2020年4月21日火曜日
複雑な精神文化の芽生え
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 16
「第二章土器使用のはじまり草創期(Ⅰ期)」の「4 複雑な精神文化の芽生え」を学習します。
1 複雑な精神文化の芽生え 概要と感想
1-1 土偶の出現
・草創期土偶出土例
三重県粥見井尻遺跡…乳房を表現した土偶2点出土
滋賀県相谷熊原遺跡…女性上半身を想像させる土偶出土
鹿児島県掃除山遺跡や愛媛県上黒岩岩陰遺跡…女性を思わせる線刻画石製品(線刻礫)出土
・これらの資料は、素材を問わず明確な乳房の表現があることから女性をかたどったものと考えられるが、その具体的な用途、使用場面は現状では不明な部分が多い。しかしながら、この段階で女性に対する「なんらかの特別な視線」が存在したことは肯定できるだろう。その場合、やはり生物学的にも女性にのみ可能である妊娠・出産という、新たな生命を産み出す特性に注目せざるをえない。
滋賀県相谷熊原遺跡の土偶
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
→この説明の通りだと思います。次の2点について、共感と違和感という反対方向の感想を持ちましたのでメモしておきます。
ア 「複雑な精神文化の芽生え」という表現
妊娠出産育児に対する強い感情や奥深い精神活動は旧石器時代から引き続き存在していたと考えます。草創期から生まれたということはあり得ません。しかし、草創期からその強い感情や奥深い精神活動を土偶や線刻礫として表現して、それを呪術道具として活用し始めたということができます。強い感情や奥深い精神活動が呪術道具を使うことによって整理され、体系化され、豊かになり、子孫に伝わりやすくなったと想像します。おそらく道具は祈願のための言葉(呪文)と一体のものであり、その言葉(呪文)が多くの困難・障害克服にきわめて有効であったに違いありません。このような社会状況発生を「複雑な精神文化の芽生え」と表現することは大変適切で共感します。
呪術道具の発生=祈願の言葉(呪文)の発生と考えます。言葉(祈願に関連するテクニカルターム)が縄文草創期に豊富化したに違いありません。
この「複雑な精神文化の芽生え」の契機となるものが土偶であると考えます。
土器発明により、いわばその副産物で好みの造形が土製品として作れるようになって、土偶(呪術道具)が生まれ、それにより祭祀活動が豊かになるという社会発展側面を見ることができます。
イ 「女性に対する「何らかの特別な視線」が存在」という表現
揚げ足取り的、言葉尻的な違和感ですが、「女性に対する「何らかの特別な視線」が存在」という表現は男性が(あるいは社会一般が)女性を見ているような表現になっていて、違和感を感じます。
乳房を表現した土偶は、女性自らが作り、女性自らが使ったと考えます。土偶づくりで男性が関わるとか、その利用で男性が関わるとは考えられません。「女性に対する「何らかの特別な視線」が存在」したのではなく、女性が自らの社会使命(存在意義)である妊娠出産育児の成功を祈願する道具(とそれに付随する言葉(呪文))を発明したということが特筆されるべきであると考えます。
最寒冷期神子柴・長者久保時代に女性によって調理道具としての土器が発明され、草創期に同じく女性によって妊娠出産育児の祈願道具である土偶が発明されたと考えます。
1-2 墓のあり方
・草創期墓は多くない
栃木県大谷寺洞窟遺跡
・墓に関する資料はフェイズ3から増加
長野県仲町遺跡…近接土坑墓3基、埼玉県打越遺跡…実用品副葬、福島県仙台内前遺跡…実用品副葬
→追って詳しく学習することにします。
1-3 当時の社会構造
・草創期の段階において社会構造にまで迫れるような良好な資料はほとんどないが、大分県教育庁の綿貫俊一は、愛媛県上黒岩岩陰遺跡の事例を取り上げ、この難問に挑んでいる(綿貫二〇一四)。綿貫は、上黒岩岩陰遺跡から出土した女性像が刻まれた線刻礫に注目し、これを女性の持ち物と見なした。その上で、仮に上黒岩岩陰遺跡のある久万高原から海岸部や平野部への婚姻などによる女性の移動、あるいは双方向における夫方居住婚や、居住形態としての季節的な移動があったならば、海岸部や平野部でも線刻礫は見つかるはずだとし、現状では上黒岩岩陰遺跡以外に出土例が確認されていないことから、結婚後も集落に女性がとどまるような婚姻形態(夫が集落にやってくる妻方居住婚)が採られていたと考えている。 また、綿貫は線刻礫を用いる儀礼が長期にわたって存在した可能性を指摘するとともに、上黒岩岩陰遺跡四層から出土した人骨には女性骨が多いという点から、早期においても妻方居住婚が存在したと考えている。通常、妻方居住婚は母系的な社会に見られることが多いということを勘案すれば、草創期から早期にかけてこの地域には母系的な社会が存在していた可能性が指摘できるだろう。
→大変興味深い記述です。しかし詳しい資料を読まなければ「そうなんだ!」と膝を手で思わず打つような実感がわきません。学習になりません。資料を入手して学習を深めたい遺跡です。しかし図書引用文献は現状では入手が不可能なようです。資料入手機会をうかがいたいとおもいます。
なお、国立歴史民俗博物館研究報告154集及び「縄文文化のはじまり 上黒岩岩陰遺跡」(小林謙一、新泉社)が入手できましたので、この遺跡は特段の興味が湧きますので、寄り道学習をしてみることにします。
→上黒岩岩陰遺跡の線刻礫の意義がわかりかねています。何故土偶ではないのか?なぜ線刻礫出土例がほとんどないのか?…??本当に女性用?
上黒岩岩陰遺跡出土石偶 国立歴史民俗博物館研究報告154集から引用
2 参考
2020.04.20Twitterで三上みみ様の相谷熊原遺跡出土土偶紹介ツイートをリツイートさせていただきました。そのリツイートで次のように書きました。
「私は最初の土偶は母乳が出て乳児を餓死させない祈願だと考えました。首の穴に紐を樹液等で付けて身につける。小さいので女性個人専用で集団「祭祀」活動などと無関係と想像しています。」
Twitterの画面
ラベル:
上黒岩岩陰遺跡,
線刻礫,
土偶,
複雑な精神文化の芽生え
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿