山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習19
「第三章 本格的な定住生活の確立 早期(Ⅱ期)」の「2 定型的な居住様式の確立と貝塚の形成」の「定住生活の開始」を学習します。
1 貝塚の存在=定住生活の証拠
「定住生活が進展すると、海岸部や汽水域など、貝類を捕食する地域では貝塚が形成されるようになっていた。貝塚とは、機能的には「ゴミ捨て場」だが、観念的な意味ではまた違ったようで、祭祀的な場所でもあったようだ。 貝塚が形成されるということは、生ゴミとしての貝殻が堆積するほどの期間はその場所に定住していたということに他ならない。無論、季節によって移動することもあっただろうが、その場合であっても離れては戻るといった回帰的な動きをしていないと貝層ができるほどには貝殻は堆積しない。したがって、貝塚の存在は定住生活を行っていた証拠となる。」
「このような貝塚は、すでに早期前葉の時期(遅くとも約1万1000年前)には出現しており(たとえば神奈川県夏島貝塚など)、この時期にはすでに本格的な定住生活が営まれていたとみてよいだろう。」
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
→貝塚の存在自体が年間のある一定期間は定住生活していた証拠であると述べています。
年間を通じて完全に遊動生活をしているのではなく、海岸付近に定住している期間があることを貝塚は示していると述べているのだと思います。
早期にあっては、海岸付近に定着して貝塚をつくる期間と別の場所に移動して別の生業(おそらく獣の狩猟)に励んでいたことがあると考えます。
→草創期に既に貝塚が作られていた可能性が濃厚であると考えます。しかし、草創期の海水面は-40mより低く、かつ当時の海岸線はその後の海面上昇期に侵食消失している場合がほとんどであるため、草創期貝塚を発見する可能性確率は大変小さいものであると考えます。
2 参考 縄文草創期貝塚が発見されない理由(想像)
千葉付近及び古鬼怒湾方面で縄文草創期貝塚が発見されない理由を次のように想像します。
千葉付近で縄文草創期、早期の貝塚が存在していたかもしれない台地が削平された様子
古鬼怒湾方面で縄文草創期、早期の貝塚が存在していたかもしれない台地が削平された様子
このように地史を紐解くと縄文早期前葉の貝塚(例 千葉県西の城貝塚や神奈川県夏島貝塚)の発見は極めて稀有な地形残存事象に伴う出来事として特筆すべき事柄として捉えられると考えます。
ブログ花見川流域を歩く2017.02.13記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代早期前葉・中葉の貝塚が少ない理由」参照
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