2020年3月25日水曜日

土器の発明がもたらしたもの

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 8

「第二章 土器使用のはじまり 草創期(Ⅰ期)」の「1 土器の発明がもたらしたもの」の前半部分を学習しました。

1 「土器の発明がもたらしたもの」要約
要約
・大平山元Ⅰ遺跡から出土した土器には煮炊きの時についたと思われる煤や「おこげ」が付着している。日本列島域において土器は当初から煮沸具、平たく言うと「鍋」として登場したと推定できるだろう。
・土器が登場し、内容物を長時間、煮込むことができるようになったことで、縄文時代の人々は旧石器時代と比較して、より多くの食料資源を利用することが可能になった。
・焼く、蒸すは従来の調理方法ではできなかった、動物のスジや頰肉など硬い肉、草菜の植物繊維なども煮込むことによって、やわらかく食べることができるようになった。
・熱をしっかり加えると、アルカロイド類など人体に有害な物質を除去することも可能になるので、トチやドングリ類も食料資源として利用できるようになった。貝類や魚類を土器で煮ただろうし、獣骨を煮て骨髄からスープを取り出したりもしただろう。
・煮込むことによって食材を組み合わせた煮込み料理、鍋・スープ・シチュー類をつくることができるようになった。
・肉類や魚類、貝類、草菜類、デンプン質といった複数の食材、調味料としての塩などを組み合わせていくつもの好みの「味」をつくり出すことができた。
・土器の登場は、新たな食料資源の開発・量的拡大を果たしたばかりではなく、嗜好の多様化をも導いた。

・土器は調理場面以外に、植物の繊維をやわらかくする、アスファルトを溶かす、ウルシの精製などで使われた。
・数々の染料や顔料も、焼成・煮沸してつくられた。

青森県大平山元Ⅰ遺跡出土土器
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

2 感想
・ここで記述されているのは「縄文時代の歴史」のなかで土器用途を展望した時の記述です。それはよく理解できました。
・最初の土器は「縄文時代」とは全く無関係の最終氷期クライマックス期に後期旧石器時代人によって発明されました。後期旧石器時代人をして「土器の発明をもたらさしめたもの」がなんであるか、思考してみました。

3 土器の発明をもたらさしめたもの
後期旧石器時代人の生業の発展の中で土器の発明を捉えることが思考上すなおであると考えます。
そういう意味で「谷口康浩(2005):極東における土器出現の年代と初期の用途」に記述されている次の仮説は価値が大きなものであると感じました。
・極東地域(アムール川流域-古北海道半島-古本州島)で後期旧石器時代人が漁労を行い、その活動のなかで土器を発明し利用した。魚油抽出など。
・サケマスの南下と北方系細石刃石器群分布伸長との間には密接な関係がある。
・後期旧石器時代に古本州島でもサケマス漁がおこなわれて、それとの関係で土器が使われた。

最終氷期クライマックス期に土器が出土している様子
谷口康浩(2005):極東における土器出現の年代と初期の用途 から引用・塗色

一言でいえば、アムール川流域で生まれた細石刃石器群文化における漁労活動で土器が発明され、サケマスの南下(=冷涼化)に伴って人々は古北海道半島や古本州島までやってきた。結果として細石刃石器群文化と土器が列島にもたらされたという仮説です。
後期旧石器時代人の生業から土器が生まれたという仮説であり論理上首肯しやすい仮説です。
この仮説が正しいとすると、その後の温暖化時代を生きた縄文人は土器という超巨大資産価値をもたらしたアムール川流域後期旧石器時代人に大いに感謝すべきであることになります。

「土器の発明がもたらしたもの」とは「アムール川流域後期旧石器時代人が生業の中で発明した土器が古北海道半島や古本州島にもたらされ、その結果後日、列島縄文文化に沢山の幸福がうまれた」とでもいいかえることができます。
縄文人が縄文土器を発明したというストーリーは筋悪です。
縄文人は祖先である後期旧石器時代人がもたらした土器という資産を最大限有効活用した有能人であると考えます。

2020年3月23日月曜日

土器が最終氷河期に発明された理由

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 7

土器が最終氷期に発明され、なおかつ列島内で誕生した可能性が高いという記述について、それが腑に落ちないので、考えてみました。

1 図書記述で生まれた疑問
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)では「縄文文化の母胎は西回りルート細石刃石器群と尖頭器石器群(神子柴・長者久保文化)にもとめられることは間違いない。」と記述しつつ、「その一方で、北海道で草創期土器文化がほとんど見つからないことと、朝鮮半島でも見つからないので、縄文土器は日本列島域内で誕生した可能性が極めて高くなる。」とも記述しています。
石器群つまり文化そのものは大陸渡来であるにも関わらず、土器だけ独自発明であるということは腑に落ちません。
さらにそもそも最終氷期になぜ土器が発明されたのか?
著者は土器が煮沸具として発明され人々の食生活改善に大いに役立ったことを述べています。しかし、なぜ最終氷期に発明されたのかその理由が十分に納得できません。

参考 最終氷期に土器が発明された様子
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用・着色

2 土器が最終氷期に発明された理由
そこでアーダ、コーダと考え、web検索でいろいろな情報を見ていました。
その検索活動の中で偶然つぎの論文を見つけました。

谷口康浩(2005):極東における土器出現の年代と初期の用途
この論文を読んで、最終氷期に土器が発明された理由が自分なりに分かった(腑に落ちた)のでメモします。
この論文では最終氷期の土器について、その出土例が少なく、かつ出土数も少ないことと大陸側で土器がサケマス漁と関係していた事実から、日本でもサケマス漁の現場だけで魚油抽出等に使われていたと推測しています。
その後、一時的な温暖期や本格的な後氷期到来期には土器出土数が増え、その頃の土器は堅果類のアク抜きなど縄文土器本来の使い方がされたと記述しています。

土器出土量の年代的推移
谷口康浩(2005):極東における土器出現の年代と初期の用途から引用

大平山元Ⅰ遺跡の復元図
「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用・着色
サケマスを当時の人々が獲っていたと推測される。

この情報に接し、土器が最終氷期に発明された理由について、次のような自分版ストーリーを構築して、腑に落としました。

1 最終氷河期ユーラシア東部の後期旧石器社会は食料資源の開発を積極的に行い、石器文化を進歩させていた。
2 食料資源開発の一環として漁獲サケマスから効率的に魚油を抽出する道具として土器を発明した。
3 人々は土器が魚油抽出だけでなく、これまで利用困難であった固い動物の筋や骨、植物の根や実の食料資源化に活用できることを体験的に発見しつづけた。
4 気候が温暖化し植生変化により堅果類が増えると、人々は土器が堅果類アク抜きにも使えることを発見し、食料獲得が急速に進展した。土器が生活で必須の道具となった。

2と3はその順番が逆かもしれません。あるいは同時かもしれません。いずれにしても最終氷期における後期旧石器時代人の食料資源開発の一環として土器という道具が発見されたと考えます。
後氷期縄文人の文化は後期旧石器時代人の土器発明がなかったならばその発展は低調だったに違いありません。
これからは「後期旧石器時代に土器が発明されたからこそ、縄文時代の土器文化発展があった。」と考えることにします。

後期旧石器時代の石器文化は大陸側→列島側という経路で入ってきています。ユーラシア大陸東部全体の後期旧石器時代人社会の大陸側社会の巨大さやそこにおける情報伝達量の多さなどとくらべると、列島社会はその端末に位置します。
根拠はありませんが、大陸側で土器が発明され、それが列島に伝播したと考える方が大局歴史観として素直なような気がします。
仮に列島における土器発明が最初であるとしても、大局併行的に大陸でも土器が発明されている共時性的発明であると捉えることが大切であると考えます。
「日本の土器が一番だ!」みたいな問題意識は現代政治が紛れ込んでくる恐れがあり筋悪であると考えます。
ユーラシア大陸東部全体の後期旧石器時代社会の様子を知り、その中での列島特殊性を知ることがまず大切だと思います。

2020年3月22日日曜日

縄文時代の時間的・空間的範囲

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 6

「第1章 縄文時代・文化の枠組み」をまとめてみました。

1 縄文時代の時間的範囲
・土器の出現は最も古い値を採用すると1万6500年前までさかのぼる。この時期は最終氷期にかかっていて、従来のような解釈「土器の出現は、気候の温暖化という自然環境の変化に対応したものである」と単純に理解することを困難にしている。
・縄文時代のはじまりに関する3つの説がある。
1 縄文土器の出現をもって旧石器時代と縄文時代を区分する。
2 土器の普及、一般化をもって区分する。
3 移行期間を設定して、縄文文化的な生業形態・居住形態が確立した段階をもって区分する。

参考 縄文時代のはじまりの頃の年表
過去5万年間の出来事の年表 「縄文はいつから!?」(小林謙一/工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編、新泉社)から引用

・縄文時代のおわりと弥生時代のはじまりを、水田耕作の開始を画期とするならば、九州と東北ではその時期が大きく異なってくる。

参考 縄文時代のおわりと弥生時代のはじまりの頃の年表
パンフレット「令和元年度埋蔵文化財ロビー巡回展 環状石器展」(公益財団法人 千葉市教育振興財団)から引用

2 縄文時代・文化の空間的範囲
・北方域は道東と道北の境が北限となる。 
・朝鮮半島方面とは対馬海峡に境界線を引ける。
・南島は九州南部と連動したり離れたり、時期によって関係が変動する。
・縄文時代前期に見られる石製玦状耳飾りは起源が大陸側にあることは確実である。
・北部九州の後期には貝輪着装女性埋葬例が確認できるが、ベンケイガイ製貝輪は韓国南岸部貝塚からも多数出土していて、北部九州と朝鮮半島南部が同じ貝輪文化圏に含まれる可能性がある。
・福岡県貝塚出土抜歯例は大陸系抜歯と考えられる。
・青銅製の刀子(山形県三崎山)、三足土器(青森県今津遺跡ほか)、有孔石斧(山形県中川代遺跡)などは大陸側からの影響の可能性を捨てきれない。しかし出土状況などで物証として弱い。

3 縄文時代の主人公の姿
・人骨から縄文人の形質はユニークであった。

縄文人の復元想像図
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

・ミトコンドリアDNA分析から縄文人に南北二つの系統の人々がいたことがわかり、旧石器時代人の後裔が縄文人であるという考え方を補強する。

2020年3月21日土曜日

後期旧石器時代後半の石器群

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 5

「プロローグ 縄文時代前夜」の2縄文時代の母胎に記載されている後期旧石器時代後半の石器群の様子をまとめてみました。

1 ナイフ形石器群
3万年ほど前から手持ち槍先と推定されるナイフ形石器と呼ばれる刃器を伴う石器群が主体となる。石器の形態や組成など地域性が認められ、資源開発の在り方によって小地域圏が形成されるようになっていた。

ナイフ形石器群の地域性
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

2 西回りルート起源細石刃石器群
1万8000年ほど前に西回りルート起源細石刃石器群が本州に登場し、ナイフ形石器群を解消させた。円錐形や円柱形の細石刃核などを伴う。荒屋式彫器は伴わない。新しいものは豆粒文土器、隆起線文土器、爪型文土器を伴うので縄文文化の母胎の一つとなったと推測される。

3 古北海道半島における細石刃石器群
古北海道半島における細石刃石器群は湧別技法による楔型の細石刃核を持つ。2万4000年ほど前に登場し、1万7000年前ほどに本州域へ分布を広げ、本州域東北部では隆盛したが、長期にわたって存続できずその後の両面調整尖頭器を伴う在地性の高い石器群によって更新される。

参考 細石刃・細石刃核・植刃器の復元資料
千葉市あすみが丘プラザ展示室展示物

4 神子柴・長者久保文化(尖頭器石器群)
槍先の形をした大型の尖頭器や搔器・削器・大型石斧ないし大型片刃石斧からなる石器群で矢柄研磨器が伴うこともある。この石器群はシベリアのアムール川流域から沿海州に起源を持つとされる。最古の土器はこの石器群と同時に使用されていた。

神子柴遺跡出土尖頭器
伊那市創造館展示物

5 縄文文化の母胎
縄文文化の母胎は西回りルート細石刃石器群と尖頭器石器群(神子柴・長者久保文化)にもとめられることは間違いない。
その一方で、北海道で草創期土器文化がほとんど見つからないことと、朝鮮半島でも見つからないので、縄文土器は日本列島域内で誕生した可能性が極めて高くなる。

6 感想
・後期旧石器時代後半の石器群変化の様子と縄文土器発生の様子を詳しく理解することができました。
・房総の草創期土器は尖頭器石器群を伴っています。


2020年3月17日火曜日

旧石器時代における列島へのヒトの移動・渡海ルート

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 4

「プロローグ 縄文時代前夜」の最初に旧石器時代におけるヒトの列島への移動・渡海ルートの説明がありましたのまとめてみました。

1 最終氷期の古環境
・寒冷で海水の量が少なく、現在より海面が100mほど低かった。北海道はサハリンとともに大陸とつながり、この半島を古北海道半島と呼ぶ。本州・四国・九州はつながり、これを古本州島と呼ぶ。沖縄本島などは島しょ部であった。
・列島は針葉樹が主で植物資源は少なく、人はマンモス・ナウマンゾウ・オオツノジカなどの動物資源を追い求めて列島へやってきた。

2 列島への移動ルート
・旧石器時代は大型石核石器を主体とする前期旧石器時代(12万年以前)、定型的な小型剥片石器を使用する中期旧石器時代(12万年前~4万年前)、石刃石器を使用するようになる後期旧石器時代(4万年前~1万5千年前)に区分できる。
・人が列島に登場した約4万年前は後期旧石器時代のあたる。
・列島への人の移動ルートは西回りルート、北回りルート、南回りルートの3つが考えられる。

旧石器時代におけるヒトの移動・渡海ルート
・西回りルートは韓国と同じ剥片尖頭器が西日本でも出土していて、確実である。
・韓国では前期・中期旧石器時代に遡る遺跡が確認されていて、古本州島に人が渡来した可能性がないわけではない。このルートが一番古い。
・北回りルートの存在は北海道中心に確認される細石刃剥離技法である湧別技法の分布範囲から証拠づけられる。湧別技法はロシア・バイカル湖周辺に起源を持つ。北海道から末端は島根県域まで達する。この石器群は荒屋型彫器を伴う。

湧別技法
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用
・北回りルートには人の移動が伴っていたと考えてよい。
・南回りルートは未解明である。旧石器時代に属する人骨が石垣島から出土しているが、石器群は確認されていない。
・沖縄本島サキタリ洞遺跡かあ23000年前の貝製の釣り針が出土している。旧石器時代における貝製品、海産資源の利用は北回り・西回りルートと異なった文化的特徴として注目される。

3 感想
・古北海道半島、古本州島というテクニカルタームを知りました。
・湧別技法の分布などについてより深く知りたくなりました。
・かつて、旧石器時代の海産物利用は「無かった」という説明に反発したことがありますが、「あった」のであり、当然です。列島における旧石器時代の海産物利用にかかる遺跡はほとんどが海抜マイナス100m付近までの海底に沈んでいるということです。
2016.04.23記事「旧石器時代人はアサリ・ハマグリを食べなかったか?

2020年3月15日日曜日

縄文時代の時期区分と縄文基礎知識

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 3

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)では「はじめに」で基本となる概念や専門的知識を解説しています。その概要をまとめました。

1 縄文時代・文化とは
縄文文化とは土器の出現から灌漑水田稲作が開始されるまでの列島における文化群の総称で、この文化展開時期を日本の歴史では縄文時代と呼ぶ。

2 縄文時代の時期区分
6時期の概要を説明し、それをダイナミックに叙述するために4時期区分にして章立てしています。

6時期のながさ
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)から引用

参考 縄文土器の絶対年代推定

4時期区分による「はじめに」情報まとめ

3 縄文時代と世界史区分との関係
世界史で旧石器時代は打製石器が主、新石器時代は打製石器に加え磨製石器を中心に使う時代。そういう意味では縄文時代は新石器時代に該当する。しかし世界史の新石器時代では農耕や牧畜が起こり社会が大きく発展している。縄文時代には確実な農耕や牧畜の存在の確認はないので新石器時代にはあたらない。
一方、縄文時代には大型建物をつくる建設技術や漆工芸、環状列石や土偶などに見られる複雑な精神文化があり「新石器革命」に十分比肩できる。
列島に展開したユニークな新石器時代である。

4 縄文時代の家や集落
竪穴式住居と平地式住居(掘立柱建物)が使われ、縄文後半では平地式住居が増える傾向がある。しかし掘立柱建物が高床式倉庫であった可能性もある。
中期関東では全期で100棟を超える環状集落が目立つが、同時期の西日本では数棟しかない小規模集落が多い。

5 縄文時代の墓
土坑墓が多い。配石墓もある。東北の環状列石は配石墓が集まったものである場合が多い。
遺体を骨にして埋葬した複葬(再葬)例もある。
大人と子供は同じような墓に埋葬されたが、産まれてすぐ亡くなった子どもは土器に入れて埋葬されることもあった。
大人の骨を土器に入れて再埋葬することもあり、土器棺墓という。
墓が地点的に集まっている場所を墓域という。集落と分離して墓だけの遺跡を墓地と呼ぶ。規模の大きな墓域や墓地の内部の墓集中地点を埋葬小群と呼び、三世代くらいにわたる家族の埋葬地点であったと推定されている。

6 縄文時代の食料
メジャーフード…クリ、クルミ、トチ、ドングリ、シカ、イノシシ、タイ、スズキ、サケ。
炭水化物やタンパク質は足りていた。甘味が足らず、アケビ、コクワ(サルナシ)、ヤマブドウ、ハチミツなどが好まれていただろう。カミキリムシ幼虫などの昆虫食も行われていたようだ。果樹酒が飲まれていた可能性は高いが、儀礼や祭祀用と思われる。
食料は加工保存され「その日暮らし」ではなく、1年を通じて食べられる工夫があった。しかし貯蔵される期間は1年程度であろう。余剰は祭祀時の饗宴などで消費されたと思われる。

7 縄文時代の農耕
縄文時代にダイズやアズキなどのマメ類がつくられていたことがわかっている。メジャーフード足りえたか考える必要がある。畑の痕跡は見つかっていない。

8 縄文時代の交易
ヒスイやコハク、黒曜石やアスファルトなど遠隔地交易がおこなわれた。干し貝、干し魚、塩などは内陸集落に運ばれた。石鏃、磨製石斧、貝輪、土製耳飾り、漆器なども交易の対象となった。
高度な物流ネットワークが集落間に張り巡らされていた。このネットワークは婚姻や祭祀などの情報交換の際にも活用された。

9 縄文時代の社会構造
集落間ネットワークを新規構築したり維持するために結婚が社会制度として利用されていたようだ。結婚した夫婦は出自集団が異なり、お互いの出身集落を結び付けていた。
一夫一妻制を基本に一夫多妻制などの複婚制を採っていた方がより多くの関係を取り結べる。
縄文時代当初から前期くらいまでは母系的な社会が存在し、これを基礎として中期以降には父系的ないしは選択的居住婚による双系的な社会もあったと考えられる。
北海道や東北北部には縄文時代後半に階層社会が出現した可能性が指摘されているが、長期にわたっては継続しなかったようだ。

10 縄文時代の戦争
戦争を「集団間における激しい争い」と定義すれば、東日本の中期以降のように人口が集中し定住性の強い地域にはあった可能性がある。
受傷人骨が一定数存在することを考えると集団間や個人間における衝突と暴力はあったと考えざるをえない。

11 感想
●「縄文時代十把一絡げ」返上
4時期区分(6時期区分)によるそれぞれ時期の縄文社会の様子の違いを「リアル」に思い浮かべることができように、これから本書や他の図書等の学習を進めることにします。
縄文社会に関わるどのような項目でも「縄文時代十把一絡げ」ではなく、4時期別(6時期別)以上に細かく思考できるようになることを目指します。
●3期と4期の境の冷涼期のイメージ
3期と4期の境の冷涼期(中期末から後期初頭の冷涼期)が縄文社会変動の大きな画期となっています。その様子をよりリアルに知ることができるように、突っ込んだ学習を今から楽しみにしています。思う存分、徹底して、妥協することなく学習したいと思います。どんな専門論文にも食いつこうと思います。農業社会の飢饉と同じような食料不足があったとは考えられませんから、思わぬ理由が隠れているような予感がして、興味津々です。
●環状集落の構造
大膳野南貝塚の環状集落などについて学習したことがありますが、平地式住居や墓に関する最新知識を得て、遺跡の再学習(再認識)ができるようになりたいと希望しました。
●争い
受傷人骨が千葉県にあるかどうか調べたいと思います。また受傷人骨以外に争いを指標する遺物の状況、遺構の状況があるかどうか、考えたいと思います。


2020年3月12日木曜日

山田康弘著「縄文時代の歴史」の学習方法

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 2

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の学習を次のような方法で行うことにします。

1 記述内容の体形的メモ
著者が縄文時代の歴史認識で大切であると考えている視点に基づいて、この図書の記述内容概要を体系的にメモします。
具体的には次のフロー図に肉付けしていきます。

山田康弘著「縄文時代の歴史」記述内容の体形的メモのスケルトン
記述内容概要(keywordなど)や事例等を体系的にメモすることにより、縄文時代の出来事や研究上の興味、具体的事例が時期別視点別に整理され一覧化、見える化します。
このスケルトンはフリーマインドというフリーソフトを使っています。

2 主な学習項目の抽出と材料収集
1の学習作業を行うなかで重要でかつ興味が募る項目を抽出します。その項目に関する引用資料やweb検索等で得られる資料等を入手し、将来の本格学習に備えます。

3 年表及び地図の作成
1の学習作業結果を年表形式に整理します。
また日本と房総を対象に既にこれまでの学習活動で整備しているデータベース等から、主要項目について分布図、密度図等を作成します。

4 ブログ記事作成を通じた学習
・図書のまとまりを要約する方法ではなく、興味のある点の考察をメインに記事を書きます。
・記事は体系的文章ではなく、メモ程度にします。
・参考図書、関連図書を読み関連図版等の引用を積極的におこないます。
・主にkindle版でパソコン画面に向かって学習します。

kindle版画面

2020年3月11日水曜日

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の学習開始

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)学習 1

1 学習の開始
山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の学習を始めます。

山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)
幸い同著者の類似書学習を既に行っていますので、それらの学習結果も有力な情報源として、縄文時代とか、縄文文化とかの最新基本知識を自分なりに整理獲得したいと思います。
縄文土器学習を縄文社会消長分析学習につなげるための一種の学習基礎工事のスタートです。

参考
以前同著者の「縄文時代 その枠組み・文化・社会をどう捉えるか?」(2017、吉川弘文館)を10記事シリーズで学習しました。

2018.08.04記事「縄文社会をどう考えるべきか
2018.07.30記事「縄文社会の複雑化と民族誌
2018.07.27記事「環状集落にみる社会複雑化
2018.07.20記事「西日本の縄文文化
2018.07.19記事「中部日本の縄文文化
2018.07.15記事「東日本の縄文文化
2018.07.13記事「縄文文化における南の範囲
2018.07.12記事「縄文文化における北の範囲
2018.07.09記事「縄文時代はどのように語られてきたのか
2018.06.17記事「半獣半人

以前同著者の「つくられた縄文時代-日本文化の現像を探る-」(2015、新潮選書)を4記事シリーズで学習しました。

2018.08.24記事「縄文時代の死生観
2018.08.15記事「定住・人口密度・社会複雑化
2018.08.12記事「縄文時代・文化の時空間的範囲
2018.08.09記事「つくられた縄文時代

2 山田康弘著「縄文時代の歴史」(2019、講談社現代新書)の超結論
この図書の「おわりに」に次の文章が書かれています。
「 縄文文化の本質は、繁縟な装飾を持つ土器や特徴的な土偶、現代の美術工芸品にも引けをとらない精製の土器にあるのではない。また、単純に狩猟採集経済という下部構造のみにあるのでもない。その本質は、後氷期における急激な温暖化、そして中期以降の冷涼化を伴いながらも総体的には安定的な気候の中で、日本列島域の各地方・各地域でそれぞれに個性的な環境適応が起こり、それと連動して、自然の資源化とその利用技術の発達が促され、さらにそれと連動して、程度の差こそあれ定着性の高い居住形態、すなわち定住生活の採用とともに、それを支える生業形態・集団構造・精神文化の発達が、そして人を含めた資源交換ネットワークの発達が、現代とは比較にならないほどの少ない人口下で継起・連鎖したという点にこそ求められる。」山田康弘「縄文時代の歴史」(講談社現代新書)から引用

私が学習で得る予定の知識はこの文章の通りで、以下のように要約できます。
各地方・地域で個性的な環境適応が起こり、定住生活が採用され、それを支える生業形態・集団構造・精神文化・資源交換ネットワークが極端に少ない人口下で継起・連鎖した様子を知る。

2020年3月10日火曜日

文化財のための三次元計測

金田明大他著「文化財のための三次元計測」(岩田書院)という技術書を入手してざっと読みました。

金田明大他著「文化財のための三次元計測」(岩田書院)
2010年発行図書ですから10年前の技術書であり、機器やソフトの進歩はこの10年で著しいものがあると思いますので、現時点では最新技術書ではないと思います。
しかし、この図書を読むとよくある一般技術書とはかなり異なり、技術適用における限界や問題が多く記述されていてとても参考になります。
考古学の専門家が三次元技術を試行錯誤しながら遺物計測に適用していく様子が事細かに記述されています。三次元技術の専門家がその専門知識を披露するのとは様子がだいぶ違います。親しみを覚えます。
この図書は三次元スキャナーの利用を前提に書かれていますが、自分が行う写真の多視点周回撮影による三次元化技術(SfM-MVS技術)とも共通点が多く、技術適用細部で参考となる考えを多く得ることができました。
10年前のこの図書のいわば最新版がシリーズ冊子「文化財の壺」(岩田書院)であると感じました。

文化財の壺
2020.02.03記事「冊子「文化財の壺」



2020年2月3日月曜日

冊子「文化財の壺」

webで3Dモデルについて検索していた時、偶然「文化財の壺」という冊子を知りました。興味深いkeywordが目次にならんでいたので、取り扱い社である岩田書院から通販で4~7号を入手しました。
まず目に飛び込んだGigaMeshによる土器展開写真作成紹介記事を通して「即日」GigaMeshをダウンロードして、数時間後にはそれを使えるようになったことはすでに記事に書きました。
ブログ花見川流域を歩く2020.01.30記事「GigaMeshによる縄文土器展開写真の効率的作成
それ以降自分の縄文土器学習記事には必ず土器展開写真を掲載するようになりました。
最新技術を紹介していただいた論説筆者と「文化財の壺」(発行者:文化財方法論研究会)に感謝します。

この論説以外にも「文化財の壺」には興味深い論説が満載です。しばしキーボードから手を離して全部読みましたので、その感想をメモします。

入手した「文化財の壺」

感想
・「文化財の壺」は考古学分野における3次元計測技術という極狭領域のシリーズ冊子(学術誌?)であり、この冊子をたまたま知ったことは自分にとってラッキーなことでした。考古学専門分野とか3次元計測技術とかに縁遠い一般学習者としての自分にとっては世の中の状況がよくわかります。
・全頁カラー印刷で、興味や好奇心をそそる図版や写真が多く、見ているだけで楽しくなります。
・自分が興味を深めているSfM/MVS関連技術紹介が多く、実務作業レベルで参考になります。

・考古学分野の方々の3次元計測技術に関する興味が、次の点を指向していると理解できました。
ア 見える化、可視化、視認性向上
風化しているもの、小さくて見過ごされてきたもの、洞など立体形状を表現しずらいものなど、これまでの技術では観察分析が十分でなかった分野に3次元計測技術を応用して見える化しようとする動きが感じられます。
イ 作業の効率化
既存技術では作業がはかどらない領域の作業効率化を3次元計測記述でカバーして、効率化を図ろうという動きが感じられます。
ウ 記録の新しいスタイル
文化財(遺物)の新しい記録スタイルとして、既存記録スタイルに加える形で3Dモデル等を活用しようという動きが感じられます。

・一方自分から見ると次のような視点の論説がなかった、あるいは少なかったので、今後に期待したいと思います。
ア 3Dモデルのデータベース化(狭い研究者間の情報共有ではなく、広い社会的な意味での情報共有)
イ 普及説明領域、学習領域、展示サービス領域における三次元計測、SfM/MVS関連技術の活用
ウ 3次元情報の効率的・効果的2次元情報化技術(3次元情報の的確な説明資料化技術)(GigaMeshの紹介は3次元情報の2次元化技術としてとても参考になりました。)

冒頭書いたように「文化財の壺」を通じてGigaMeshというソフトとサイト(考古分野における3次元計測技術研究集団サイト)を知りました。

GigaMeshサイトをchrome画面でクリックして「日本語に翻訳(T)」して楽しんでいます。

GigaMeshサイトメイン画面

GigaMeshサイトメイン画面の好奇心を刺激する図版