2020年5月20日水曜日

多様な動植物の利用

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習22

「第三章 本格的な定住生活の確立 早期(Ⅱ期)」の「3 多様な動植物の利用」の小見出し「食料としての動植物」「東名遺跡にみる水辺利用と貝塚」「植物の素材利用の開始」を学習します。

1 多様な動植物の利用
青森県長七谷地貝塚出土物(食べられていたもの)
ハマグリ、オオノガイ、ヤマトシジミ
ニホンジカ、ツキノワグマ、キツネ、ニホンアシカ
スズキ、クロダイ、カツオ
貯蔵穴からオニグルミ

2 東名遺跡にみる水辺利用と貝塚
佐賀県東名遺跡出土物(食べられていたもの)
貯蔵穴(水漬け保存)からイチガシ(8割)、ナラガシワとクヌギ(1割弱)
オニグルミ
スダジイ、ツルマメ
イノシシ、シカ
タヌキ、ノウサギ、アナグマ、テン、カワウソ
スズキ、ボラ、クロダイ
アユ、コイ、フナ
次の図に示すように食料をバランスよく摂取していた。

佐賀県東名遺跡出土人骨における食性分析結果
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

3 植物の素材利用の開始
カゴなど編組製品とその素材(樹皮、ヘギ材、シダ植物、ツル植物などが束状になったもの(素材束))が出土。

低地型貯蔵穴と編みカゴ カゴ復元品
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

4 考察と感想
4-1 長七谷地貝塚と東名遺跡の情報源
長七谷地貝塚に関して次のwebサイトから解説書をpdfファイルで入手することができました。

サイト「北海道・北東北の縄文遺跡群
長七谷地貝塚に関する資料が掲載されているサイト

入手解説書掲載図
遺跡と縄文海進との関係が詳しく調べられているようです。

東名遺跡に関して次のサイトで解説書を閲覧することができました。

サイト「saga ebooks 東名遺跡解説パンフレット
東名遺跡に関する資料が掲載されているサイト

東名遺跡解説資料に掲載されている地下における遺跡の状況

4-2 参考 長七谷地貝塚と東名遺跡の現在の地形

長七谷地貝塚付近の現在の地形3Dモデル
貝塚が形成されたころ、海がどこら辺にあったのか、研究成果をみればわかると予想します。

東名遺跡付近の現在の地形3Dモデル
東名遺跡で人が生活していた時、海岸線はどうなっていて、その場所から背後の山までの平地はどのように利用されてて、山はどのように利用されていたのか興味がそそられます。時間とともに地形がどのように変化したのかと、その利用を人がどのように行ったのか興味が尽きません。

4-3 感想 その1
長七谷地貝塚と東名遺跡についてさらに専門的資料を入手して詳しく学習したいと思います。
双方の遺跡の発掘調査報告書は「全国遺跡報告総覧」からはダウンロードできません。

4-4 感想 その2
長七谷地貝塚と東名遺跡ともに縄文早期後半の縄文海進が進んで海域が広がったころの遺跡です。
その頃は縄文早期前半とか最初期と比べると平地面積が極めて狭小になっています。従って、早期前半と比べると早期後半は平地におけるシカやイノシシの狩猟が困難になっています。獣肉の入手が限られるので、動物タンパクの入手という点で、どうしても漁労に頼らざるをえません。
縄文海進の影響はプラス面(良好な漁場の現出)とともに、マイナス面(良好な猟場の消失)ということも考えなければならないと考えます。

山地での狩猟では多くの人口を養えません。しかし平地での狩猟ならばある程度の人口を養えると思います。
縄文早期前半では海面高度が低く平地面積が広く存在していました。したがって狩猟による動物タンパクの摂取をある程度獣から賄えていたと考えます。
しかし海面高度上昇で平地面積が急減すると狩猟による動物タンパク摂取は気休め程度になってしまいます。その窮状をしのぐために漁労に向かわざるを得なかったと考えます。

人骨食性分析結果から「バランスよく栄養を摂取している」旨佐賀縄文人が褒められていますが、当時の縄文人の心情は「できれば獣肉で腹を一杯にしたい」のだったのだと思います。(千葉では、縄文海進ピークから海退に転じた縄文晩期には平地(干潟や砂洲)が広がり獣が増えます。そうすると漁労は下火になり、獣骨出土が増えます。)

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