2020年3月15日日曜日

縄文時代の時期区分と縄文基礎知識

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 3

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)では「はじめに」で基本となる概念や専門的知識を解説しています。その概要をまとめました。

1 縄文時代・文化とは
縄文文化とは土器の出現から灌漑水田稲作が開始されるまでの列島における文化群の総称で、この文化展開時期を日本の歴史では縄文時代と呼ぶ。

2 縄文時代の時期区分
6時期の概要を説明し、それをダイナミックに叙述するために4時期区分にして章立てしています。

6時期のながさ
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

参考 縄文土器の絶対年代推定

4時期区分による「はじめに」情報まとめ

3 縄文時代と世界史区分との関係
世界史で旧石器時代は打製石器が主、新石器時代は打製石器に加え磨製石器を中心に使う時代。そういう意味では縄文時代は新石器時代に該当する。しかし世界史の新石器時代では農耕や牧畜が起こり社会が大きく発展している。縄文時代には確実な農耕や牧畜の存在の確認はないので新石器時代にはあたらない。
一方、縄文時代には大型建物をつくる建設技術や漆工芸、環状列石や土偶などに見られる複雑な精神文化があり「新石器革命」に十分比肩できる。
列島に展開したユニークな新石器時代である。

4 縄文時代の家や集落
竪穴式住居と平地式住居(掘立柱建物)が使われ、縄文後半では平地式住居が増える傾向がある。しかし掘立柱建物が高床式倉庫であった可能性もある。
中期関東では全期で100棟を超える環状集落が目立つが、同時期の西日本では数棟しかない小規模集落が多い。

5 縄文時代の墓
土坑墓が多い。配石墓もある。東北の環状列石は配石墓が集まったものである場合が多い。
遺体を骨にして埋葬した複葬(再葬)例もある。
大人と子供は同じような墓に埋葬されたが、産まれてすぐ亡くなった子どもは土器に入れて埋葬されることもあった。
大人の骨を土器に入れて再埋葬することもあり、土器棺墓という。
墓が地点的に集まっている場所を墓域という。集落と分離して墓だけの遺跡を墓地と呼ぶ。規模の大きな墓域や墓地の内部の墓集中地点を埋葬小群と呼び、三世代くらいにわたる家族の埋葬地点であったと推定されている。

6 縄文時代の食料
メジャーフード…クリ、クルミ、トチ、ドングリ、シカ、イノシシ、タイ、スズキ、サケ。
炭水化物やタンパク質は足りていた。甘味が足らず、アケビ、コクワ(サルナシ)、ヤマブドウ、ハチミツなどが好まれていただろう。カミキリムシ幼虫などの昆虫食も行われていたようだ。果樹酒が飲まれていた可能性は高いが、儀礼や祭祀用と思われる。
食料は加工保存され「その日暮らし」ではなく、1年を通じて食べられる工夫があった。しかし貯蔵される期間は1年程度であろう。余剰は祭祀時の饗宴などで消費されたと思われる。

7 縄文時代の農耕
縄文時代にダイズやアズキなどのマメ類がつくられていたことがわかっている。メジャーフード足りえたか考える必要がある。畑の痕跡は見つかっていない。

8 縄文時代の交易
ヒスイやコハク、黒曜石やアスファルトなど遠隔地交易がおこなわれた。干し貝、干し魚、塩などは内陸集落に運ばれた。石鏃、磨製石斧、貝輪、土製耳飾り、漆器なども交易の対象となった。
高度な物流ネットワークが集落間に張り巡らされていた。このネットワークは婚姻や祭祀などの情報交換の際にも活用された。

9 縄文時代の社会構造
集落間ネットワークを新規構築したり維持するために結婚が社会制度として利用されていたようだ。結婚した夫婦は出自集団が異なり、お互いの出身集落を結び付けていた。
一夫一妻制を基本に一夫多妻制などの複婚制を採っていた方がより多くの関係を取り結べる。
縄文時代当初から前期くらいまでは母系的な社会が存在し、これを基礎として中期以降には父系的ないしは選択的居住婚による双系的な社会もあったと考えられる。
北海道や東北北部には縄文時代後半に階層社会が出現した可能性が指摘されているが、長期にわたっては継続しなかったようだ。

10 縄文時代の戦争
戦争を「集団間における激しい争い」と定義すれば、東日本の中期以降のように人口が集中し定住性の強い地域にはあった可能性がある。
受傷人骨が一定数存在することを考えると集団間や個人間における衝突と暴力はあったと考えざるをえない。

11 感想
●「縄文時代十把一絡げ」返上
4時期区分(6時期区分)によるそれぞれ時期の縄文社会の様子の違いを「リアル」に思い浮かべることができように、これから本書や他の図書等の学習を進めることにします。
縄文社会に関わるどのような項目でも「縄文時代十把一絡げ」ではなく、4時期別(6時期別)以上に細かく思考できるようになることを目指します。
●3期と4期の境の冷涼期のイメージ
3期と4期の境の冷涼期(中期末から後期初頭の冷涼期)が縄文社会変動の大きな画期となっています。その様子をよりリアルに知ることができるように、突っ込んだ学習を今から楽しみにしています。思う存分、徹底して、妥協することなく学習したいと思います。どんな専門論文にも食いつこうと思います。農業社会の飢饉と同じような食料不足があったとは考えられませんから、思わぬ理由が隠れているような予感がして、興味津々です。
●環状集落の構造
大膳野南貝塚の環状集落などについて学習したことがありますが、平地式住居や墓に関する最新知識を得て、遺跡の再学習(再認識)ができるようになりたいと希望しました。
●争い
受傷人骨が千葉県にあるかどうか調べたいと思います。また受傷人骨以外に争いを指標する遺物の状況、遺構の状況があるかどうか、考えたいと思います。


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