仮説設定とその修正作業により自分の知識の確からしさを高める活動を効率化します。

フェイズ1に関する私的学習仮説
1 土器が生まれた理由(背景)
1-1 土器発明は後期旧石器文化発展の一つの事象
ナイフ形石器群→細石刃石器群→神子柴・長者久保石器群という変化は狩猟の効率化や環境変化に対する適応だけでなく、居住形態、生業形態、集団構造、精神文化全般に関する社会発展を指標していると想定します。
つまり、後期旧石器文化は時間変化とともにその文化を発展させてきたと考えます。
その後期旧石器文化発展の一つの事象が土器発明であると考えます。

1-2 土器発明は魚介類資源開発の必然であると考える
後期旧石器時代に陸獣だけでなく河川や海域における魚貝類や海獣を食料にする新たな資源開発が進んだと想定します。
河川におけるサケマス漁や海域における魚漁や貝類採集において、魚油の抽出や貝の効率的調理の必要性から土器が発明されたと想定します。

1-3 最初期の土器は漁場キャンプでだけで使われたと考える
フェイズ1の頃はサケマスの漁期だけのキャンプとか魚貝類採集期だけのキャンプで土器が使われ、別の場所に移動するときに土器は持参しなかったと想定します。
従ってフェイズ1の土器出土遺跡は川のそばの微高地に限られ、その数は少なくなります。海岸における土器内包遺跡は現在マイナス100mの海底に沈んでいますから発見されることはありません。

2 土器が発明された場所
フェイズ1の土器が大陸で発見されていないこと、古北海道半島でも発見されていないこと、神子柴・長者久保石器群が大陸由来のものとされていないことから土器発明は古本州島で生じた事象であると想定します。

3 土器発明が古本州島で生じた背景
土器発明が古本州島で生じたと考えるとき、その背景として次のようなことが考えられると想定します。
ア 古本州島では海岸域(貝類)-河川中上流域(サケマス)-台地丘陵山地(陸獣)のセットが手ごろな「流域」として存在しています。その多様な自然環境を家族-集団が独占的に利用できます。したがって、貝類やサケマス資源開発が社会テーマとなった時に社会全集団がその開発に取り組むことができます。
イ 古本州島は地形が複雑であり大規模で効率的な陸獣猟が不可能であることから貝類やサケマス資源開発を促進せざるを得ない側面もあったと想定できます。
ウ 沿海州大陸では地形単位が大きく陸獣猟が効率的にできることからサケマス資源開発が遅れた可能性があります。その結果土器発明も遅れたと考えます。
エ 沿海州陸域面積に比して海岸線が短く、結氷の影響もあり貝類等海域資源開発は低調であったと想定します。海岸部利用の低調さが魚貝類資源開発の遅れになり、それが土器発明遅れに影響したと想定します。

4 フェイズ1の遺跡種類
海岸魚介漁キャンプ遺跡(石器、土器及び貝塚)…全てマイナス100m海底に水没している。
サケマス漁キャンプ遺跡(石器、土器)…前田耕地遺跡、大平山元Ⅰ遺跡
陸獣猟キャンプ遺跡(石器)…土器が出土しない神子柴・長者久保石器群出土遺跡の多く

参考 旧石器時代末から縄文時代にかけての狩猟具の変遷と気候変動
堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)から引用

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