山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 14
「第二章土器使用のはじまり草創期(Ⅰ期)」の「2 草創期における各様相」の「フェイズ3におけるさまざまな展開」を学習します。
1 フェイズ3におけるさまざまな展開 概要と感想
・寒の戻りであるヤンガードリアス期の頃で、およそ一万三〇〇〇年前から一万一五〇〇年ぐらい前のことである。
参考 旧石器時代末から縄文時代にかけての狩猟具の変遷と気候変動
堤隆著「狩猟採集民のコスモロジー 神子柴遺跡」(2013、新泉社)から引用・加筆
・この時期に使用された土器…爪形文土器群、多縄文土器群、表裏縄文土器群
・「遺跡の立地をみると、山間部へと分布が拡大していくさまが読み取れる。遺跡数も以前より増加し、住居跡等の遺構の発見例も多くなる。」
→山間部への分布拡大について、後日データを見つけてその具体的状況を確認したいと思います。一般論として生活域が拡大したというレベルではなく、〇〇のために山間部まで分布が拡大したと考えられるにように学習します。寒冷化で生活が厳しくなる状況で、なぜ山間部にまで拡大したのか?なぜ住居跡等の発見が多くなる(≒遺跡増、人口増?)のか?
・「実用品である石器や土器以外にも呪術具である土偶(三重県粥見井尻遺跡・滋賀県相谷熊原遺跡)や赤色顔料を塗った土器(宮崎県清武上猪ノ原遺跡)なども出土しており、この段階で精神文化にある程度の高揚があったことは間違いないだろう。」
→精神文化の高揚と寒冷化で生活が厳しくなったという事象に関係があるような気がします。寒冷化と精神文化高揚の相関を考えてよいか?
飢えで家族が死ぬなどの厳しい場面に何回も遭遇する中で、自分の正気を保ち、困難に立ち向かう気力を保持するための心の持ち方の工夫が集団全体で営まれたと想像します。その精神的営為における産物が土偶や赤色土器であると理解しておきます。
滋賀県相谷熊原遺跡の土偶
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
土偶の乳房は、出産後赤ん坊に十分な母乳を飲ませることができて、無事育てられることを祈願していると思われます。
おそらく母乳が十分に出ないために、出産後しばらくして死してしまう赤ん坊が多かったのだと思います。
妊娠した女性が母乳がたくさん出るように乳房が大きくなるように祈願して、土器製作の合間に自ら作成したと想像します。
首のところにある穴はここに蔓のような紐を差し込んで樹液等で接着し、その紐で衣服に縛ってお守りとして肌身離さず持てるようにしたと想像します。土偶(お守り)が生活の邪魔にならないように手でできる最小限の大きにしています。
土偶(お守り)が最小限の大きさであることから、逆に、妊娠女性が自分だけで加護を祈願していたということがわかります。家族に見せるためとか、家の中に飾るとかの用を全く考えていなかったことがわかります。出産と育児の全責任が自分にあるという覚悟を持っていたことが判ります。
赤ん坊が無事育つことがいわば奇跡であり、無上の幸福であった時代であることをこの土偶が語っているのだと思います。
逆にこの土偶は、多くの出産後女性の乳房が小さく、母乳が十分に出ないので赤ん坊の多くが死んでしまう食糧事情を物語っています。
・「フェイズ3の段階における居住形態は、本格的な定住を視野に収めつつも、その段階にはまだいたっていないものと考えられるだろう。」
→三重県粥見井尻遺跡や滋賀県相谷熊原遺跡の住居について発掘調査報告書等を入手してデータを確かめて、本書記述の理解を深めたいと思います。
2 参考 縄文早期前半のバイオリン型土偶
バイオリン型土偶 小室上台遺跡出土
船橋市飛ノ台史跡公園博物館展示
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